2、狐
扉が閉まった後も、エマは落ち着かない様子で扉の前にいた。
右に左に、右往左往。
茶狐がくしゃみをするまで、それは続いた。
慌てて部屋の温度を上げる。
「ごめん、冷えちゃうよね。さっさと済ませちゃおう。まずは、髪を切ろうね」
ハサミを視界に入れるが反応は無い。
暴れないから楽だけど、危険回避能力も駄目そうだ。シャキシャキと音を鳴らすが、視線どころか肩も動かない。困ったなぁ。
耳の位置を確認し、伸びっぱなしの髪に櫛を入れた。
ガッ!
「硬っっった!なにこれ鉄か?」
櫛が阻まれた。
ハサミは。これも駄目だ。
魔法の気配はない。獣人の特徴かとも疑うが、ハリネズミの獣人以外に毛の硬質化など聞いたことがない。
つまりこれは純粋な汚れによる硬質化。
「...........もう少し痛い目を見せれば良かった」
桶のお湯で水泡を作る。
顔にかからないように茶狐の頭を覆った。汚れをお湯と手でふやかすと、水はあっという間に濁る。土に虫に草に、なんだか細かな物が浮いて水を汚していく。
水を捨て、ふやかし、水を捨てる。
何度か繰り返してから、髪を切っていく。足首まであった髪を、肩にかかる長さに切り揃える。
次は前髪だ。
指に湯を付けてふやかし、ハサミを入れようとして、茶狐がピクリと肩を揺らした。
お、今度は反応があった。
「大丈夫だよ。前髪を整えるだけ」
「........」
「後ろの髪と同じだよ。嫌なら、また今度にしようか?」
視線がエマへと向けられた。
感情の起伏は見られないが、それでもゆっくりと茶狐は首を振った。
「じゃあ、切っていくね。目を瞑れるかな」
「.......」
「目に入ると痛いよ?」
「.......」
嫌らしい。
手を傘にして切るか。
眉の上に手をかざすと、袖を掴まれた。
やはり、切られるのが怖いらしい。
「また今度にしようか」
前髪なら分ければいいし。
鋏を下ろして頬を撫でる。痩け過ぎて固いそれは、冷たくて人形のようだ。
早く膨らせてやらなくちゃ。
親指で目元を擦ると、エマに固定されていた瞳がゆっくりと閉じた。
これは切っていいってことか?
「切ってもいいの?」
袖を引かれた。いいらしい。
「切るよー?」
前髪を摘む。怖くないように、世間話を挟みながら手早く済ませていく。
最後に顔に付いた毛をはらって
「よし、目を開けても大丈夫だよ」
「.......」
「前、見やすくなったでしょ」
「.......」
ゆっくりと瞼が持ち上がる。
まあ、綺麗なルビーの瞳だこと。
真紅の瞳がエマを映しだすが、そこに感情らしきものは浮かばない。
宝石を嵌め込んだだけの、人形のよう。
“恐怖“は身体に現れたが、それ以外はまだまだ先は長そうだ。
「次はシャンプーしてこうね」
石鹸で気泡を作り、泡を髪に乗せていく。
頭皮を指の腹で擦っていく。
「わぁぁ、ぜんぜん泡立たない」
前頭葉から後頭部に指を滑らせる。
一向に泡が立たないので、一度洗い流して新たな泡を髪に乗せていく。水は案の定、泥水のような色をしていた。なんだこれは。この世すべての汚れでも溜めてたんか。
それを5回ほど繰り返し、どうにか泡が立つころには、石鹸は指先ほどの大きさになっていた。
「ちょっと、身体は洗えないかな」
「.......」
「シオンにまた行ってもらって.....」
髪を洗い流した時だった。
その異変に気がついたのは。
「薬用石鹸卒業したら、髪と身体で石鹸を
分けて......あれ?お前、なんか」
髪が白くないか?
切り揃えた髪を持ち上げる。
白い、白いな。
狐って茶毛ではなかったか。ストレス?こんな若いうちから広範囲に白髪なんて......。確かにストレス凄そうだけと、襟足まで綺麗に真っ白だ。染めたときのようなマダラでもない。まるで最初から白髪のような。
獣人村で虐げられていた白狐。
夢見の内容が頭をよぎる。
「.......お前、もしかして」
夢で見た白狐か。
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