第11話:闇に潜む社内政治と、相棒の報告
第11話:闇に潜む社内政治と、相棒の報告
(投稿日2026年7月4日)
豪徳寺社長との地獄の接待を『いきなり団子』で無事に収めてから一夜。
ホッと胸を撫で下ろしていた俺のデスクに、営業1課のチワワどもが意気揚々と乗り込んできた。
「山田先輩! 昨日の豪徳寺警備さんとの大型契約、うちの課で正式に手続を進めておきますからね!」
横から手柄をかっさらおうとする、あまりに露骨なハイエナ行為。
昨夜、恐怖で尻尾を巻いて逃げ出したのは自分たちだというのに、商談がまとまったと知るやいなや、成果だけを横取りしに来たのだ。
「……待て。あれは2課の火消し業務として預かった案件だ」
「なにか文句でも? 営業の最終決済権はうちの課にあるんです!」
甲高い声を響かせ、威嚇するように捲し立てるチワワたち。周囲の社員も関わり合いを恐れて見て見ぬふりだ。出社早々、胃の奥がキリキリと痛む。
その時、静かに社内便を配りながらフロアを回っていたメールボーイの田中が、俺のデスクの脇を通り過ぎざま、低く囁いた。
「山田さん。あいつら、豪徳寺社長の契約書に『不要な高額オプション』を勝手に盛り込んで、自分たちの歩合を水増ししようとしています」
「……なに?」
「1課の夕方廃棄用ゴミシュートから、シュレッダーにかけられる前のテスト印刷の紙くずを回収して復元しました。今夜、1課の課長が独断で書き換えた契約書に捺印する気です」
相棒の泥臭くも完璧なバックアップ。変装やハッキングなんて大層な真似はいらない。底辺の雑務と廃棄用紙の中から真実を読み取る――それがペキニーズ・田中の真の恐ろしさだ。
夕方、誰もいなくなった1課のフロア。
薄暗いオフィスの中で、1課のチワワ課長がニヤニヤと笑いながら契約書に印鑑を押し込もうとしていた。
「見つけたぞ」
首に巻いていた汗拭き用の冷感タオルを強く握り締め、俺は暗闇の中から静かに足を踏み出した。
「な、山田……!? なぜここに……!?」
「豪徳寺社長は、下戸で繊細な方だ。見覚えのない高額オプションでプライドを傷つけられれば、今度こそ我が社との取引は永遠に切れる。……その契約書、置いて行ってもらおうか」
俺が愛想笑いを完全に消し、パグ特有の濁った瞳で見下ろすと、足元のチワワ課長は小さな牙を剥き出しにして威嚇姿勢をとった。
「黙れ! 平社員のパグが差し出口挟むなッ! 邪魔するなら力づくで……ッ!」
血走った目で足首に噛み付こうとするチワワ課長。だが、俺は一歩も引かず、ただ静かに頭を下げて深呼吸をした。
「ヒュー……ヒュー……ッ、ガハッ……! ヒューゥゥッ……!」
気道狭窄による、低く重い喘鳴。肥満と過労が祟った中年パグの喉から、今にも呼吸が止まりそうな致命的な音が静かなオフィスに響き渡る。
「ひっ……!?」
チワワ課長の顔から一気に血の気が引いた。超小型犬の腕力でどれだけ噛み付こうが、目の前のこの中年パグが発作を起こして倒れれば、「執務室でのパワハラ・暴行による傷害事件」として全責任を被らされるのは自分なのだ。
圧倒的な『労災リスク』と『パワハラ認定』という不気味な重圧に呑まれ、チワワ課長は差し出した印鑑をぽろりと床に落とした。
「……くそっ、覚えてろよ……!」
負け犬の遠吠えを残し、1課の課長は逃げるように去っていった。
静まり返ったオフィスで、俺は回収した契約書をクリアファイルに収めた。
手柄などいらない。ただ、余計な火種を消し、明日も普通のサラリーマンとして生き残る。
潮風の吹く帰り道、俺は胸ポケットから愛用のブライヤー製パイプを取り出し、銘柄『スイートダブリン』の葉を詰めた。
ライターの火を近づけようとして――むせ返る。
「ケホッ……カハッ……」
先ほどの命懸けの『気道狭窄演技』で、本当に喉の奥を痛めてしまっていた。とてもじゃないが、煙を口に含むことすらできない。
仕方なく火を点けるのを諦め、俺は未点火のパイプボウルから漂うアイリッシュウィスキーとフルーツの芳醇な甘い香りを、ただ鼻先で嗅ぐだけに留めた。それでもその豊かな香気は、極度の緊張で擦り切れていた神経を静かに解きほぐしてくれた。
不条理を退けても、給料が上がるわけでも、出世するわけでもない。
俺の股の間に挟まった短い巻き尾は、夜の街灯の下で、今日も静かに垂れ下がったままだった。




