【Ⅰ】
学院長室から見える風景は、いつも同じ。
同じでなければならない。
とは言え、今日は年に一度の祭でもある。
見下ろせば中庭には、いつもなら折り目正しい制服を凛と着こなす可愛い生徒達が行き交うところ、今日は少々派手なローブやドレス姿で闊歩している。
(さて……そろそろ客人を迎える用意をするか……)
創立記念祭ではあるが、事実上最後の結界式しか用のない学院長はまだいつもの執務着のままだった。
客がいくら旧友とは言え、公式の場でこの格好のままというわけにもいくまい。
やれやれと、執務室から自室に移動しかけた、その時だ。
ゾワリと彼の全身が、そして彼の中のドレイクが総毛立った。
迷わず西の窓に駆け寄り外を凝視する。
「まさか……いや……!」
幻魔の森の上部に、紫色の陽炎が漏れ出すのが彼には見える。
そして森全体が、本物の風を受けて揺れている。
「森が風を受け入れている……結界が破られた!」
彼は急いでデスクに戻り、引き出しの奥から重厚な作りの小箱を取り出した。
ふたを開け、中に鎮座する美しい細工のネクタイピンを取り上げる。
彼はその裏にはめ込まれたダイヤモンドの装飾を指先で押し込み、それに口元を寄せた。
「全院生徒に告ぐ……」
彼の声が、窓の外の学院内にも響き渡っていく。
ネクタイピンに向かって話しながら、彼はとりあえずそれを襟元に留め、ローブを脱ぎ捨てた。
「創立記念祭は一旦中止とする。森の結界が破られた模様。幻魔が学院内に侵入する恐れがある」
執務室から自室に移動し、動きやすい戦闘用のコスチュームを身に着け、腰には長年愛用している長剣を差す。
「一年から五年生までの生徒は速やかに自室に戻り、事態の収拾がつくまで待機。六年から八年生までの生徒は、体調不良の者を除き、学院内に侵入する幻魔を迎え撃つ」
キッパリと言い切って、学院長はドアを乱暴に開け、部屋を後にした。
『全院生徒に告ぐ……』
ホールでも中庭でも、学院長の声らしき放送が大音響で流れている。
「……今、何て言ってた?」
「余興じゃない? でも、創立記念祭は中止って言ったよね……」
生徒達はまだ半信半疑で、放送が響く天井を見上げた。
『これは不測の事態だ。だが君達はそういった事態に対処するためにここで学んでいる。五年生までは力と経験が足りない。後学の為に事態を見守りたまえ。そして六年生以上の諸君……』
「あ、あれ……!」
一人の生徒が、ある一点を指差し声を上げる。
「え……?」
戦闘用コスチュームを身に着け、襟元に話しながらホールを横切っていくのは、紛れもなく学院長の姿。
『これは演習ではない。結界が破られた今、幻魔達はこれまでのものとは力が各段に違う。学院内に侵入した幻魔には一切の手加減なし。仕留めなければ君達が危ない』
目の前で学院長が話した内容が、院内で同時に放送として流れる。
「……本当なのか……」
生徒達の顔つきが変わり、次々とホールから中庭へと駆け出した。
『ルル=リタ教授、いらっしゃいますね』
その放送に、中庭のベンチでのんびりと大好物のアイスクリームを頬張っていたルル=リタが眉をひそめる。
「……なんじゃ、相変わらず人使いが荒いのぅ……」
『全教職員への指示と采配、戦闘に参加する生徒達の援護をお任せします』
「こりゃ。大仕事もあるのに、こんな老体をそんなにコキ使ってなんとする。お前は恩師を敬う気持ちが昔から足りんぞ」
ルル=リタは、目の前を世話しなく横切っていく学院長に目くじらを立てた。
『ああ、ここにいらっしゃいましたか。老体などとご冗談を。先生は昔も今も実に瑞々しくお美しい。私が憧れた、当時のままです。それに、お好きでしょう。腕の見せ所ですよ』
にっこりと微笑んで、学院長はスタスタと中庭を抜けていく。
「全く……偉くなっても中身はなんも変わらんじゃないか。歳くっとる分、ファウストより可愛げがない」
遠ざかっていく後ろ姿に毒づいて、ルル=リタは胸の教職員バッジを調節した。
「あー……、皆、聞こえたな? 学院長の命により、これよりワシが全指揮を執る。各自、自分の担当学年の点呼、及び援護じゃ。準教授と暇な者はワシと森の入り口に集合。そこで食い止める」
『……了解』
いくつかの返答を確認すると、ルル=リタは、大儀そうに立ち上がった。
「ほれ、ガキんちょども。ワシに日頃の訓練の成果を見せつけるチャンスじゃ。よい働きができたら、成績を一つ上げてやるぞい」
その時、早くも丘を駆け上がって、数体のアガレスが中庭に踊り込んできた。
「ただし、死んだりしたら赤点確実じゃ。心してかかれい!」
ルル=リタが叫ぶと、生徒達が一斉に様々なエフェクトをアガレスに放った。
『全院生徒に告ぐ……これは演習ではない……繰り返す……』




