↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/36

1-3

二週間前、僕の「日常」は一度死んだ。


新種の魔物。その応援信号を受け、偶然近くにいた僕は調査班と合流し、現場へ急行した。


だが、そこにいたのは——。


「えっと……大通りに出るなら、そこを左ですけど。迷子……じゃないですよね?」


夕暮れの中、所在なげに立つ制服姿の少女。


魔物は人を喰い、あるいは人に巣食う。この状況は後者の可能性が極めて高かった。


戦闘服を纏い、殺気を剥き出しにする僕たちを見て、彼女は怯えたように震えた。


彼女は、どこからどう見ても「ただの人間」だった。魔物に魂を浸食された形跡など、欠片も見当たらない。


(場所を間違えたのか? 彼女ではないのか?)


疑問が脳裏をかすめた直後、冷徹なノイズが耳元で鳴った。


『適合率70.2%。速やかに対象を抹殺してください』


解析班の声だ。僕たちの視覚情報をリアルタイムで演算した結果が、少女を「標的」と断定した。


誰もが心の中で謝罪した。引き金に指がかかる。そのわずかな殺気を察知したのか、彼女が走り出した。


銃声が数発、重なった。二発は外れ、一発は肩を、一発は足を。


そして——僕が放った最後の一発が、彼女の心臓を正確に貫いた。


射撃成績は万年最下位の僕が、心臓を射抜く。それが「まぐれ」か、あるいは「彼女の中にいる魔物」が引き寄せたものなのか、当時の僕には判断できなかった。


鮮血がアスファルトを赤く染めていく。


そこで一度、蒼海雫は死んだ。――いや、死んだはずだった。


初めて、人を撃った。それも、どこにでもいそうな普通の少女を。


初めての実戦による緊迫と、犯した罪の重さが、僕の心臓を掴むように締めつけていた。


すると遺体を回収しようと近づいた隊員が、悲鳴を上げて腰を抜かした。


血だまりの中で、少女がゆっくりと、不自然な動きで立ち上がったからだ。


「……よせ。もうこの女の心臓は止まってる」


その言葉が現実のものとして響くより早く、恐怖に駆られた隊員が発砲した。


だが、弾丸は彼女の手前で火花を散らして弾かれた。彼女の背から生えた、禍々しい「魔物の手」によって。


僕がそれを認識したとき、周囲の隊員はすでに地に伏していた。


「安心しろ、殺しちゃいない。ただ交渉ってやつは大人数だとこじれやすいからな。一番賢そうなお前だけを残した」


バクバクとうるさいほどに鳴る心臓を、必死に抑えつける。


「銃の扱いに反して、いい精度だった。おかげで、こいつも苦しまずに死ねただろうよ」


魔物に称賛される日が来るとは思わなかった。その声には嘘も嘲笑もなかった。


ただ純粋に、僕の「介錯」を感謝しているようにさえ聞こえた。


「で、相談だ。俺を逃がしてくれないか? そうすれば、この女を生き返らせてやる」


「……逃がす、だと?」


「そうだ。俺は人を喰わねえし、その気もねえ。この女の中に隠れていたいだけだ。お互い不干渉でいこうぜ」


魔物は悪だ。それが組織の、世界の鉄則だ。だが——。


「嘘だと思うか? なら、まずは『前払い』だ」


魔物が脱力したように崩れ落ちた。咄嗟に駆け寄り、彼女を支える。


「うぅ……っ」


脈がある。体温が、指先から伝わってくる。全身を刻んだはずの弾痕は、跡形もなく消えていた。


その直後、凄まじい衝撃と共に僕は突き飛ばされた。


彼女を抱きかかえたまま、背後を確認する。僕がさっきまでいた場所には、巨大な大剣が突き刺さっていた。


「ちっ……全員気絶させたはずだがな。タフな奴がいたもんだ」


駆けつけたのは「討伐隊」。姫巫女に匹敵する力を持つ、組織のエリート集団。


その後、僕は前線から引き離された。彼女から分離した魔物は討伐隊によって処理されたが、それはあくまで「分体」に過ぎなかった。


その日、僕の腕の中には、静かに息をする蒼海 雫だけが残った。


精密検査の結果、彼女の身体は完璧な健康体であった。——「心臓が動いていない」という一点を除いて。


「あの時の約束は破棄されちまったが……別に、こいつの命を奪うつもりはねえよ。必要がねえからな」


路地裏の闇。雫の口を借りて、魔物がニヤリと笑う。


「そんなことより、ひでえじゃねえか。小娘一人相手に、あんな大声で怒鳴りつけたりしてさ」


「何……?」


「こいつが監視を抜けてここに来られたのは、俺が手を貸したからだ。女子高生一人が、お前らの目を欺けるわけねえだろ? こいつの気持ちに付け込んで、ちょっとだけ力を貸してやったのさ」


魔物の声が、酷く愉しげに響く。


「健気なもんだ。せっかく『プレゼント』を買いに来たってのに、あんなに怒られちまって」


プレゼント? 思考が追いつかない僕をよそに、魔物は淡々と続けた。


「少し昔話をしようか。……この女に弟がいたことは知っているな?」


「当然だ。経歴も血統も、すべて調査済みだ」


「だろうな。だが、『死因』についてはどうだ?」


頭の中のファイルをめくる。


弟、蒼海 吹(すい)。難病。療養のための山奥での生活——。


「難病による病死、だったはずだ」


「……違うな。死因は『不明』だったはずだ。……弟は一度、完治したという診断で退院している。そしてその二週間後、死んだ」


不吉な予感が背筋を走る。


「まさか……彼女が契約したのは……!」


「そうだ。弟の病気を治すためだ。自分の魂を切り売りしてな」


なぜ。なぜ、そんな話を今、僕にする……。


「お前が賢そうだからだ。……なんてのは建前だ。俺は、お前の『姉』に興味がある」


ッ!?


「おっと、限界だ。今の話、忘れるなよ。……じゃあな、相棒」


雫の背後から伸びていた闇が、次第に霧散していく。


「早くしないと、そいつが溶けちまうぞ。お前と一緒に食うために買ったんだ。美味しくいただいてやれよ」


意識を失った彼女を支える。


その手に握られていた袋の中には、二個ずつ丁寧に詰められたスイーツがあった。そして袋の底には、お揃いの、可愛らしいストラップが二つ。


遠くから、仲間たちの騒がしい足音が近づいてくる。僕は、溶け始めた甘い菓子の匂いの中で、ただ立ち尽くしていた。


渡されるはずだったその熱を、受け取る資格など、僕にはない気がしたから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。