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『サラリーマンパグ吉 ~今日も尻尾は上がらない~』  作者: 水前寺鯉太郎


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第53話:ベンガル社長の怒りと、タイパ至上主義

第53話:ベンガル社長の怒りと、タイパ至上主義

(投稿日:2027年4月2日)

 4月2日、金曜日。

 今日は、俺のOJTにつくことになった新人チワワ・野田を連れて、長年お世話になっている既存顧客への「春の挨拶回り」に出かけていた。

 春風とともに舞う花粉が顔の深いシワに入り込んで痒みを引き起こす中、俺は愛用の電動アシスト自転車のペダルを泥臭く漕いでいた。一方の野田はというと、街角で借りた最新の『シェア電動キックボード』に乗り、涼しい顔で俺の横を並走している。すでに移動の時点から、昭和・平成のサラリーマンとZ世代の残酷なギャップを見せつけられていた。

 向かった先は、新進気鋭のIT企業。ここのトップであるベンガル社長は、気位が高くスマートな『猫型獣人』だ。群れて泥臭く働く俺たち犬型獣人とは対極の、個人主義で洗練された種族である。

「社長、本年度も弊社の複合機と保守サービスを、何卒よろしくお願いいたします」

 俺がパグの短い首を深く折って挨拶する横で、野田はキックボードから降りるなり、

「ちわッス。1課から配属になった野田ッス。よろしくお願いしまァす」

 と、まるでコンビニにでも入るような軽いノリで頭を下げ、あろうことか名刺交換の最中に、ポケットで鳴ったスマホの通知をチラリと確認したのだ。

 ——終わった。

 俺の背筋を、春先とは思えない冷たい汗が伝い落ちた。

 ベンガル社長は、その切れ長の目をスッと細め、口元の立派なヒゲをピリピリと震わせたが、その場はなんとか取り繕って商談を終えた。

 だが、帰り際に案の定、俺だけが社長室に呼び戻された。

「……なんにゃ、あの新人の犬は。立ち振る舞いから言動まで、完全にうちを舐めてるように見えるニャ。お宅の会社はどういう教育をしてるんにゃ?」

「フ、フゴォォッ……!! 申し訳ございません!!」

 俺は即座に、パグ特有の『目元が深く落ち窪んだ、生まれつきの反省顔』を全開にし、シワだらけの顔を社長室の絨毯に擦り付ける勢いで深く頭を下げた。自分がミスをしたわけでもないのに、後輩の無礼の全責任を負ってひたすら謝罪する。これぞ、中間管理職の最も泥臭く、最も惨めな仕事である。

「……はぁ。山田君のその悲壮な『反省顔』と、いつもの丁寧な保守対応に免じて、今回は目をつぶるにゃ。君のことは信じてるからにゃ」

「あ、ありがとうございます……ッ!」

 長年積み上げた泥臭い信頼と、パグの顔面に助けられ、なんとか契約解除の危機を免れた。

 会社への帰り道。

 キックボードに乗ってスマホをいじっている野田を呼び止め、俺は先ほどの無礼な態度を厳しく注意した。

「野田! お前、お客様の前でスマホを見るとは何事だ! 社長がお怒りだったぞ!」

 すると野田は、大きな目を瞬かせ、少しふてくされたように口を尖らせた。

「いや、急ぎの連絡かと思っただけッスよ。ていうか、そもそも既存の客にわざわざ足を運んで挨拶するとか、タイパ(タイムパフォーマンス)悪くないッスか? そんなのメール一斉送信で十分じゃないスか」

「…………フゴォ」

 俺は、深いシワの奥に溜まった花粉の痒みと、圧倒的な価値観の断絶に、眩暈を覚えた。

 効率とタイパを重視するZ世代の狂犬に、泥臭い人間関係の構築をどうやって教えればいいというのか。

 新年度からいきなり突きつけられた重すぎる課題に、俺の股の間に挟まった短い『巻き尾』は、すっかり生気を失い、ペタリと悲しげに垂れ下がっていた。

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