【後日談】天藍の瞳の王と、永遠の誓い(後編)(完)
「ずっとここにいてくれるよね?」
アズラル様が私の手に指を絡めて、尋ねる。
「……」
私は、この後に及んですぐ返答できなかった。
「診療所が気になっています。人手が足りないのです」
私は、患者さんたちの顔を思い浮かべる。
心配な人もたくさんいるし、切り離されると私自身が寂しくもある。
「まだ福祉に予算が足りないんだな。かなり増やしたつもりだったのだが」
「アズラル様の御代になって、効果は出ていると思います」
「まだ市場調査も必要か……そのためにも、パルは王宮にいてほしいんだが」
「……あの……」
想定したこともないから、イメージが湧かない。
「パルが一人現場で働くことと、国政を執る私を側で手伝うことと、結果どちらの方が多くの人間を救える?」
「……確かに……そういう考え方もありますね……」
ラリマ先生の、国の健康か人の健康かという言葉を思い出す。
「まず最初に私一人を救ってくれ」
アズラル様は、すがるように強く私を抱きしめた。
◇◇◇
……王子様……違った、王様の手を取ってしまったことを、少し後悔している。
アズラル陛下……。
私が出会った時は、王子様だった。
元々、先王様は病床が長くて、アズラル様は長いこと一人で国政を担当されていた。
優秀な宰相などはいるけれど、裁可などは朝から晩まですべて一人でおこなわれていた。
それでも国王代理というお立場だったから、今よりは少し気楽さもあったのかもしれない。
現在、国を背負う全責任がお一人の肩に乗っている。
その心労たるやいかばかりだろう。
私は庶民だから、アズラル様に呼ばれたものの、王室に入るのにいろいろな手順が必要だった。
マナーや語学の習得。政情、歴史、外交、諸侯の顔や役職、家柄を全て暗記すること。
暗記は得意なつもりだったけれど、朝から晩まで泣きそうになるほど辛かった。
臣下として、私は心に決めていた。
父が王室の宝を盗んだ。私は宮廷に潜り込み、アズラル様を利用した。
親子で国家の安寧を脅かした。
その私が、贖罪の意味を込めて、何があってもアズラル様と国のためにお仕えする。
もちろん、贖罪じゃなくて、“愛”もあった。
深夜、へとへとになっていると、私よりへとへとなアズラル様が部屋に戻って来る。
お可哀想なほど、ボロボロ。
「パル〜」
アズラル様が、全力で私に抱きついてくる。……いや、泣きついてくる。
貴族が土地の境界線で揉めてるとか、税の配分に誰も納得しないとか、愚痴がたくさん。
私は、よしよししてあげる。
それから、手のマッサージ。
手の緊張が、どれだけストレスが多い生活をされているか語っている。
アズラル様が、私の横に座って、手を差し出す。
反対の手になると、やりやすいように逆側の横に移動してくれる。
王様なのに……ちょっと面白い。
首や肩など、他にも辛いところを追加でマッサージする。
正式な妻じゃないから、キスだけなのだそう。
長くて、甘くて、熱くて、息が上がる。
私が息を吐くと、その息を飲み込むようにまたアズラル様の唇が重ねられる。
息継ぎが上手くできなくて、頭がボーっとする。
まるで砂漠で水を求めるように追い詰められる。
私がアズラル様の渇きを潤せるなら、本望だと思った。
でも……何て甘くて熱い渇き。
「あっ……アズラル様、女性が苦手だったんじゃ……?」
私は、涙目で問う。
「君だから……これでも我慢してる……」
熱い吐息が絡む。アズラル様の瞳が熱をもって色っぽい。
「明日は、母上のところへ行こう」
ソファーで私に寄りかかりながら、アズラル様が言った。
そのまま寄り添いながら、私たちは、心地よく眠りに落ちた。
◇◇◇
馬車の中で、私はひどく緊張していた。
初めてお会いする、アズラル様のお母上。フローラ王太妃様。
先王様は愛妾をたくさん抱えていて、フローラ様をないがしろにされていたため、別邸にお住まいであることは、国民にとって周知の事実となっていた。
(どんな方なのかな……)
隣国のお姫様から、この国の王妃になられたフローラ様。
(私みたいな庶民の娘、反対されるのでは……?)
