軍人マディラと泥棒娘の見合い特訓③武人の魂と湖の誓い
マディラ様が欲しいと言われた剣の手入れ道具を見に行って、二人で歩いていると、教会の前に来た。
その教会は地域で一番歴史がある大きな教会で、礼拝がおこなわれていたらしく、多くの人が出入りしていた。
「マディラ様?」
若い女性が声を掛けてきた。
栗色の髪に白い肌の、細く上品な女性。十代後半だろうか。
華美ではないが質の良い衣服をまとい、お付きの人が数人ついている。
マディラ様は記憶を辿っているようだが、目が泳いでいる。
たぶん、どなたなのか思い当たらないのだ。
相手の女性は、明らかに好意的な視線を向けているのに。
まずは女性に興味を持たないと、縁も遠くなってしまうのは当たり前だと思う。
女性もそれに気付いたようで、柔らかく微笑んで言った。
「バイル家の、シリアでございます。先日、おいでになった時お会いしました」
「あ、ああ。バイル伯爵家の……」
シリア様のお兄様は、マディラ様の上官らしい。
「いつも兄からマディラ様はとても誠実で素晴らしい方だと聞いておりましたの。お会いできてうれしいわ」
「……はあ」
シリア様はにこにことおっしゃるが、マディラ様は落ち着かない様子でキョロキョロしている。
心の中で応援しながら少し後ろで見守っていると、マディラ様が、
「あ……」
何か思いついたように声を出した。
「……いい……天気ですね。雨は……降らなそうだ」
「そうですわね」
シリア様は、にっこり笑った。
マディラ様は、いろいろ考えているのは伝わるけれど、それ以上会話が出てこない。
ただでさえ見上げるほど大きな体なのに、緊張で表情が固まると、知らない人には威圧しているように見えてしまう。
その誤解されやすさが、不憫でならない。
シリア様は、お兄様も軍人ということで慣れているのか、にこにことマディラ様の言葉を待っていたが、お付きの人に促されて、
「また、お会いしましょう」
と去って行ってしまった。
マディラ様は、まだ落ち着かない様子で汗をかいている。
「素晴らしいです。マディラ様」
(とても、頑張りましたよ……)
私は、心から労った。
◇
私は軍事関係の時事について少し勉強することにした。
マディラ様との会話の糸口にもなるし、雇用主の状況を理解することは役に立つかもしれない。
我が国タンライト王国は、ヘマイト、サンスーン、クロマの三つの国に囲まれている。
「クロマ公国は、友好的なのですよね?」
私は、地図を見ながらマディラ様にお尋ねする。
「クロマは、小国ながら十分な資源をもっているし、信仰にも厚い、穏やかな国民性だ。ここ五十年は国交も安定しているな」
「サンスーンは、王妃様の母国でいらっしゃいますね」
「ああ。代々姻戚関係を結んでいるし、鉱物や農作物など交易も活発だ」
「あとは、ヘマイト王国ですね……」
その言葉で、マディラ様は微かに眉をひそめた。
「ヘマイトとの間の高地に、我が国は幾度も救われている。それでも国境付近では毎日のように小競り合いが起きている。我が国の要塞都市のマグネタもそのためにあるようなものだ」
「マグネタはどのようなところですか?」
「城砦は険しい岩山と渓谷に囲まれて、厳しいところだ。山脈を越える唯一の街道が通っているから、商隊や鉱山労働者が必ず立ち寄るし、最近は野盗も増えていると聞く。市街地もあるが、民間人はあまり外出もできない状況らしい」
「危険ですね……」
「ああ、だが国防の最前線だ。マグネタが落ちれば、ヘマイト軍は平野部まで一気に侵攻できる。だからこそ、歴代でも優秀な武人が赴任してきた」
「マディラ様が任命されることもあるのですか?」
「今のところはないgあ、あれば名誉なことだ」
「マディラ様……」
マディラ様の青く澄んだ瞳。
美しいけれど、少し不安になる。
身を犠牲にして職務に尽くされる方々のお陰で平穏な生活が守られているのは分かっているけれど。
