第22話:どしゃ降りの徒労と、温かいイイネ
第22話:どしゃ降りの徒労と、温かいイイネ
(投稿日2026年7月16日)
木曜日の朝。外は呉の海から吹き付ける、横殴りの叩きつけるような大雨だった。
警報級の豪雨の中、社畜を出勤させるこの国と会社のシステムは、一体どんな拷問なのかと溜息が出る。
急いでレインコートを羽織って家を飛び出したものの、健康診断で発覚した「内臓脂肪レベルE」の樽のような腹がつっかえ、前方のボタンが全く閉まらない。パグ特有の狭い気道にとって、湿度100%の重い空気は死活問題だ。息を吸い込むたびに喉の奥がヒューヒューと鳴り、無防備にずぶ濡れになった腹とシワの奥がジワジワと痒みを主張し始める。
命からがら辿り着いた最寄り駅の電光掲示板は、案の定『大雨のため全線運転見合わせ』の赤文字。
諦めて振替のバス停へ向かうと、そこには雨宿りの通勤客が長蛇の列を作っていた。
押し込まれるように乗った超満員のバス内は、湿気と濡れた動物たちの体臭が充満する蒸し風呂状態。大型獣たちの強烈な濡れそぼった獣臭が密室に渦巻いている。短足の膝を水滴で濡らしながら、俺は必死で手すりにしがみつき、揺られること50分。ようやく会社の最寄り停留所へとたどり着いた。
腹も顔もずぶ濡れのネズミ状態で、本社ビルのエントランスに滑り込む。
だが、ロビーは薄暗く、静まり返っていた。
奥の警備ブースから、ドーベルマン隊長が重い革靴を鳴らして一人で歩み寄ってくる。
「……山田君。お前、こんな日に一体何をしに来たんだ?」
「……え? 仕事をしに、ですが……」
隊長は深く重い溜息をつき、ブースから持ってきた警備用の乾いた大型タオルを俺の頭にバサリと被せた。
「今朝6時半に、大雨警報による『全社自宅待機』の連絡が社内緊急通知アプリで流れただろうが。見てないのか? 本社にいるのは、エッセンシャルワーカーの俺たち警備課だけだ」
「……えっ!?」
「まったく。お前のアナログなドジには呆れるよ。ほら、風邪をひいて顔のシワがカビる前に、さっさと帰れ」
絶句した。
今朝は7時40分に跳ね起き、二度寝の余韻と大雨のパニックの中で、スマホの通知など1ミリも確認していなかったのだ。
帰り道。再びどしゃ降りの雨の中を、俺はただのトボトボとした足取りで駅へと引き返した。
往復2時間の苦しみ、ボタンの閉まらないレインコート、濡れたシワの痛痒さ、バス代――すべてが完璧な徒労。虚無感で頭の中が真っ白になった。
帰宅し、ぬるま湯でシワの奥まで丁寧に洗い、ドライヤーの冷風で湿気を完全に飛ばして薬用クリームを塗り込む。温かいデカフェのお茶を淹れた。
あまりの虚しさに、俺はこの「無駄すぎた大雨の出社劇」の顛末を、誰にも内緒でやっている匿名ブログに『社畜P』のハンドルネームでそのまま投稿した。
『大雨の中、死に物狂いで出社したら全社休みでした』
すると、投稿してから数分と経たないうちに、スマホの通知音が鳴り響き始めた。
『わかります! 私も昔やりました!』
『Pさんドンマイ! 今日は温かいお風呂に入ってください!』
『無事でよかったです、今日はゆっくり休んで!』
画面を埋め尽くす「いいね」の数々と、全国のどこかの誰かからの温かい励ましのコメント。
時間も体調も無駄にした、サイテーの休日。
けれど、画面の向こうの優しさに触れた俺の心は、じんわりと温かくなっていた。
「……よし。今日は思い切って、二度寝するか」
タオルケットに潜り込むと、俺の股の間に挟まった短い巻き尾は、今日一番の小さく幸せな揺れを見せていた。




