1、子狐
「いい知らせと悪い知らせ、どっちから聴きたい?」
「股ドンしながら言う台詞ではないな」
頭上高くから豪快な笑い声。
優位な体勢であるはずの少女は辟易した顔であるのに、男は実に愉快そうに眦を下げる。
八つ当たりだと理解しているのだ。
舌を鳴らした少女が足を退けると、ぽつりと呟いた。蚊の鳴くような声だ。
「夢見が的中してた」
「ほお」
薄い壁には、靴の跡が残っていた。
コンコ村を出たふたりは、ゴウトーへの道を急いでいた。拾った茶狐の容態が芳しくなかったのだ。
このままでは衰弱死してしまう。
エマは幾つか魔法を掛けると、くすねたシーツを目深に被り、ゴウトー街へと足を踏み入れた。
「もし、宿の方。どうか泊めては頂けませんか」
宿屋の扉を叩くと、恰幅の良い男が怪訝な顔で出迎えた。彼が口を開く前に、エマは震える声でそう告げた。訳ありなのだと、そう認識させるために。
「あんた聖女だろ。教会にでも行きな」
「教会には行けないのです」
「訳ありなら他所に行ってくれ。面倒ごとを持ち込まれたら堪らない」
「行けないのです。この子が.......」
わざと濁すように言葉を切った。
店主の視線が腕の中に注がれる。
シーツの中には、子どもが衰弱した状態で横たわっていた。臭いも酷い。拷問か、虐待か。どちらにしろ、手酷い扱いを受けていたことだけは理解できる。店主の顔が歪んだ。
「奴隷じゃねぇだろうな」
「違います。違うから連れて来たのです」
店主が手を伸ばした。
後ろで警戒するシオンに視線で配慮しながらも、シーツを退かして子どもの首を見る。
そこには、何もなかった。
店主が深く息を吐いた。髪をかきあげて背を向けると、付いてくるようにと呟いた。
「ありがとうございます!」
エマが勢いよく頭を下げる。
上手く行った。
シーツの奥で、笑みを噛み殺した。
************
「店主いい人で良かった〜」
声は外には漏れない。
防音魔法様々である。
シーツを取ると、銀髪は見事な金髪へと変わる。美しい金糸が肩を流れて華やかだ。
先ほどの見窄らしい聖女はいない。背中を伸ばす少女は、どこから見ても天使のように愛らしい。立派な擬態に、手の内を知るシオンですら感服する。魔法で繕ったとはいえ、手腕には相変わらず息を呑んでしまう。
「1番奥の角部屋に、桶とタオルまで貸してくれるとか本当に太っ腹だよ」
返さなくていいと、去っていく背中は太陽よりも輝いて見えた。うっかり惚れちゃいそうだぜ、とエマはコロコロと笑った。
「ひとの良い店主を騙して、悪い子だな」
「加担した奴がなにか言ってるわ」
雑談を交えつつも、手は止めない。
借りた桶に魔法で水を入れると、38度とシオンに指示を出す。
ポッと長い指の先に黒い炎が灯る。浮かせた桶の下に指を入れると、そのまま炙った。
「とりあえず、なんか飲ませなくちゃ」
「白湯でいいか」
「うん、ありがとう」
飲む用も準備してくれていたらしい。
手渡されたコップには、ぬるめのお湯が入っていた。ゆっくりと茶狐に飲ませていく。
「元気になったらジュースとか飲もうな」
反応は無い。
コンコ村ではなにか呟いていた気がしたが、声が出ないのだろうか。
それとも無気力なだけか。
どちらにしろ容態の悪さは変わらない。
過去の負傷は村人に変換したが、だからといって全てが元通りになるわけではない。
栄養失調、凍傷、脱水症状。
与えられなかったから出来たものは『略奪者』では完治しない。
「あ、小指無い」
「取ってくるか?」
「物騒過ぎるわ。山賊でも言わないよ」
部屋の温度も魔法で調節する。
準備のできた桶に粉末の凍傷薬を入れ、茶狐の足を入れて揉む。
されるがまま。動かない。
ベットに横たわったままで、ぼんやりと天井を眺めていた。
「反応ある?」
「いいや」
「うーん、これは痛覚もダメかな」
