10、純真
カエラを買い物係に任命すると、自体は好転の兆しを見せていった。
まず、部屋の空気が軽くなった。
日毎に酷くなる小言が消えたことで、ストレスが軽減したおかげだ。
白狐は気を張らなくなり、エマにも笑顔が増えた。シオンの態度は相変わらずだが、ロッティが歩み寄りの姿勢を見せても拒むことはなかった。
「エマさん、お粥できたよ」
「ありがとう」
ロッティは白狐に触れない。
だが信頼は寄せているようで、彼女が作った食事を進んで食べるようになった。
食事の量が増えると、食事の回数も減る。食事の回数が減ると、睡眠時間が増える。最高の循環にエマはニッコニコになった。
「あと少しだね」
口の端に付いた粥を拭うと、赤い瞳がエマを見上げた。
最低限の回復は済んだ。
そろそろ、伝書鳩が帰ってくる頃だ。
白狐の状態から強引な手段には出ないだろう。同族としての情か、彼女の力か。なにを求めているにしろ、不信感を抱かせて良いことはない。
だから次はきっと。
ここ数日で慣れた気配が、小窓に止まった。
隠密には向かない派手な服の上を、腰まである白髪が滑る。服と揃いの桃色が、前髪の隙間からエマを見て、頭を下げた。
「魔王様、ご報告に戻り......え、なに」
困惑。伝書鳩の口から溢れた戸惑いの声に、それを向けられた主は首を傾げた。
両サイドに低く結われた白髪。服は揃いの派手な桃色だが、その前に輝く純白のふりふりエプロン。瞳に当初のような警戒の色は無い。無防備な姿は、まるで自分の家にいるかのようだ。
「まさか、ワカラセられて....?」
即落ち2コマ。調教によるワカラセ。
コナーの頭に夜のあんなことや、こんなことが過っては消えていく。
自分が数日離れただけで、幸せメス堕ちさせるとは恐ろしい男。さすがは魔王と言ったところか。ごくりと喉がなる。
「羨まし......いえ、いつのまにそんな濃厚な.....」
「さっきからなにを言ってるの?」
「はっ!ロッティ姉様がこれなら、カエラ姉様は」
「コナー??」
ロッティが完璧な調教をされたのなら、共に残したカエラはどうしたのか。
辺りを見渡すが彼女の姿は無い。
カエラは人間に対する嫌悪感が人一倍強いし、プライドも高い。彼女はなかなか屈しないだろう。
そんなカエラの姿がない。それはつまり、調教中ということではないか。
「おーい、コナー?」
ゴブリンの群れに囲まれる女騎士の姿が頭に浮かぶ。捕らわれても必死に虚勢を張る姿は、カエラにピッタリ当てはまる。
ゴブリンでそれなのだ。魔王様なら一体どんな絡め手が、姉を襲うのだろうか。
ゾクゾクと背中に甘い痺れが伝う。
ロッティの声は、興奮したコナーには届かない。
「すみません、疲れてるみたいで」
「じゃあ、ご飯先にしよっか」
「そうします」
姉様が人間と話している。
姉様が、人間と。
コナーの目がようやく現実を捉える。
間違いない。ロッティ姉様が人間と親しげに話している。
濁った瞳に映る世界は、果たして現実と言えるのだろうか。
「尊厳破壊.......?」
「そん.......なんて?」
コナーは膝から崩れ落ちた。硬い床に膝を強打したが、あまりのことに痛みなど感じはしなかった。
人間嫌いの獣人の尊厳を破壊して、人間に友好的に作り変える。記憶も意思もそのままに、趣向のみを変えさせたというのか。
コナーは泣いた。
瞳から一粒宝石がこぼれ落ちるような、そんな綺麗な泣き方だった。
「ゔっ、ヴッヴッ」
「え、今度は泣き始めた」
「おのれ人間め......」
「え?なんでなんで?急展開すぎて分からないよ」
己の知る姉はもう居ない。
そこにいるのは、従順に飼い慣らされた獣が1匹。内側をめちゃくちゃ破壊され、戦士としてではなく幼妻となったメスがいるだけ。
コナーは床を叩いた。
「くそっ、くそ!人間め」
「うん、うん」
「事前に言ってくれれば.....」
「なにを?」
「カメラ仕掛けといたのに.....」
