5、屋根裏の住人
実はずっと側に居た。
宿に入るずっと前から、それこそコンコ村を出るその瞬間から、彼女たちはエマたちを尾行していた。
白狐の散髪の時も、なにをするでもなく天井裏に潜んでいた。
「..........」
「..........」
言葉にはしない。
露骨に天井に視線をやらない。
気配も殺気も隠さない相手など、ふたりの敵ではないからだ。天井裏のネズミと同じ。必要がなければ、構ったりなどしない。
呆れはするが。
エマは肩を竦めた。
「また、お使い頼める?」
「構わんぞ」
「石鹸とご飯とそれから薬もお願い」
「風邪か?どれ、余に移すといい」
肩を抱き締め、顔を近づけるシオンの額を張る。
馬鹿野郎。使うのは白狐だわ。
「調合すればよかろう」
「お、殺す気か?」
魔法で弱ったのに、魔法効果の強い薬を飲ませるのは逆効果だ。
聖女の薬は万能薬。
ただの傷薬でも切断された腕が生えるほど、馬鹿みたいな効果を発揮する。
いまの白狐に使うのは、毒を盛った後に致死量の毒を盛るのと同じこと。
使えるわけがない。
「では、余が調合しよう!」
「随分と元気な殺害予告ね」
対照的に、魔王の薬は死の秘薬だ。
下剤の調合で人間を怪物に変えるほど、馬鹿みたいな効果を発揮する。
元気な白狐に使ったとしても、アンデット化は免れないだろう。
調合させるわけがない。
「大人しく、お使いに、行ってきて」
「つれないことを言うでない」
寂しいと指を絡められたので、そのまま内側に力を入れてやった。
いたたたたた、と高揚した声が部屋に響いた。
と、白狐が目を覚ます。
「どうした?つらい?」
「………」
近寄ると、赤い瞳がこちらを見る。
袖が引かれる。
ゆっくりと白狐は首を振った。
エマの顔が、パッと華やぐ。
問いかけに反応を示した。
これは大きな進歩だ。
「辛かったら言ってね。このおじいさんが、大抵のことはどうにかしてくれるから」
わたしもどうにかするし。
白い頬を撫でる。
言葉はない。様子を探るように、視線を逸らさない姿は小動物のようだ。
愛くるしいような、寂しいような。
安心させるように頭を撫でる。汗で張り付いた髪を除けてやると、瞼が上下し始める。
疲れているのだろう。やがて完全に瞼が閉じると、エマはくふふと微笑んだ。
「おやすみ、小さな戦士さん」
額にキスを落とす。
袖口から手が離れていった。
起こさぬようにベットから立ち上がる。サイドチェストの上から、水を手に取った。
「ぁぁあ......沁みるぅ」
「おっさんくさいぞ」
「おじいさんに言われたくない」
「お主もそう変わらんだろうに」
「残念でした。この身体はまだ10代ですぅ」
「中身がなぁ」
「残念そうにすな」
ロリコンめ。
「そうではない。熟れたきみも魅力的だが、外見がこれだとバランスがなぁ。どうにも手を出しづらくていかん」
「いま、切実にこの身体に感謝したわ」
つまりロリじゃなかったら、今頃アー♂でアー♂な展開がアー♂で確定だったのか。
おそろしい。なんて恐ろしいのだ。
さすが魔王。さす魔王。
常識はあるのに良識はない。いっそのこと、見境がない方が健全に思える。
「収まりは良いのだがな。庇護欲と独占欲が、同時に満たされる」
脇に手が入り、シオンとの距離が近くなる。
白狐とは違う赤瞳がエマを写した。胸焼けするほどに甘い。
膝裏に手を添えられ、腕の中に収まると、焼き芋の香りがした。
小さく欠伸が出る。
後頭部からスッーと吸引音はするが、まだ害はないので話を進めるとしよう。
上の害獣のこともあるし。
「白狐、どうしようか」
「獣人村に返せ」
「言葉が冷たい」
返答が鋭利すぎる。
叩く代わりに、人差し指を喉に置いた。なぞるように、下へ下へ。喉仏で指を止める。
「声がさ、出ないみたいなんだよね。声帯に問題は無いから、精神的なものかな」
出さないのか、出せないのか。
前者と後者の区別が、異種であるエマには判断しきれない。
「治療出来る?」
「身体の造りが違う」
「だよね」
「獣人村に置いていく」
「即決すな」
獣人は迫害の対象だ。
専門医の数は片手で足りるほど。外にいる彼らに出会える確率は、宝くじで1等を当てるようなもの。白狐のためにも、常駐している獣人村に行く必要がある。あるが。
天井に視線を移す。
本当に、連れて行っても良いものか。
「悩む必要はなかろう。やってみればよい。ちょうど迎えも来ている」
『ーーーー!?』
「膝をつけ、頭を垂れよ」
氷のような声が部屋に落ちる。
息が詰まるような威圧感と共に、畏怖が上から降りてくる。天井の裏からネズミが数匹、それは桃色と白色が混じった髪をしていた。ピンクを基調とした派手な服装に、背中には小さな翼。
3匹のネズミーーいや、3人の鳥の獣人が、魔王の前に跪く。
「名は」
「ぁ......」
「名は」
「.....か、カエラ」
「コナー」
「ロッティ」
「目的は」
「し、白狐でございます」
「保護、ために......まい、参り、ました」
跪き、頭を垂れる少女たち。
可哀想なくらい震えている。
顔に浮かぶのは恐怖だけ。
