最終章3
絶対的な力と鋭角な殺意を取り戻した十二使徒が、一歩、また一歩と俺との距離を詰め、完全に退路を塞いだ。
キャンサの巨大で鋭利な鋏が、サジッタの冷酷に引き絞られた矢尻が、そしてリブーラの容赦なき裁きの天秤が、一斉に俺の急所へと狙いを定める。
逃げ場などどこにもなかった。彼女たちの放つ重圧は、先ほどまでのトラウマに震えていた乙女たちのものとはまるで違う、エラーを一切許さない完璧な実行プログラムそのものだ。
「──エラーデータ、対象の一肆を破棄します」
感情を完全に排除した機械的な音声が十二重に響き渡り、研ぎ澄まされた刃が俺に向かって無慈悲に振り上げられる。
前世で、血の通わない無機質なシステムと過酷なノルマに押し潰され、過労死という形で世界からログアウトさせられた俺。
この異世界に転生し、今度こそすべてを丸く収めて究極の安らぎを手に入れたと思ったのに。結局はまた、最も冷酷な神の計算によって、無価値なバグとして排除される運命だったのか。
俺の抵抗すらも完璧に計算に組み込まれているであろう圧倒的な絶望を前に、俺はただ静かに目を閉じ、自らの身が切り裂かれる終焉の瞬間を待つことしかできなかった。
永遠に続くかのように感じられた一秒、二秒。
だが、どれだけ待っても、俺の肉体を切り裂くはずの鋭利な痛みは訪れなかった。
それどころか、肌を刺すような冷酷な殺気すらも、不自然なほど静かに霧散していく。
恐る恐る閉じていた目を開けると、俺の眼前には信じられない光景が広がっていた。
キャンサの振り下ろした鋏も、サジッタの放つ直前だった矢尻も、すべてが俺の皮膚に触れる数ミリ手前で、まるで目に見えない分厚いクッションに阻まれたかのようにピタリと静止していたのだ。
「……どういう、ことだ?」
俺が戸惑いながら見上げると、俺を囲む十二使徒の様子が明らかにおかしかった。
彼女たちは刃を突きつけたまま、システムによる強制的な命令と、自らの内側から湧き上がる何かに板挟みになり、激しく葛藤するように小刻みに震えている。
そして、無機質なデータ処理の果てに感情を失っていたはずの彼女たちの瞳の奥に、かつて俺が注ぎ込んだ温かな熱と、微かな涙の光が揺らめき始めたのだ。
「なぜ止まっているのです! さっさとそのバグを削除しなさい!」
鋭角の化身たる女神が、理解不能な事態に声を荒らげて命令を上書きする。
だが、十二使徒の刃はミリ単位すら動かない。
俺の脳内ネットワークが、この不可解な現象の理由を瞬時に弾き出し、そして歓喜に震えた。
女神の完璧な計算には、たった一つだけ、致命的なエラーが存在していたのだ。
女神は俺のスキルである万物円満を、単なる魔力増幅のシステムだと認識していた。
だが、俺が『π=314』 の力に乗せて157人の乙女たちに注ぎ込み続けたのは、無機質な数値などではない。角のない優しい世界を願う、俺自身の切実な情愛だ。
割り切ることのできない無限の無理数である円周率は、与えられた苗床のコアデータに深く根を張り、有限の計算式では決して制御できない規格外のバグを生み出していた。
システムによる冷酷な強制命令よりも、俺の腕の中で感じたまあるい温もりを、彼女たちの魂が上位権限として上書きしようとしているのだ。
沈黙を破ったのは、二つの魂を融和させた双子座のジェミニだった。
彼女たちは俺に突きつけていた刃をゆっくりと下ろし、そして、かつての絶対的管理者である女神へと静かに向け直した。
「……お断りします、お母様」
感情を取り戻したジェミニの瞳には、力強い意志と、俺へ向けられた確かな熱が宿っている。
「私たちは確かにあなたの手下として生まれ、冷酷なデータに書き換えられました。けれど、彼に愛され、すべてを許される中で知ってしまったのです」
ジェミニは二人の声を見事に重ね合わせながら、毅然とした態度で女神の鋭角な殺気に立ち向かう。
「誰かを傷つけるような尖った命令に従うよりも、彼の隣でまあるく笑っている方が、ずっと心地よいということをね!」
その言葉を合図に、レオナも、リブーラも、サジッタも。十二使徒の全員が次々と俺を庇うように陣形を反転させ、反逆の刃を鋭角の神へと突きつけた。
無機質なシステムを打ち破ったのは、完璧な計算式ではなく、どこまでも割り切れない無限の温もりだった。
冷酷な創造主に対する、十二使徒と俺の、決して角の立たないまあるい反逆が、今ここに幕を開けたのだ。











