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2-1

西の門へと至る山道は、もはや道としての体を成していなかった。


かつて人類が「不落の要塞」と称え、数世代にわたって石工の粋と組織の技術のすべてを尽くした西の宮殿。


そこは五百年前の魔神大戦において、初代姫巫女がその血を以て刻んだ「因果律の防壁」が今なお脈動し、いかなる魔物といえど一歩も足を踏み入れられぬはずの絶対聖域であった。


組織の歴史において、この西の門が突破された記録はただの一度もない。


だが、朱たちの視界に飛び込んできたのは、神の不興を買った玩具のように粉々に砕け散り、無残な断面を晒して沈黙する石材の山だった。


かつてそこにあったはずの「人々の営み」や、結界を維持するために常駐していた数百名の隊員たちの気配は、一滴の水分さえ残さず蒸発し、乾いた虚無の海へと変り果てている。


「……ここが、西の『宮殿』……? 嘘だろ、組織の最大防衛線が、一瞬で……」


朱の言葉は熱を帯びた、そして鉄の匂いの混じる砂風に容赦なく掻き消された。


周囲を囲んでいた樹齢数百年の、聖域の霊力を吸って品種改良された巨木群は、枝葉どころか根の一本に至るまで一瞬で炭化し、風が吹くたびに黒い塵となって空を汚していた。


その塵の一粒一粒が、数分前までは豊かな緑を湛えた森であり、小鳥たちが囀っていた世界の一部であったことを、今は誰も証明できない。


吹き荒れる熱波と土煙を裂き、その破壊の「特異点」へと辿り着いた時、朱の心臓は物理的に握りつぶされたかのような錯覚に陥った。


そこには、人類最強の象徴であり、若き隊員たちにとっての絶対的な北極星であった討伐隊隊長が、無造作に、あるいは路傍の石ころよりも価値のない残骸として転がっていたからだ。


鋼のように、日々の血の滲むような鍛錬によって魔術的にも肉体的にも磨き上げられたはずの彼の肉体は、あたかも超高圧の重力場に叩きつけられたかのように不自然な方向に折れ曲がり、全身の毛細血管が破裂していた。


噴き出した大量の血は渇いた大地に拒絶され、どす黒い染みとなって、ただ「かつて生命であったもの」の終わりを告げている。


その傍らには、彼が愛用していた「別世界(アウトサイド)の(・)物質(マテリアル)」で打たれた軍刀が、無残に中ほどからひしゃげ、光を失ったただの鉄屑となって地面に突き刺さっていた。


それはあらゆる概念を斬り裂き、世界の物理定数を一時的に書き換えることで魔神にすら届くとされた、組織が誇る人類最高の叡智の結晶だ。


その折れた刃の鈍い輝きは、人類の知性が魔神という理不尽な暴力の前に完全敗北したことを雄弁に物語っていた。


「……朱、雪、……それに雫さんも。来るなと言ったはずなのに……。ここはもう、保たないわ……!」


ただ一人、その惨劇のただ中に相対すように立っている姫巫女・翠の声は、小刻みに震え、もはや人間のそれとは思えないほどに枯れ果てていた。


彼女の周囲に展開された光輪の幾何学模様——姫巫女の守護結界——はズタズタに引き裂かれ、今にも消え入りそうなほどに淡く、明滅を繰り返している。


それは彼女の魂の原型が、目の前の怪物によって少しずつ、だが確実に削り取られている証左であった。


その翠の瞳の先に、山を背負ったような、圧倒的な「絶対強者」としての巨躯がゆったりと座していた。


五大魔神・虎。


それは大蛇のような粘着質な呪詛でも、狐のような神秘的な幻術でもない。そこに存在するのは、純粋な「暴力の物理量」そのものだ。


虎が一つ、鼻孔から重い息を吐き出すたびに、周囲の大気が物理的に圧縮・膨張を繰り返し、朱の皮膚を無数の針で刺すような逃げ場のない圧力が襲う。


大気中の分子が虎の吐息のエネルギーだけで激しく励起し、パチパチと空間そのものを削りとるような怪音が鳴り響いていた。


「脆い、脆すぎるぞ、姫巫女よ。五百年前、童と互角に渡り合い、この右目に傷を刻んだ初代に比べれば、今の貴様など塵も同然の脆弱な魂よ。そしてそこの男……人類最強と謳われながら、貴様が誇れるのはその玩具の性能だけか。本人の魂は空っぽではないか。鍛錬の果てに何を見た。ただ、死への恐怖を埋めるために剣を振っていただけの、矮小な生存本能の塊よ」


虎は言葉を発しているのではない。その強大すぎる意思が、世界そのものを媒介とした直接的な「絶望の浸透」となって、朱たちの脳髄を物理的に揺さぶる。


聞いた者の脳は、その重低音によって生存本能を根本から書き換えられ、「この存在の前で死ぬことは当然であり、正しい」という恐るべき錯覚を植え付けられていく。


虎はあざ笑うかのように、胸元に輝く魔神のコアを無防備にさらけ出した。


「新たな来訪者よ、撃ってみせるがいい。童の核はここにある。当てることすら叶わぬだろうが……退屈しのぎにはなるやもしれぬ。この世界が塵に還る前の、最後の手慰みにな」

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