第15話:警備隊長の誤解と、真夜中の焼き鳥
第15話:警備隊長の誤解と、真夜中の焼き鳥
(投稿日2026年7月6日)
定時を告げる終業のチャイムが社内に響き渡った。
デスクの上の書類を片付け、社員たちが足早に帰路へとついていく。
今日も怒涛の一日だった。チワワのたかりをかわし、伸びたうどんをすすり、なんとか生き残った。今夜は何を胃袋に流し込もうか――そんなことばかり考えていた矢先、胸ポケットのスマホが震えた。
画面に表示されたのは『警備課・シェパード副隊長』の文字。
「……山田君か。今夜、予定がなければ少し付き合わないか」
向かったのは、呉駅裏の赤ちょうちんが揺れる小さな焼き鳥屋だった。
カウンターの奥で、引き締まった体躯のシェパード副隊長が、豪快に大ジョッキの生ビールを煽っていた。
「まあ座れ、山田君。……警備学校の同期であるドーベルマン隊長から、君の噂はよく聞いているよ」
俺はウーロン茶と、ネギのエキスが混ざらないよう塩で焼いてもらった『鶏皮』と『レバー』を注文した。シワの奥の熱を冷ますための激しいパンティングを落ち着かせながら、俺は思い切って日頃の疑問を口にした。
「あの……副隊長。俺、毎朝毎朝、受付のゲートで隊長から殺気立った眼光で睨まれるんです。やっぱり俺の遅刻癖や、短足でモタつく姿が不愉快なんでしょうか……」
俺が切実に訴えると、シェパード副隊長は一瞬目を丸くし、次の瞬間、店内に響き渡るような大声で腹を抱えて笑い出した。
「ガハハハハッ! そうか、君にはそう見えていたか!」
「……え?」
「あの人はな、不器用なんだよ」
シェパード副隊長は苦笑しながら、鶏レバーの串を口に運んだ。
「ドーベルマンという犬種は、骨格と目元がシャープすぎてな。本人は優しく微笑んでいるつもりでも、周囲からは『殺し屋の威嚇』に見えてしまうんだ。……あの人は毎朝、必死で走ってくる君を見て『今日も命がけで出社してきたな、山田君』と、心の中で温かく見守りながら応援しているんだよ」
「……は!?」
「君が社員証を『ピッ』と正しくタッチできた日なんて、あいつは警備室に戻って『今日も山田君は無事通過した。遅刻なし』と、嬉しそうに手帳に記録しているくらいだ。君の真面目さと、どれだけ叱られても挫けない忍耐力を、誰よりも高く評価しているのはあの隊長なんだよ」
思いも寄らない真実に、俺は口からレバーを落としそうになった。
あの鋭い眼光。あの低く響く唸り声。
あれは威嚇ではなく、不器用な大型犬なりの「愛情とエール」だったというのか。
そう言われてみれば、俺のシワだらけの顔も「何があっても反省しているように見える」という解剖学的な誤解を抱えている。俺たちは形こそ違えど、お互いに「自分の見た目」に振り回される被害者同士だったのだ。
「……そ、そうだったんですか……」
t炭火で香ばしく焼かれたレバーの濃厚な旨味が、冷たいウーロン茶とともに胃袋へと染み渡っていく。
連日の火消しと残業で擦り切れていた心が、じんわりと温かいもので満たされていくのが分かった。
「さあ食え、山田君。今夜は俺のおごりだ。明日からも隊長の熱い視線を受け止めてやってくれ」
「……はい! ごちそうになります!」
店を出ると、呉の港から吹き込む夜風が濡れた鼻先を心地よく撫でていった。
明日もまた、早起きと満員電車と、チワワどもの不始末が待っている。
だけど、あの厳しい眼光の奥にある温かさを知った今、明日の出社はほんの少しだけ怖くなくなっていた。
夜の街灯の下、股の間に挟まった俺の短い巻き尾は相変わらず垂れ下がってはいたものの――その重みは、昨晩よりもほんの少しだけ、軽く感じられた気がした。




