第19話:映画のなかのミートボールと、赤いシワ
第19話:映画のなかのミートボールと、赤いシワ
(投稿日2026年7月11日)
蒸し暑い土曜の午後。
俺は部屋で、超臨界抽出でカフェインを完璧に除去した特注の『デカフェ龍井茶』を宝瓶から注ぎ、冷房のガンガンに効いた室内で旧式のDVDプレーヤーを再生していた。
観ていたのは、クラシックな名作アニメ映画だ。
緑のジャケットを着た泥棒と、次元を超える射撃の名手が、大衆食堂の大皿で山盛りのミートボールスパゲティを奪い合って頬張る、あの有名なシーン。
ゴロゴロとした巨大な肉塊と、真っ赤なソースの絡んだ太麺。
画面から漂ってくるような香気に、俺のパグ特有のつぶれた鼻先がピクピクと跳ねた。
「……食いたい」
一度火がついた食欲は抑えきれない。だが、今の季節は7月。ここ呉の暴力的な直射日光と湿った熱風の下で、短頭種のパグが全力疾走などすれば、ミートボールを食う前に自分の心臓が挽肉になってしまう。
俺は熱中症の恐怖に怯えながら日傘をさし、心拍数を上げないよう電動アシスト付き自転車のペダルをトロトロと回して、近所のスーパーへと向かった。
ここで慎重にならざるを得ないのが犬型獣人の宿命だ。
市販の惣菜ミートボールやパスタソースには、俺たちにとって致死性の毒物である「玉ねぎ」がほぼ確実に含まれている。映画の真似をするには、ゼロからの手作りが絶対条件だった。
牛豚の合い挽き肉を買い込み、玉ねぎの代わりに細かく刻んだセロリとニンジンをつなぎに加える。中枢神経に触れるナツメグをごく微量にとどめ、パン粉と塩胡椒を太い指先で力強く捏ね上げ、ゴルフボール大の巨大なミートボールをいくつも丸めていく。
フライパンで表面を香ばしく焼き固め、ホールトマト缶を潰した純粋なトマトソースの中へ投入し、じっくりと煮込む。
茹で上がった太麺の上に、ゴロゴロとしたミートボールとたっぷりのソースを盛り付ける。
『スパゲティ・ウィズ・ミートボール』の完成だ。
フォークで大きな肉塊を切り崩し、パスタとともに口へ運ぶ。
肉汁とトマトの酸味が口腔いっぱいに広がり、思わず目頭が熱くなった。
「……うまい、うますぎる……!」
だが、パグをはじめとする短頭種にとって、トマトパスタは悲劇を伴う。
構造上、人間のように唇をすぼめて麺を「すする」ことができないのだ。短いマズルを皿に限界まで近づけ、長い舌で麺を掬い上げてハフハフと強引に丸呑みするしかない。その結果、暴れる太麺から真っ赤なトマトソースが四方八方に弾け飛び、口の周りだけでなく、顔の深いシワの奥にまでバシャバシャと跳ね飛んだ。
「フゴッ……痛ッ! 酸味がッ!」
慢性的な皮膚炎(マラセチア菌)で荒れているシワの奥に、トマトの強力なクエン酸と塩分がダイレクトに沁み込み、俺は顔を真っ赤にして悶絶した。
ソースまみれになった顔をぬるま湯で洗い、激痛に耐えながらシワの奥をタオルで丁寧に拭き取り、冷えたデカフェ龍井茶を一口啜る。
釜炒り緑茶特有の香ばしさと爽やかな渋味が、口の中に残った濃厚な肉の脂分をさっぱりと洗い流してくれた。
ハリウッドの敏腕スパイや、スクリーンの中の泥棒たちのように、スマートには生きられない。
顔を真っ赤に汚し、シワの痛みに悶絶する惨めな食卓。
けれど、自分の手と知恵で泥臭く勝ち取った休日の味に、俺の短い巻き尾は静かに、満足そうに揺れていた。