最低な女である。
姉が良いように陵辱される様を鑑賞したいと涙ながらに訴える妹の真意は、幸いなことに純粋な少女たちには届かなかった。
「あなたの妹さん大丈夫?」
「頭の方ならダメかも」
「コナー?戻ったの?」
と、そこにもう1人の生贄の声がした。
コナーが動きを止める。
床に擦り付けていた頭を、ゆっくりと上げて後ろを振り返った。そこには、買い物袋を両手にぶら下げたカエラの姿があった。
も う ひ と り い た 。
コナーから自然と笑みが溢れた。
いつ整えたのか。涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔は、綺麗になっていた。
つられてカエラも微笑む。
「長から良い返事が貰えたのね!」
己と同じ桃色が、嬉しそうに揺れている。堕ちていない。
コナーは直感的で理解した。
カエラはまだ調教途中だ、と。
「まだ分かりません」
「分からない?どうして?」
「長から魔王様に手紙を預かっていますが、わたしは内容を知りません」
「余にか」
「はい」
部屋の隅で優雅にカップを傾けていたシオンが、恭しく差し出された手紙を受け取る。
彼はコナーの奇行が特殊な性癖ゆえの行動であると見抜いていたが、困惑するエマを肴に珈琲を楽しんでいた。
「.......ほお」
手紙は涼しげな字で綴られていた。
白狐の体調が安定次第獣人村に来てほしい。迎えには馬車を寄越す。
要点のみが手紙には記されていた。
「随分と舐められたものだな」
「なんて書いてあったの?」
「余に出向けと」
「あはは、それは凄いな」
「うむ、すこし躾けた方が良いのか」
「子どもの前では止めてね」
「なら、門前に吊るすのは止めよう」
軽口に小鳥は真っ青になる。
甘い熱は一気に萎んでしまった。
手紙を返されたコナーは慌てて内容を確認して、弁解の余地がないことを悟った。
手紙は敬意の欠片もない物だった。軽視していることを隠しもしない内容に、小鳥たちは頭を下げた。
「申し訳ありません。まさかこのような.....首を切られても文句は言えません」
「ほう、弁えておるな」
「同族を保護した方に対して、謝辞すら述べられないとは思いもしませんでした」
看病するのは当たり前。
元気になったら連れてこい。
逃げられたら困るから馬車は出す。
手紙の内容はそう受け取れた。
「なんか貰ってきた?」
「いいえ、なにも」
「金銭も出す気がないのね」
慈善団体じゃないんだけど。
呟くエマに小鳥たちの肩身が狭くなっていく。彼女の声に怒気が含まれていないことが、よりそれを加速させた。
呆れているのだ。
「あなたたちに対しても失礼よね」
「え?」
「だって、自腹でしょう」
軍資金は出たの。
問われて初めて気付いた。
軍資金など貰っていない。白狐との生活でかかる全ては、己の懐から出た物だ。蔑ろにされているのは、果たしてどちらなのか。
人間は獣人を蔑ろにする。
でも、いま蔑ろにしているのは。
ゆらゆら、ぐらぐら。
ここ数日で芽吹いた黒い花が、小鳥たちの胸の中で根を張り始めていた。
「お金は後で長に請求しなね。こっちはこっちで勝手にやるから」
「宝物庫を荒らすか」
「勇者みたいに?」
「ああ、壺も割るとしよう」
粉々になった壺たち。破片を踏み付けて、宝箱を片っ端から蹴り開けていくシオン。積み上げられた金貨を袋に詰めてサンタクロースのように、宝物庫を後にするエマ。
脳内で好き勝手に暴れるふたりの姿に、コナーは嫌悪を抱かなかった。
代わりに甘い毒が再熱し、全身を駆け巡る。
きっと盗賊みたいに笑いながら、周りを蹴散らして愉快に逃走していくのだろう。それが、なんだか、とてもーー
「ーーー興奮します」
口内に溢れた唾を嚥下する。
甘い痺れはいつまでもコナーを襲い続けた。
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