第2話:他人の火の粉はなぜか俺に降る
第2話:他人の火の粉はなぜか俺に降る
手元の緑色に輝く『フェイクミート・ジャーキー亭(大豆100%)』のVIP用ICカードと、俺の汗ばんだ顔を交互に見比べたドーベルマン隊長は、怒るどころか深く、重い吐息を漏らした。
彼の鋭い視線は、カードの裏面にデカデカと貼られた『特製骨付き肉(※大豆プレス肉)・1割引きまであと7ポイント』というアナログなシールに注がれていた。数秒の沈黙。隊長の眉間のシワがさらに深く刻まれ、俺は思わず息を止めた。
だが次の瞬間、彼は無言で警備ブースの手動解錠ボタンを押し、小さく息を吐き出しながら顎でゲートを示した。
「……行け。ちなみに俺はあと3ポイントで特盛だ。大型の体格を大豆で維持するのはしんどくてな。次は容赦せんぞ」
「っす……!」
まさかの激安フェイクミートの常連同士という、底辺の連帯感に救われた。ウィーンと開いたゲートをくぐり、死線のような視線を背中に浴びながら平謝りでオフィスへ滑り込む。
だが、オフィスの壁時計は無情にも9時3分を指していた。手動でゲートを通してもらったところで、無機質な社内システムには9時3分の通過記録がバッチリ送信されている。後で人事部のハウンド犬(猟犬)どもに嗅ぎつけられ、『遅延証明無しの遅刻に関する始末書』を提出させられる未来が確定した瞬間だった。
すでに9時定刻から始まっている朝礼の、ピンと張り詰めた空気を破らないよう、俺はデスクへ鞄をそっと置き、殺気立つオフィスの壁際へ音もなく滑り込んだ。ダッシュの代償で膝は笑い、狭い気管からはひゅーひゅーと惨めな喘鳴が漏れている。だが、ここで悪目立ちすれば遅刻を突っ込まれる。俺は生まれつきの深い顔のシワを最大限に寄せ、まるで10分前からここにいて深く反省していたかのような『完璧な謝罪顔』を作り上げた。
朝礼台に立ったブルドッグ部長は、重く垂れ下がった頬の肉をぶるぶると震わせ、ふしゅーっと短い鼻腔から威圧的な息を吐き出していた。
「お前ら! また営業1課のチワワどもが盛大にやらかしたぞ! 先方の大型犬社長の言葉尻にヒステリーを起こして、応接室でキャンキャンとまくし立てて交渉をぶち壊しやがった! というわけで、我が営業2課は総出でその火消しだ!」
「「「……了解っす、部長」」」
覇気の薄い唱和が微妙に揃わないままオフィスに響く。
「ゼェッ……ハァッ……頼むぞ、お前ら……!」
大声を出した部長自身が、短頭種特有の酸欠で真っ青になりながら朝礼台に手をついている。上層部の大型エリート犬たちから詰められ、ヒラ社員の尻拭いに奔走させられる中間管理職の悲哀がそこにあった。
(また1課かよ……!)
俺は密かに白目をむいた。営業1課といえば、血気盛んでプライドの高いチワワばかりが集められた特攻部署だ。圧倒的な機動力と神経質なまでの初動の早さで新規開拓をバシバシ取ってくるが、プレッシャーに極端に弱く、現場を荒らすだけ荒らして爆発させる。以前、俺が代わりに謝罪に行かされた取引先では、1課のチワワが先方の威圧感に耐えきれず、トイレの個室に三十分間引きこもって出てこず、結局俺が土下座する羽目になった。
そして、その爆発したクレームの処理と火消しを押し付けられるのが、忍耐力と愛嬌だけが取り柄のパグやレトリバーをかき集めた、我が営業2課といういつもの地獄絵図である。
特に俺たちパグは、生まれつき深くシワの寄った顔立ちのせいで「黙って立っているだけで、この世の終わりほど深く反省しているように見える」という理不尽極まりない理由から、謝罪外交の最前線(ミサイル弾頭)として投入されるのだ。このシワは、厳しい獣人社会の風雪に耐え抜いてきた社畜の勲章なのか、それとも呪いなのか。
出社した時点ですでにHPはゼロだというのに、今日も今日とて他人の撒き散らした火の粉を全身で浴びる凄惨な1日が幕を開けた。
(部長、頼むから俺にだけは、その激怒した取引先の名前を告げないでくれ……)
俺の切実な祈りは、殺伐とした熱気に包まれるオフィスの中へ虚しく消えていった。