そればかり考えていた。
昼下がりの陽光。郊外にあるフローラ様の邸宅。
規模は大きくなかったけれど、隅々までよく手入れされている。
白いアーチ、庭園の緑や花々も眩しい。
その美しさを楽しむ余裕がないほど、私は腰が引けて、足が震えている。
喉が渇いて仕方がない。
私がフローラ様に気に入られなければ、アズラル様も失望されるかもしれない。
地底までひび割れた地面を歩いているかのように、私の心は不安定だった。
中に入るとメイドが二階へ案内してくれる。
白を基調にした廊下。上品な調度品や絵画が並んでいる。
フワフワした美しい織物の絨毯の上を、アズラル様について、私は重い足取りで一歩ずつ進んだ。
「母上」
アズラル様が声を掛けられた。
先には、カメオから抜け出したような、白いドレスの優雅な女性が座っていた。
緩く巻いた、金色の髪。
絹のような白い肌、深い紺碧の瞳。アズラル様とよく似ていらっしゃる。
「アズラル、よく来ましたね」
女性は、柔らかく微笑んだ。
「母上、ご紹介します。こちらが……」
アズラル様が私に目を向けた。
「あの……おっ、お初に、お目に、かっ、かかります……。パル・マーレと申しますっ」
舌を噛みそうになりながら、私は深くお辞儀をした。
一人で練習したのだけど、いざ本番になると、全然上手にできなかった。
少し間が開いて、フローラ様が、私の前に立たれた。
「フローラよ。よろしくね。パルさん」
私は, 下げていた頭を上げた。フローラ様と目が合う。
やはり美しい方だなと思った。
ソファーに通され、お茶が出される。
私はカップを持つ手も震えるので、飲むことも諦めた。
私の横に座られたアズラル様が、話を切り出された。
「母上、私は……パルを妻にしたいと思っております」
私は、情けないことに、どこに視線を送るのが正解かも分からない。
フローラ様がおっしゃった。
「そう……それは、とても大変なことよ……」
「分かっています、彼女しか考えられません」
アズラル様の言葉が胸を打つ。
私にはそう言ってもらえるほどの価値があるのか。
いや、価値を作り出さないといけないと思う。
フローラ様が私に向かわれる。
「パルさんは、大丈夫なの? 自由もなく、危険も多いわ。好奇の目にもさらされる」
私は、顔を上げた。
「私は、アズラル様のため、国民の皆さまのために、命をかけてお仕えする所存です」
本心だった。そうして、私が、私自身に誇りを持ちたい。
フローラ様が、静かに目を閉じた。
何かを思い起こされているようだった。
「……私は、この国に嫁ぐ前、愛した方がいたの。私の結婚は、生まれた時から決められていて、私はそれに反発することはできなかった。私が出嫁してすぐ、その方は亡くなった。私は、ずっと後悔しているの。どんなことがあっても、あの時、差し出された手を
――“愛”を……取れば良かったと……」
窓から差し込む風と光が、レースのカーテンを揺らす。
フローラ様の美しい横顔に陰を作った。
「母上……」
アズラル様の瞳が、濡れて光る。
「それでも、アズラルを生んだことは、私の一番の喜びよ……。あなたには、とても苦労させてしまったけれど……。だからこそアズラルが“愛”を選んだことがうれしいわ」
フローラ様が、深く息を吸った。
そして壊れそうなほど繊細な微笑みを浮かべられた。
「……二人で、幸せになって」
その柔らかい言葉の重さを、私は深く心に受け取った。
◇◇◇
帰りの馬車の中で、アズラル様が言われた。
「母上の昔話、初めて聞いた……愛した人か……。どんな人だったんだろうな。もしその人と結ばれていたら、俺は生まれなかった。それを思うと複雑だけど」
アズラル様は、窓から空を見上げていた。
「幼い頃から、俺は、ずっとあまり母上に会うことが許されなかったんだ。乳母や家庭教師に囲まれて。父上は、もう長いこと意思疎通も取れないし……いや、初めからだったかな」
「アズラル様……」
王室の跡継ぎ故のご不自由に心が痛む。
「でも……お陰で、母上に忌まわしい病がうつらなくて良かった」
アズラル様は、目を閉じて小さく呟いた。
向かいの席から私の横に座り直したアズラル様が私に体を預ける。
私は黙ってそれを受けていた。
◇◇◇
それからすぐ、先王様が亡くなった。
葬儀は、粛々と執り行われた。
死因は、心不全と発表された。
葬儀に伴い、先王様の愛妾の女性たちも、一斉に王宮を出された。
中には、アズラル様に取り入ろうとしてくる人もいた。
