第33話:25歳の愚痴と、傾聴の反省顔
第33話:25歳の愚痴と、傾聴の反省顔
(投稿日2026年8月9日)
8月9日、日曜日。夏休み3日目の朝。
海での再会の際、おせっかいなシェパード副隊長経由で半ば強引にLINEを繋がれていた長女・なつみさんから、突然メッセージが入った。
『今日は非番なのですが、もしよろしければ少しお茶でもいかがですか?』
画面を見つめながら、俺は思わず首をかしげた。
警察署には、シュッとした凛々しい警察犬のシェパードや、体格のいいドーベルマンの同僚がたくさんいるはずだ。なぜよりによって、こんな36歳の中年肥満パグのおじさんを誘うのだろうか。
困惑しつつも身だしなみを整え、俺は首に保冷剤を巻き、日傘をさして電動アシスト自転車に乗り、命がけで猛暑の駅前カフェへと向かった。
「山田さん、お休みのところすみません!……あ、ここ、父から山田さんがデカフェのお茶好きだって聞いて探したんです」
案内されたのは、獣人専用の特注デカフェ茶を扱う洒落た和風カフェだった。
席に着き、超臨界抽出で渋みを抑えた冷たいデカフェ煎茶が運ばれてくると同時に、なつみさんの弾丸トークが炸裂した。
「もう聞いてくださいよ! 署の大型犬の先輩たちはプライドばかり高くて話を聞かないし、鑑識のチェックは厳しいし、犯人捜査の書類は山積みだし……!」
溢れ出すのは、警察組織という過酷な縦社会における怒涛の愚痴だった。
職場には格好いい同僚シェパードたちが大勢いる。だが、全員がライバルであり、上下関係の厳しい現場で彼らに弱みや愚痴を見せることは絶対にできないのだという。
「……ふむ、なるほど。それは大変ですね」
俺はデカフェ煎茶のまろやかな旨味を口に含みながら、ただ静かに頷き続けた。
パグ特有の、目元を深く落とした「生まれつきの反省顔」と「忍耐強い傾聴スタイル」。
おまけに今日は、黒川会長から処方された特効薬のおかげでシワの奥のマラセチア菌が大人しくしており、顔面の痒みに気を取られることなく完璧に話に集中できた。
俺が黙って神妙な顔で話を聞いているだけで、なつみさんには『自分の辛さを自分のことのように反省し、深く共感してくれている温かいカウンセラー』に見えているようだった。
小一時間ほどノンストップで喋り倒し、溜め込んでいた毒をすべて吐き出したなつみさんは、すっかりスッキリした爽やかな笑顔を取り戻していた。
「あぁ〜っ! すっきりした! 署の誰にも言えないこと、山田さんに聞いてもらえて本当に良かったです! 今日のところは、私がおごりますね!」
「えっ、いや、年上の俺が……」
俺が太い指先で財布を出そうとした瞬間、なつみさんは警察官の鮮やかな素早さで伝票を奪い、スマートに支払いを済ませてしまった。手際が良すぎて、手出しすらできない。
カフェを出ると、8月の呉のまとわりつくような熱風が濡れた鼻先を撫でていった。外の気候は相変わらず地獄のようだが、俺の心は不思議と晴れやかだった。
色恋沙汰でも、ロマンチックなデートでもない。
ただの若い警察官の『愚痴のゴミ箱役』。
けれど、誰かの心の重荷を少しだけ軽くしてやり、美味しいデカフェのお茶をご馳走になった。
36歳独身サラリーマンの夏休み。
こんな役回りも、まあ悪くはないか。
なつみさんの軽やかになった背中を見送りながら、俺の股の間に挟まった短い巻き尾は、静かに、優しく揺れていた。




