第4話:極寒の冷気浴と、深夜のオフィス
第4話:極寒の冷気浴と、深夜のオフィス
「この特命を乗り切って、会長に最高級の『本物の肉』を奢らせてやる……。猫型への横流し品でも何でもいい、絶対に食ってやる……!」
限界を迎えた空腹と胃の痛みを抱え、俺は背水の陣で調査を開始した。
とはいえ、社内で探偵のように動き回れば一発で不審者扱いだ。俺は「仕事が遅くて連日残業を命じられている無能な平社員」という完璧なカモフラージュを盾に、デスクのモニターの影から経理部長・佐々木の動向を監視し続けた。
だが、相手は百戦錬磨のエリート。終日デスクで不敵な笑みを浮かべて指示を出すばかりで、巧妙に隠蔽された不正資金の尻尾は一向に掴めなかった。
すっかり夜も更け、心身ともに疲弊しきった俺は、メールボーイ兼・影の相棒であるペキニーズの田中を誘い、港から吹き込む潮風が冷たい臨海地区の『短頭種専用・極寒冷気浴サロン』へと向かった。
「……ふぅ……効く……」
室温マイナス5度に保たれた氷の部屋の最下段に並んで腰を下ろし、俺たちは揃って長い舌をダラリと出す。
全身に汗腺を持たない俺たち犬型獣人にとって、高温のサウナは命を落としかねない危険地帯だ。特に気道が潰れているパグやペキニーズは、この極寒の空気を直接気管に通して体熱を逃がす「冷気浴」でしか、過熱した脳と身体を正常にリセットすることができない。
ふと横を見ると、田中の豊かな被毛の隙間から、バキバキに引き締まった大胸筋が覗いているのに気づく。
(……田中、社内便の重い荷物を毎日運んでいるだけであそこまで絞れるのか。だが、俺のこの重厚なパグ腹も、長年の泥臭いクレーム処理と土下座で鍛え上げた精神的耐性という意味では負けていない……はずだ)
密かな対抗心を燃やしていたその時、分厚い扉が開き、寒がりの猫型獣人の従業員が入ってきた。彼は優遇層特有の悪びれない顔のまま、「失礼しまーす」と暖房用ヒーターの温度設定ダイヤルを一気に最大まで回した。
「……ッ!?」
一瞬で死線が走った。寒さに弱い猫型にとっては適温でも、俺たちにとっては生態的な暴力だ。室温が急上昇し、短頭種の狭い気道に熱風が飛び込んで肺が焼けそうになる。
俺と田中は示し合わせたように氷の部屋から転がり出ると、緊急冷却シャワーのボタンを乱打し、頭から冷水を浴びて極寒の水風呂へと肩まで飛び込んだ。
――きんっ。
急激な温度変化が、狂いかけていた全身の血流と過熱した気管を強制的に鎮めていく。
冷水が火照った身体を引き締め、顔の深いシワの奥まで水滴が染み渡ったその刹那――俺の頭の中で、バラバラだった不審な数字のピースが完璧に噛み合った。
(……待てよ。佐々木のパソコンにあった、あの不自然な小口送金の羅列……。若松、住之江、大村……これ、全部公営競技のオンライン投票口座じゃないか……!)
極寒の冷水が、俺の脳内にこびりついていた思考のモヤを完全に吹き飛ばしてくれた。同時に、致命的な事実に思い至る。
(架空のコンサル料としてプールした裏金を、昼間のうちに公営ギャンブルの舟券購入に突っ込み、本命決着で的中払戻を繰り返す。そうやって「汚れた金」を「合法的な払戻金」に資金洗浄しているんだ。そして夜間の銀行システム一括バッチ処理――深夜1時ちょうどに、綺麗になった資金が大型猫型獣人のダミー口座へ全額送金される。佐々木は今夜、会社に残ってその最終承認操作をやる気だッ!)
水風呂の水面に映る俺の顔からは、いつもの情けないマスコットのような愛嬌は消え去っていた。
「……整った。行くぞ田中」
俺は立ち上がり、パグ特有の弛んだ皮膚ごと水滴をぶるぶると全身で振り払った。時計の針は深夜零時半を回ろうとしていた。タイムリミットまであと30分。
「山田係長、自分も行きますッス!」
濡れたタオルを首に巻いた田中が、鋭い眼光で頷く。
俺たちは夜のベイエリアへ飛び出した。冷たい港風を切り裂き、短足を全力で回して暗闇のオフィス街を疾走する。
深夜の本社ビル。当然、正面ゲートにはあの厳格なドーベルマン隊長が立ち塞がっているはずだ。何の権限もないヒラ社員が深夜に突入すれば、問答無用で叩き出される。
(……だが、隊長の『弱み』なら知っている。フェイクミートの特盛のためなら、あの男は数分間だけ目を瞑るはずだ……!)
すべての不条理に決着をつけるため、俺たちは決死の覚悟でそびえ立つ本社ビルへと突撃した。




