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『サラリーマンパグ吉 ~今日も尻尾は上がらない~』  作者: 水前寺鯉太郎


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第38話:特売卵の合戦と、となりのロッキー

第38話:特売卵の合戦と、となりのロッキー

(投稿日2026年8月17日)

 8月17日、月曜日。夏休み11日目。

 今日も午前中は、冷房の効いた部屋で積み上がったDVDの消化に充てることにした。

 観たのは、俺が心底リスペクトするトム・クルーズ主演の映画『ラストサムライ』、そして立て続けに『ミッション:インポッシブル』だ。

 サムライたちの命を賭した武士道と、どんな過酷なスタントにもスマートに挑む世界的スターの熱量に胸を熱くし、「俺もあんなタフな男になりたい」と男としての魂をじっくりと充填する。

 そうこうしているうちに昼時となり、腹が減って冷蔵庫を開けたが、中は綺麗に空っぽだった。

「……買い出しに行くか」

 8月半ばのギラつく太陽の下へ出かけるため、俺は愛用の電動アシスト自転車に日傘ホルダーをセットし、日傘を広げた。体温調節が極めて苦手な短頭種にとって、直射日光を遮り、ペダルを漕ぐ発汗を最小限に抑える電動自転車は命の綱である。

 向かった近所のスーパーは、月曜恒例の「卵の特売日」でごった返していた。

 特売ワゴンの人だかりへ近づくと、やはり見慣れたあの男がいた。隣人の田中である。

 ペキニーズの田中は、映画『ロッキー』に心酔しており、トレーニング後に生のタマゴをグラスに割り入れて一気に飲み干すという、奇怪な習慣を持っていた。犬型獣人が普通の生卵(白身)を大量摂取すれば、アビジンという成分のせいで深刻な脱毛症を引き起こす。そのため彼はわざわざ『獣人用にアビジンを無害化した、少し高価な特注生タマゴ』を狙って買いに来ているのだ。

 彼のエコバッグを覗くと、鶏ささみ、鶏むね肉、サラダチキン、無調整豆乳、そして大容量のホエイプロテインと、完全にビルダー仕様の高タンパク食材で埋め尽くされていた。

「……田中くん、相変わらずストイックだな」

「山田さん。タンパク質の補給は一瞬の遅れも許されません」

 無表情で言い放つ田中の横で、俺は特売ワゴンの戦場へと飛び込んだ。

「ちょっとごめんなさいね!」「1パック持ってくわよ!」

 群がるおばちゃん軍団の激しい肉弾戦と肘打ちの嵐。絶望的な短足のパグである俺の視界は、おばちゃんたちの腰から下の高さしかない。上からの押し合いでは勝ち目がないと悟った俺は、スクリーンの中のスタントを真似るように重心を極限まで低くし、おばちゃんたちの足元の隙間を泥臭く這いずるようにして突き進んだ。

「カハッ……! 命がけだぞこれは……!」

 押し潰されて気道をヒューヒューと鳴らし、足を踏まれながらも、俺は必死の思いで特売の卵パックを1個底から引き抜き、レジへと滑り込んだ。

 命からがら帰宅し、冷房の効いた部屋でヘトヘトになって畳に倒れ込む。

 銀幕のスターの華麗なアクションを観た直後に、スーパーの特売ワゴンでおばちゃんの股下を這いずるリアルな合戦を繰り広げる羽目になるとは。

 汗に濡れた首のシワを丁寧に拭いながら、俺の股の間に挟まった短い巻き尾は、無事に割れずに持ち帰った卵を横目に、安堵のパタパタを刻んでいた。

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