密約と希望
森に静寂が訪れた。
先ほどまで響いていた戦いの音はもうない。
風が木々を揺らす音だけが、夜の森を静かに包んでいた。
傷ついた人狼は、その場に立ったまま動きを止める。
目の前の人物が放った一言が、予想外だったからだ。
「……仲間、だと?」
低く唸るような声が森へ響く。
月明かりの下、人影はゆっくりとうなずいた。
「そうだ。」
迷いのない声だった。
「俺はもう、この村を信じてない。」
「誰も俺を信用しない。」
「このまま生きていても……いずれ疑われ、殺される。」
その言葉に、人狼は小さく笑った。
喉の奥から漏れるような、不気味な笑い声。
「だから……俺につくと?」
人影は一瞬だけ黙る。
夜風が二人の間を吹き抜けた。
そして、ゆっくりとうなずく。
「……ああ。」
「アレックスにやられたんだろ。」
「俺がいれば……あいつを出し抜ける。」
「隙を作れば、お前なら簡単に喰える。」
人狼は何も答えない。
赤い瞳だけが相手をじっと見つめていた。
人影はさらに言葉を続ける。
「俺は生き残りたい。」
「そのためなら……何でもする。」
人狼はゆっくりと歩き始める。
一歩。
また一歩。
やがて二人の距離は、あと一歩で牙が届くほどまで縮まった。
人狼は鼻を鳴らし、相手の匂いを確かめる。
恐怖の匂い。
汗の匂い。
そして――人間の匂い。
「本気か?」
赤い瞳が相手を射抜く。
人影は視線を逸らさない。
「本気だ。」
短く、それだけ答えた。
人狼はさらに問いかける。
「人を殺せるか?」
その言葉に、人影の表情がわずかに曇る。
脳裏に浮かぶのは、これまで共に過ごしてきた村人たちの顔。
笑い合った日々。
助け合った時間。
ほんの一瞬だけ、迷いが生まれる。
だが、その迷いはすぐに消えた。
拳を強く握り締める。
ゆっくりと顔を上げ、人狼を真っすぐ見つめ返した。
「……誰でも。」
その声は震えていた。
しかし、その目だけは揺らいでいない。
「誰でも……殺してやる。」
その言葉を聞いた瞬間、人狼は静かに口元を吊り上げた。
森の奥に、不気味な笑い声だけが静かに響いていた。
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夜が明けた。
山の向こうから朝日がゆっくりと昇り始める。
柔らかな光が静まり返った村を照らしていた。
昨夜の激しい戦いも。
森で交わされた密約も。
その真実を知る者は、まだ誰もいない。
村人たちは重い足取りで公民館へ集まり始めた。
誰もが昨夜の悲鳴を聞いている。
誰もが最悪の結末を覚悟していた。
公民館の扉が開く。
イーサンは中を見渡しながら声を上げた。
「昨日、何があったんだ!」
「何なんだよ、あの叫び声は!」
焦ったように辺りを見回す。
「おい……!」
「また誰かいな――」
そこまで言いかけて言葉が止まる。
九人。
全員そろっていた。
その場にいた誰もが安堵の息を漏らす。
だが、その空気は長く続かなかった。
ミアだけは椅子へ座ったまま、小刻みに肩を震わせていた。
顔色は真っ青で、昨夜の恐怖がまだ消えていない。
ヘイズはアレックスの腕に巻かれた応急処置へ目を向ける。
「……何だよ、その怪我。」
公民館の視線が一斉にアレックスへ集まった。
アレックスは静かに立ち上がる。
「昨夜、人狼はミアの家へ侵入した。」
「窓を破って中へ入り、ミアを襲った。」
部屋が静まり返る。
アレックスは淡々と続けた。
「悲鳴を聞いて駆け付けた。」
「そして……戦った。」
誰も息をすることすら忘れていた。
人狼と戦った。
その事実だけで信じ難かった。
クレアが恐る恐る尋ねる。
「人狼に……勝てるの?」
アレックスは少しだけ考え、静かに答えた。
「傷は負わせた。」
ノアが身を乗り出す。
「実際に戦ってみて、どうだった?」
「どんな相手だった?」
アレックスは昨夜を思い返すように目を閉じる。
「速い。」
「力も強い。」
「人間とは比べものにならない。」
誰もが緊張した表情で続きを待つ。
アレックスはゆっくり顔を上げた。
「でも。」
その一言で空気が変わる。
「倒せない相手じゃない。」
その言葉を聞いた瞬間、公民館に初めて希望が生まれた。
人狼にも勝てる。
そう思えたのは初めてだった。
アレックスは腕の傷を押さえながら続ける。
「血も流していた。」
「人狼だって死ぬ。」
「化け物でも、不死身じゃない。」
その言葉に、イーサンは思わず拳を握る。
アレックスは全員を見渡し、静かに言った。
「あいつも生き物だ。」
「次は逃がさない。」
その一言に、公民館の空気は一気に変わる。
イーサンが勢いよく立ち上がった。
「だったら今日の夜も待ち伏せだ!!」
興奮を隠せない。
「今度こそ仕留める!」
クレアも珍しく笑顔を浮かべる。
「アレックスがいれば勝てる!」
ヘイズも力強く頷いた。
「僕も行く。」
「今度こそ終わらせよう。」
しかし。
カイだけは静かに首を横へ振る。
その表情は険しかった。
「それは危険だ。」
イーサンが眉をひそめる。
「何でだ?」
カイは落ち着いた口調で答える。
「昨日、人狼はアレックスと戦った。」
「そして逃げた。」
「そんな相手が、同じ場所へ何の考えもなく現れると思うか?」
誰も答えられない。
カイは続けた。
「同じ作戦は二度も通用しない。」
「今夜待っているのは、人狼じゃなく死だ。」
イーサンは舌打ちする。
「じゃあどうする!」
「また家の中で震えてろってのか!」
カイは腕を組んだまま静かに言った。
「焦った方が負ける。」
「何度も言ってるだろ。」
「少しは冷静になれ。」
ヴィクターもゆっくり頷く。
「アレックスも怪我をしている。」
「この傷では万全の状態で戦うことはできない。」
公民館は再び静まり返った。
せっかく見えた希望は、また重苦しい現実に押し潰されようとしていた。