「アズラル様。私、あなたの望みどおりにお仕えいたしますわ」
甘い口調と、豊満な肢体を見せつけるように取りすがる。
「必要ない」
アズラル様は、珍しく強い口調で手を振り払った。
一番長く権勢を誇った女性は、賜った宝石も私財も没収されることになった。
多くの貴族を相手に詐欺まがいの行為もしていたそうだから、仕方ない。
一人栄華を背に去っていく女性の後ろ姿は、酷く小さく見えた。
女性の体には、先王様と同じ皮膚の症状が見られていた。
◇◇◇
先王様の葬儀の後、ムーナ様とお話しする機会があった。
お互い忙しすぎて、遠くからお顔を拝見するだけだったから、私から声をお掛けした。
「ムーナ様、以前はご挨拶もせず消えてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、私は全然構わんよ。アズラル様は発狂ものだったがね」
思い出したように笑われる。
「先王様の治療、最期まで大変だったでしょうね」
ムーナ様は宮廷医総監だから、先王様の治療の全責任を負っておられた。
二十四時間の対応。心労、いかばかりだったか。
「まあ、全力は尽くしたさ。精霊の祝福も消えていたし、もった方だ。パル嬢ちゃん……あ、いや、“王妃様”だったな」
ムーナ様が、いつも通り光る頭を撫でながら目を細める。
「いやだ、やめてくださいよ。ムーナ様〜」
「……最初から、分かっていたよ。私はとても有能な医者なんだ」
ふふっと、ムーナ様が笑った。
「え?」
「アズラル様の心の特効薬が王宮に送られたことを。お父上の天国からの仕事かな」
「ムーナ様……」
ジンと胸が熱くなる。
「ありがとうございます」
ムーナ様がいらっしゃらなければ、私はここにいないし、宝帯も返せなかった。
人の縁はなんてありがたいんだろう。
特効薬……?
薬と言えば、あれ?
何か疑問が残った。
「ムーナ様、そう言えば惚れ薬なんですけど……」
「まあ、思いを強くするのがせいぜいだ。人の熱情の常としても、0は1にはなるまいよ。一時的に4が5にはなるかもしれんが」
ムーナ様は、ニヤリと笑った。
その後、ずっと聞きたかった、父との同僚時代の思い出話を、ムーナ様に聞かせてもらった。
「私は、元来頭が固い人間でね。決まった通りにするのが良いと信じていたんだ。君の父上は“その人が救われることが一番で、効果があるなら手段は選ばない”という人だった。長年の経験による知識の積み上げも素晴らしかった。
最初は衝突もしたさ。私たちの世界では、成果を競うところもあったが、父上は何一つ隠すこともなく見せてくれた。プライドなんて、人の命の前には、何の役にも立たないってことを学んだよ。叙爵されても偉ぶること一つなかった」
聞きながら、私は涙が止まらなかった。
私は、父の誇りになれたかな……。
ムーナ様と私は、並んでバルコニーから紺碧の空を見上げた。
◇◇◇
そして、紺碧の瞳の王……。
「いよいよ、明日だな。パルがまた逃げ出すんじゃないかと、心配で心配で」
アズラル様が私に後ろから抱きついてぼやいている。
明日は、私たちの結婚の儀。
「何度も、逃げ出そうと思いましたけどね……」
私はため息をつく。
王妃教育の厳しさは、想像を超えていた。幾度地獄に突き落とされた気分になったか。
懸念されていた私の身分の問題も、アズラル様のお母様、王太妃フローラ様が、ご親戚と養子縁組を結んでくださった。
庶民の私が王妃になることへの反対意見はまだ消えていないとは思う。
でも私は、庶民ゆえ、国民生活への理解には自信がある。
王太妃様は、私の慈善事業への熱意も買ってくださった。
ずっと慈善事業に取り組まれたかったそうだが、先王様に禁止されていたとのこと。
一緒に孤児院や、無料診療所などの運営や計画に携わることを楽しみにされている。
困難も多いかもしれない。
怖くないとは言わないけれど、それでも逃げたくない。
アズラル様が、私の手を取って、甲に口づけをする。
「パルを、必ず幸せにするから」
国王として政務に励むアズラル様の瞳は、愛と自信に溢れ、天藍に輝いている。
「もう幸せにございます」
私は微笑んだ。
オーロラの白い月が、空に浮かんでいた。
アズラル陛下と、この国と共に、私は生きていく。
(完)
アズラル編後日談も完結です。ありがとうございました。書いていくうちに粘着質になっていました。
各章後日談(IFルート)が続きます。