◇
次は、マディラ様が行きたい場所にお出かけをすることにした。
「どこが良いですか?」
私が尋ねると、マディラ様は少し考えて「山」と言った。
馬に乗ったマディラ様は、私を前に座らせた。
さすが、王国親衛隊中尉。
颯爽とした手綱さばき。
風を切って飛ぶように走る。
大きな体に支えられ、高い場所から見る景色は、夢のように流れた。
その山は、思ったよりも険しかった。
訓練で行ったことがあると聞いていたから、ある程度覚悟をしていたけれど、岩が切り立っていて、地形の凹凸が激しい。
馬を途中で木につなぐ。
つまり、徒歩じゃないといけない場所。
しかも、マディラ様の足はめちゃめちゃ速いのだ。
ズンズン進んでいく。
私は体力には自信があった。植物採取に山に行くことも多い。
でも、マディラ様の足にはとてもついていけない。
必死で追いかけたけれど何度も見失いそうになる。
さすがに、このままでは、はぐれてしまう。
「マディラ様!」
息も絶え絶えに後ろから声を掛ける。
マディラ様が、振り返って戻って来る。
「あの……もう少しゆっくり、お願いします……」
「ああ。すまん。歩度が速すぎたか。君の速度を見誤った」
少ししゅんとした様子で、マディラ様は私に合わせて歩いてくれるようになった。
女性に慣れてないだけで、本当は優しい人なんだと思う。
お話すると必ず受け入れてくれる。
途中で、持参したサンドイッチとお茶を広げた。
小さな野草が愛らしく咲いている草地の石の上に腰掛けた。
「ピクニックですね」
サンドイッチを差し出すと、マディラ様は少し驚いた表情をする。
「ピクニック?」
「こうやって、自然の中でのんびりご飯食べることです」
マディラ様は、しばらくサンドイッチを眺めて、周囲の景色と私を見た。
「行軍中の食事は補給でしかないから」
「のんびり食べると、きっとお家で食べるより美味しいですよ」
私が笑うと、マディラ様はサンドイッチを一口かじった。
「……卵だな」
私がケーキの感想を求めたことを覚えているのだろう。
思わず笑顔になってしまう。
失礼ながら、かわいい。
山々を風が渡る。
高い青空。
緑に、マディラ様の赤褐色の髪が映えていた。
歩きながら、会話をした。
「軍というものは、やはり大変なのですね」
「……軍務には、命は掛けている。いや、命というより、武人の魂だろうか」
「魂ですか……?」
「命は、死とともに消えるが、魂は永久に残ると私は思っている。永久にこの国や人々を守りたい」
マディラ様の髪を、風が吹き上げて、青い瞳に空が写っていた。
命を賭けた毎日の鍛錬は、どんなに過酷だろうか。
私は、そんな誇り高い武家に盗みを目的に入っている。
何て、業が深いのだろう。
「ここ……?」
マディラ様が、来たかったという場所にたどり着いた。
山間にある、小さな湖。
透き通った湖面に青空が鏡のように映って、とても幻想的だ。
「素敵……」
思わず感動の声が漏れる。
私たちの髪や服を巻き上げる風が、湖面へと渡る。
針葉樹と野草の爽やかな香りが流れる。
湖面の空に波紋が立つ。
マディラ様が、私を見つめて言った。
「……見せたかった」
きっと、過去に見た景色の中で考えてくれたのだろう。
「とても嬉しいです! ありがとうございます!」
「以前、行軍で来たんだ。男だけだったし、景色を楽しむ気持ちはなかったが、君と見たら違うのではと思った」
空からの風が、山の木々から湖面へ、また木々へと吹き抜ける。
壮大な光景に、風は目に見えるのだと、初めて思った。
「きれいですね……」
マディラ様が、ホッとしたように少し微笑んだ。
「気に入ってもらえてよかった……」
ぎこちない、そのはにかんだ笑顔が心をくすぐった。
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