第42話:寝坊の代償と、黄金のジャーキー会員証
第42話:寝坊の代償と、黄金のジャーキー会員証
(投稿日2026年8月21日)
8月21日、金曜日。2週間の夏休みが明け、今日から仕事復帰だ。
……だというのに、俺はまたしても大やらかしをかましていた。
「……ッ!? な、7時……!?」
目覚まし時計を5時にセットしていたはずなのに、跳ね起きて時計を見つめた瞬間、血の気が引いた。
昨日のスーパー銭湯の休憩ルームで夕方に爆睡してしまったツケが回り、自分の布団に入っても目が冴えて朝の2時過ぎまで眠れなかったのだ。「寝なきゃ」と焦れば焦るほど目が冴える、あの地獄の螺旋である。
ボサボサの被毛を濡れタオルで整え、シワの奥を急いで洗うと、俺は身なりを整えて部屋を飛び出した。
いつもなら電動アシスト自転車でゆっくり向かうところだが、今日は時間がない。やむを得ず飛び乗ったJR呉線の朝の満員電車は、まさに処刑場だった。
人熱気と高湿度が充満する車内で短足の膝を固め、周囲の大型獣人たちの体躯に挟まれながら、俺の狭い気道は「ヒューヒュー」と悲鳴を上げていた。
命からがら本社ビルへ滑り込むと、エントランスで警備課のドーベルマン隊長がヌッと立ちはだかった。
「……山田。今日、定時後は空いているか?」
「……1課の狂犬チワワどもの不始末がなければ、空いてますが」
「そうか。……『ジャーキー亭』へ行くぞ」
「……フゴッ!?」
夕方。奇跡的に1課のチワワどもが特大のボヤを起こさず、俺は夏休み明け初日を珍しく『定時』で終えることができた。
俺とドーベルマン隊長は、約束通り男二人で名店『ジャーキー亭』へと向かった。
香ばしい燻製の煙と熟成肉の旨味が充満する店内に案内され、席に着くなり隊長が胸ポケットからスッと何かを取り出した。
それは、店内の照明を反射して眩しく輝く、一枚の金属カードだった。
『ジャーキー亭 VIPゴールド会員証』
「……た、隊長!? ゴールド会員ですか!?」
俺がしばらく来ない間に、ドーベルマン隊長のジャーキーポイントはとんでもない域に達していたらしい。
コワモテの隊長は、鼻先をかすかに誇らしげに高く掲げ、「ふ……毎週通っていたからな」と不器用なドヤ顔を決めた。
ゴールド会員の特典として運ばれてきたのは、通常メニューにはない『特選厚切りビーフジャーキー』の盛り合わせだ。
俺は両手の分厚い肉球で箸を不格好に挟み込み、ジャーキーを掴んで口へ運ぶ。
だが、犬種最弱クラスの平らな歯を持つ俺の顎では、弾力のある厚切り肉など到底噛み切れない。
「フゴォォッ……ンンッ……」
ジャーキーを咥えたままブルドッグのように首を振り、無様に格闘している俺を見て、ドーベルマン隊長は静かにため息をついた。そして無言で店員を呼び止め、キッチンバサミを借りると、俺の皿のジャーキーを細かく食べやすいサイズに切り分けてくれた。
36歳にもなって、コワモテの上司に肉を小さく切ってもらうこの惨めさ。
だが、恥を忍んで細かくなったジャーキーを口に放り込むと、噛むほどに凝縮された肉の濃密な旨味と燻製の香気がお口いっぱいに広がり、冷たい特注デカフェ茶で流し込むと、睡眠不足の脳が歓喜で覚醒していった。
「……うまい! やっぱりゴールドの肉は違いますね、隊長!」
「……フッ、そうだろう」
寝坊の冷や汗と満員電車の地獄で始まった、夏休み明けの初日。
黄金の会員証と、香ばしいジャーキーの肉汁、そして上司の不器用な優しさに包まれながら、俺の股の間に挟まった短い巻き尾は、今日一番の機嫌の良さでパタパタと揺れていた。