血の巡りが良くなると、ピリピリする感覚がある。それは痒みか痛みとして伝わるはずだが、まるで反応がない。
困ったなぁ。
指を生やすことはできる。
そりゃあ、ニョキニョキッと生やせる。
でも、痛覚を戻すことはできない。
人間にとって魔法は万能ではないのだ。
「じゃあ、お風呂も入れちゃうか」
「よいのか?」
「体力的に心配だったけど、これだといつ戻るか分からないから」
見知らぬ者に身体を触られるのは、同性とはいえ気持ちが悪いだろう。できれば本人の体力が戻ってからと考えていたが、これが数日で戻るとは到底思えない。
介護だと割り切ってもらおう。
汚いよりはマシ、と思ってもらって。
「じゃあ、替えの服を......あっ」
「どうした?服なら魔法で.......あっ」
お互いに顔を見合わせる。
そうだ、忘れていた。
普通は魔力糸で服なんて作れない(.。
「あ、あぁあ“あ“あ“ぁ“ぁ....」
失念していた。
シオンに引っ張られて、失念し続けていた。
普通は魔力の糸で服なんて作れないし、着れない。服は買って着るものだった。
今のエマの服は魔法で編んだ特別製だ。色も素材も大きさもデザインも、すべてが思いのままになる魔法で作ったもの。
シオンの服もそうだ。
服なんて一着も持っていない。
それはそうだ。着の身着のままで、逃亡する羽目になったのだから。
「この子に魔力糸を維持しろなんて無茶。わたしは、服の作り方なんて分からない」
「構造を把握せずとも、想像でパッと出来るからな」
「どうしよう、買ってくるしかないけど」
「余が行こう」
「でもなぁ、この子を置いてはいけないし」
「余が行こう」
「困っちゃうなぁ」
「余が行こう」
「ゥヴーン....」
キラキラした赤がエマを見ている。
1人で活かせるのは不安だが、背に腹は変えられない。こいつだって立派な成人。お使いのひとつやふたつ熟るはずだ。熟る....こなせ....こな.....。
「ひとりでお買い物できる.....?」
「そなたの目に余は何歳に見えておるのだ」
「地上7日目の赤ちゃん」
脳内に国民的お使いBGMが流れる。
気持ちは完全に、幼児をはじめてのおつかいに出す母親だ。不安しかない。
だが、背に腹は変えられない。
手渡す前に、財布の中身を確認する。
「余分に入れておくけど、無駄遣いしたら駄目だからね」
「うむ」
「ムカついたからって、相手を爆発四散させたり、血祭りにしたら駄目だからね」
「余は癇癪持ちの子どもか?」
服と食料と薬草と。
買うものリストを記したメモを渡し、人間は脆いんだからねと念を押す。
メモは魔法で加工され、四次元バックみたいな亜空間に収納されたので紛失の心配はないだろう。厳重すぎる気もするが。
「お釣りで、お菓子買ってもいいからね」
普段なら蹴り出す背中が、いまは頼りなく思えて扉まで見送る。
「普段もそうであれば良いのだがな」
「馬鹿なこと言ってると、買うもの忘れちゃうよ」
「ここまで来ると、もしやドライヤードの効果が残っているのかと心配になるな」
余は1000は超えておるぞ。
知ってはいるが、お前が現代7日目なのは変わらない。お金足りないからって裏路地での財布狩りも、チンピラの火炙りも現代では許されないんだよ。理解してる?
「そう心配せずとも忍んで帰ってくる。きみは大人しく待っておれ」
「うん、うん.....防犯ブザーいる?」
「役得と割り切るべきか.....」
複雑だ、と呟いてエマの頭に手を置く。少々乱暴に髪をかき混ぜた。心配そうに見上げた瞳に、困った美丈夫が映る。
仕方ない子どもを見るような目をしていた。
「いってくる」
「いってらっしゃい」
扉が閉まるその瞬間まで、エマは手を振り続けた。
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(エマは寝不足で混乱しているだけです)




