第32話:休日出勤の星印と、1課の危機
第32話:休日出勤の星印と、1課の危機
(投稿日2026年8月8日)
8月8日、土曜日。夏休み2日目の朝。
まどろみの中で熟睡していた俺の枕元で、スマホがけたたましく鳴り響いた。
「……はい、営業2課の山田です」
『山田さん!? 夏休み中に本当にすみません! 事務所の複合機が急に紙詰まりを起こして、エラー表示が消えないんです!』
電話の主は、長年お世話になっている既存の取引先の担当者だった。
せっかくの夏休みではあるが、俺に迷いはなかった。
「すぐ伺います。1時間ほどお待ちいただけますか」
二度寝の誘惑を断ち切り、冷たい水で顔のシワを洗う。だが、この猛暑の呉でパグがスーツなど着れば、客先に着く前に熱中症でミンチ肉になる。俺は風通しの良いアロハシャツに短パンという休日丸出しの格好に着替え、日傘をさして電動アシスト自転車に飛び乗った。
我が社において、休日の緊急アフターフォローは義務ではない。だが、この泥臭い即応こそが、後に大きな果実となって跳ね返ってくるのだ。
現場へ急行し、太い指先と短い腕、そして平たい顔面ごと複合機の中に突っ込んで、ローラーに挟まった異物を取り除いた。顔のシワに黒トナーが舞い散ったが、先日、黒川会長に教えてもらった皮膚科の特効薬を塗り込んでいるおかげで、以前のような狂いそうな激痛痒みまではいかない。ぬるま湯で流せば問題ないレベルだ。
「助かったよ、山田君! 休みなのにこんな格好で駆けつけてくれて、本当にありがとう!」
作業を終えた俺は、その足で無人の本社オフィスへと向かった。
営業フロアの壁には、8月インセンティブ強化月間の『実績ホワイトボード』が掲げられている。
我が社の評価システムは実に明快だ。
・飛び込み・交渉訪問=星1つ(赤マグネット)
・アフターサービス・保守=星3つ(青マグネット)
・新規成約=星5つ(金マグネット)
俺はデスクの引き出しから青い星型マグネットを取り出し、太い指先で自分の名札の横にカチッ、カチッ、カチッ、と3つ貼り付けた。これで今月のインセンティブ評価が確実に加算される。
ふと、他の課の星印に目をやると、現在の社内情勢が露骨に現れていた。
俺たち営業2課は、俺やレトリバーたちの地道なアフター(青星)の積み上げにより、堂々の首位をキープしている。
一方、今年新設された営業3課のトラ課長の欄は、無惨にも金星ゼロ。広島のカープファン企業にタイガースハッピで乗り込むという絶望的な空気の読めなさが祟り、完全に干されているのだ。
そして問題は……営業1課だ。
血走った目の狂犬チワワどもが血眼で駆け回っているため、訪問(赤星)のマグネットだけは盤面を埋め尽くす勢いで無数に並んでいる。だが、強引な威嚇営業が裏目に出て、成約(金星)やアフター(青星)がスカスカなのだ。行動量に対する成果が全く見合っていない。
(インセンティブ2倍の焦りで、1課の奴ら、何か無謀な暴走に走らなければいいが……)
焦りが空回りし、自滅の危機に瀕しているライバルたちの惨状に、俺は少しだけ胸が騒いだ。
静まり返ったオフィスを後にし、俺は夏の陽射しの中へと足を踏み出した。
せっかくの夏休みに汗とトナーを流した手応えと、手元に残る3つの青い星。
休日出勤の疲労感とともに、俺の股の間に挟まった短い巻き尾は、誇らしげにパタパタと揺れていた。