桃色の瞳たちが見つめるは床のみで、意識はすでに床の上には向けられていない。
「いまさらか」
「い、いえ!我々は魔王様がいらっしゃる前から、コンコ村に!」
「結界が強固で中に入れなくて」
恐怖で舌が回っていない。
要約すると、彼女たち姉妹は命を受けて白狐を保護しに来たらしい。だが、結界が強固で潜入を断念。方法を模索中にエマたちが現れた、とのこと。
なら、もっと早く降りて来れたじゃん。なんでいま来たの。
「手柄だけが望みが」
「決してそのようなことは!」
「人間がいたからで!」
「ちょっと!」
「だって!」
一際小柄な少女ーーロッティが口を塞ぐ。塞がれたカエラは目に涙を溜めて唸ると、エマを睨みつけてきた。なぜ。
「よい、申せ」
「ありがとうございます」
シオンの言葉に片目を隠した少女ーーコナーが、カエラの腕を引いて頭を下げさせる。自分も深く頭を下げた。
「..........人身売買を、危惧したのです」
「ほお」
「魔王様に対して不敬であることは、重々理解しております!それでも、それでも人間は信用できなかった」
桃色の冷たい視線が、腕の中に注がれる。腰の短刀に、いまにも手が伸びそうだ。
獣人の人間に対する好感度が、あまりにも低い件に関して。
興味深いなと観察していると、腕の力が強まる。ついでに圧も増した。
虐めてやるなと上を向けば、不機嫌そうな御尊顔がこちらに向いていた。
なんだその目は。関心が己から逸れたからって、八つ当たりするな。
「余は顔を上げろと命じたか」
「も、もも申し訳ございません!」
さらに縮こまる姉妹。
殺気は霧散し、恐怖だけが彼女たちを支配していく。
眼前にいるのは絶対君主。
断頭台に頭を預けている気分なのだろう。
可哀想になってきた。
ここいらで、外に逃がしてやろう。
「シオン、もういいでしょ」
「そうか」
「もともと獣人村に預ける予定だったのが、ちょっと早まるだけだし」
「よいのか?」
「人間ならまず動かさないけど、獣人は大丈夫っていうんだから平気なんじゃない?」
そうでしょ、と見下ろすと動揺したように桃色が揺れていた。
「食事も満足に取れないし、身体の傷もまだ癒えてないけど平気なんだよね?」
いやぁ、獣人てすごいね。
エマは、けらけらと笑った。
感心したように、丈夫なんだねと続ける。
「それ、は」
「え、違うの?」
「獣人だからって、そんなに丈夫じゃ」
「だから売られるって警戒してたのに、降りてこなかったんじゃないの?」
「ーーーーっ!」
「万が一奴隷になっても死なない。そう判断したから、奪いに来なかった」
そうよね。
コロコロと鈴を転がしたような声が、小鳥の脳を焼いていく。魔王の腕の中で、少女の顔をしたソレが残酷な事実を紡いでいく。
「獣人って凄いのね。この状態から奴隷落ちしても、問題ないなんて。人間なら死んでる」
「ちがっ」
「命令で白狐を回収しに来たのに、魔王に対時するなんて怖いし。下手したら、こっちが死んじゃうもん」
「ちがうんだって」
「あら、いいのよ。怖いのは当たり前」
自分は可愛いもの。
同意を得るように、首を傾げた。
視線の先の小鳥たちは、ひどい顔をしている。汗と涙とで顔を汚して、拭うでもなくエマを見ていた。
優しい声色でコーティングされた鋭利な現実が、柔い心の奥を無遠慮に突き刺す。
無意識のうちに目を逸らしていたモノを、ゆっくりと眼前に晒していく。
「誰も、あなたたちを責めたりしないわ。だって、相手は魔王様と憎き人間だもの」
「ーーーー!」
姉妹は白狐を前から知っていた。
馬小屋で凍える幼児を知って、放置した。
結界は理由にならない。
彼らは、ゴウトーの聖遺物を盗めた。それは、結界を突破する術を持っているのと同義。
たとえ、姉妹がそれを知らずとも。
知恵を託されなかった時点で、白狐の優先順位は低い。丈夫ゆえの怠慢だとエマは思うが、それだけ身体は頑丈に出来ているということ。
予想の範囲を、遥かに超える丈夫さだ。
薬の効き目も異なるに違いない。
早々に専門医にお任せしたい。
「ほら、どうぞ連れて行って」
「ーーーえっ?」
「聴こえなかったのか。連れて行けと言ったのだが」
「あ、あり、がたきお言葉です」
放心状態のロッティがふらふらと立ち上がる。
自慢の白髪が萎びていた。腰が抜けているのか、カエラなどコナーに抱えられている。
足が痺れたのだろうか。
エマの見当違いな思考を、シオンだけが理解していた。先ほどの言葉がすべて純粋な感心であることも、嫌味など微塵もない賛辞だということも。
すべて理解して、口をつぐんだ。
聖女を知るのは、余だけで良いのだから。
「なにをしている、早々に失せよ」
「は、はい!」
シオンの思考など露知らず。
エマは足元の覚束ない姉妹に、労りの視線を向けていた。
今日はずいぶんと機嫌が悪いなぁ。
勢いよく頭を下げる桃色の旋毛を見守る。横たわる白狐を抱えようと、手を伸ばしーー
ーーーパンッ
「え?」
乾いた音。
赤い液体が床を濡らすのを、見ていた。
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