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「マテリアル・フルバースト……ッ!!」
朱の叫びとともに、幾千の鋼刃が展開された。空間そのものを埋め尽くすほどの圧倒的な物量だ。
あまりの格の違いに、近づけば一瞬で肉体を消滅させられると本能が理解していた。だからこそ朱は距離を取り、己の全力をぶつける選択をしたのだ。
虎の核を一点に狙って放たれた。その物量は、もはや攻撃というよりは「刃の奔流」だった。
先ほどの大蛇との死闘において、その驚異的な再生能力を物理的に限界まで削りきり、勝利の引き金となった圧倒的な飽和攻撃だ。
だが——。
それは虎の周囲数メートルに展開された、目に見えぬ「金剛の風」に触れた瞬間、音もなく粉砕された。激突の音さえ立てていない。
「、なんだ、これ……!?」
朱は歯を剥き出しにし、さらにマテリアルを生成した。間髪入れずに第二波、第三波を撃ち込む。
角度を変え、螺旋の軌道を描かせ、虎の死角から全方位の同時収束攻撃を試みた。
しかし、結果は同じだった。鋼の刃は虎の皮膚に届く遥か手前で、まるで最初から存在しなかったかのようにサラサラと黒い砂になって崩れ落ちていく。
それは「防御された」のではなかった。虎の放つ気の密度があまりに高く、その空間のエントロピーが極限まで低く固定されている。
そのため朱のマテリアルという物質としての分子構造が、その「絶対的な静寂」に耐えきれなかった。
結合を解かれ、原子レベルで崩壊し霧散したのだ。概念ごと存在を消されたに等しかった。
虎は、ただ座っている。指一本、髭の一本すら動かしていない。ただ退屈そうに、冷え切った瞳で朱を見下ろしているだけだ。
それだけで、朱の全力の猛攻は自滅を繰り返す。
「なら、これならどうだ……!」
朱は、すでに次の一手を重ねていた。
朱は地面に突き刺さった、亡き隊長の折れた剣へ飛びついた。自らの肉体を焼くような焦燥感とともに、その柄を掴み取る。
人類最高の叡智が込もった最高硬度の特殊金属だ。残ったすべてのマテリアルを極限まで圧縮する。それを折れた刃の先に無理やり接合させ、刀身を疑似的に補完した。
「はあぁぁっッ!」
全エネルギーを足の筋肉に爆発させ、虎の懐へと鋭く踏み込む。
だがその瞬間、朱の世界からすべての「五感」が消失した。
「が、はっ……、あ……!?」
何が起きたのか、脳が情報を処理するより先だった。全身の骨と臓器が「存在の否定」という凄まじい激痛のシグナルを上げた。
虎は座ったままだった。ただ、前足を一歩浮かせて、撫でるように下ろしただけだ。
それだけで、朱が踏み込んでいた大地は地殻ごと爆ぜた。超圧縮された大気の質量壁が、隊長の大剣を木の葉のように弾き飛ばす。
朱の身体は無価値なゴミのように、後方へと吹き飛ばされた。
「っ!」
雫が声にならない叫びをあげた。その身を挺してシールドを全開で展開する。
狐との契約で授かったはずの絶対防壁だ。あらゆる事象を防ぐはずだった。
だが虎がその鋭い爪を一振り、空を薙いだだけだった。それだけで世界そのものが悲鳴を上げた。
キン、という高い音が響く。鼓膜を劈き、脳漿を直接揺さぶるような音だ。
直後、頑強を誇った透明なシールドに、修復不可能な「概念的な亀裂」が走った。
「嘘、でしょ……。私のシールドが、ただの余波だけで……!」
大蛇が放った九つの絶大なる光線すら完璧に防ぎ切った雫のシールド。その絶対の神話は、今、目の前で崩れ去った。
敵のただの一振りに噛み砕かれ、無惨な破片へと変わり果てていく。
そんな絶望的な戦況の中、翠の応急治療に当たっていた雪が戻ってきた。前線へと這うようにして割り込んでくる。
「——全員、私の指示に従いなさい!」
後方で、自らの指を血が出るほど噛み締めながら、携帯端末の戦術演算モニターを見つめていた雪が通信回線に割り込んだのだ。
彼女は組織随一と恐れられる能力を持っていた。それは【事象計算】。
戦場にある質量、力、風向き、敵味方の呼吸に至るすべての変数を数値化する。 完全なる勝利への細い道筋を組み立てる絶対予測だ。
しかしその超人的な計算能力を持ってしても、画面は冷酷な数字を弾き出し続けていた。先ほどから一貫して、まったく同じ数字だ。
【生存率:0.00000000%】
【勝利確率:0.00000000%】
(……理屈じゃない。確率論の枠に収まる相手じゃない。でも、この0%の絶壁を無理やりにでも越えなきゃ、何としても……!)
雪は恐怖を殺した。それを怒声に変えて命じる。
「個別の適当な攻撃は、ただ死を早めるだけよ! 朱、あなたのマテリアルを分子単位の極薄膜まで広げて虎の周囲に展開しなさい。虎が放つ衝撃波の波長を読み、その位相を完全に反転させてぶつけるの。因果が相殺され、一瞬だけ虎の『金剛の風』に穴が空く。その刹那、雫のシールドを極限まで尖らせた針状に成形! 一点突破の楔として、朱がそれを全質量でコアへと押し込みなさい!」
雪の脳細胞を焼き切るような超精密指揮が始まった。絶望的な、しかしそれしか残されていない究極の合体戦術だ。
黄金の粒子を吐き出す光が、朱の刃を包み込んだ。雫がその背中を強引に押し出す。自らの内臓が負荷で潰れるほどの圧力だった。
「……私も、これ以上あの子たちを傷つけさせない……! 援護するわ!」
後方で、吐血しながらもどうにか立ち上がった翠が叫んだ。残された全ての力を光の矢に変えて放ち、射線を作る。
全員の意志が、命の残り火が、一つの細い極光の槍となった。今にも消えそうな光が、虎の剥き出しのコアへと肉薄する。
「うおおおおぉぉぉ!!!」
接触——。
だが、虎は笑った。その黄金の瞳には、怒りも侮蔑もなかった。
ただ知性を持つ生き物が蟻の必死の足掻きを眺めるような、深淵なる哀れみだけが浮かんでいた。
「……熱意だけは認めてやろう。不変なる童の理に、一瞬でも不快なノイズを混ぜた、その脆弱な努力をな」
虎は、その全力を「あえて」避けることも防ぐこともなかった。真正面からその肉体で受け止めたのだ。
大気が悲鳴を上げて反転した。大爆発が起こり、視界を白濁させる光が走る。それが晴れた後——。
そこにいたのは、煤一つ付いていない白虎だった。わずかな擦り傷さえ負っていない。神々しいまでに冷徹な姿だった。
「……今のが貴様らの全力か? 笑わせるな。貴様らの信じる『連携』や『絆』とやらは、ただの弱者が群れ、己の無力を分かち合うことで、死への恐怖を誤魔化しているだけに過ぎぬ。真の強者とは、個で完結するものだ。それこそが、魔神だ」




