4-1
東の魔神・龍が光の塵となって消滅したあとの世界には、耳が痛くなるほどの静寂だけが残されていた。
割れた天空から、まばらな光が降り注ぐ。
大地は龍の暴虐によって見る影もなく抉られ、かつて都市だった場所はただの灰色の荒野へと変貌している。
「……っ、う、あ……」
朱は、膝から地面に崩れ落ちた。 全身の骨が軋み、肉体が内側から燃え上がるような激痛。
それは、姫巫女としての力であった『マテリアル』を、そして姫巫女クローン計画の仲間たちの命をすべて燃やし尽くした、文字通りの「代償」だった。
もう、朱の内にあの黄金の輝きはない。ただの空っぽの、傷だらけの人間の身体がそこにあるだけだった。
「……雫」
朱は血に塗れた顔を上げ、すぐ近くに倒れている少女の元へと這い寄った。
「雫、しっかりしろ、雫……!」
その華奢な身体を抱き起こす。彼女の絶対防壁は霧散し、全身の毛細血管から噴き出した血が、白い制服を無残に染めていた。
だが、胸はかすかに上下している。生きて、いる。
勝ったのだ。 世界を蹂躙していた五大魔神のうち、実に四体を討ち果たした。
組織を壊滅させられ、絶望の淵に立たされながらも、ついにここまで辿り着いた。
しかし朱の胸を占めていたのは、達成感などという高潔な感情ではなかった。
(……なんで、こうなったんだ)
胸の奥から、どす黒い感情がせり上がってくる。
思い出すのは、これまで失ってきた者たちの顔だ。
雫の弟であり、自ら魔物となる道を選んで戦い抜いた吹。
魔神でありながら自分たちを導き、最期は自ら犠牲となった狐。
虎と相打ちになり、人間の意地を示して散った討伐隊の隊長。
誰よりも気高く、実の姉のように朱を愛し、世界を守って消えた翠姉さん。
冷徹な参謀でありながら、最期は狂気を演じてまで龍を騙し勝ち抜いた雪さん。
名も知らぬまま自分を現実に帰還させてくれた、クローン計画の仲間たち。
そして、ここまで敵を退けてきた朱の姫巫女としての力であったマテリアル。
「誰も……いないじゃないか……」
ぽつりと、朱の口から乾いた声が漏れた。
朱が戦ってきた理由は、世界を救うといった大層な正義ではない。
ただ、隣にいる雫を守りたかった。
彼女の、あの何の憂いもない笑顔を取り戻したかった、それだけだった。
それなのに、気づけば周囲には死屍累々の山。守るべき日常そのものが、文字通り世界から消滅している。
どこで道を間違えた。 あのとき別の選択をしていれば姉さんも、雪さんも、みんな笑っていられたのだろうか。
これが本当に最善の、最良の結末なのか。
「……う、ん」
腕の中で、雫の長い睫毛がかすかに揺れた。 うっすらと開かれたその瞳が周囲を、そして朱の顔を捉える。
「雫! よかった、気がついたんだね……!」
朱は泣きそうな声を上げ、彼女の手を握りしめようとした。
だが雫の瞳に宿っていたのは、歓喜でも安堵でもなかった。 それはひどく冷めた、そして困惑に満ちたガラス細工のような光だった。
「……みんな、死んじゃった」
雫の口から、掠れた声がこぼれ落ちる。
その視線は朱を通り越して、誰もいなくなった凄惨な戦場へと向けられていた。
動けない意識の中で、彼女はずっと見続けていたのだ。
自分のために多くの人たちが命を散らし、そして今目の前の少年がどれほどボロボロになって自分を抱きしめているかを。
生き残ってしまったという重すぎる事実と、取り返しのつかない命の負債。
その圧倒的な罪悪感が、目覚めた彼女の心を内側から激しく締め付けていた。
「私たちのために、みんな……。ねえ、これが『正しい』ことなの?」
「え……?」
「一体、何がそこまで……。何がそこまで、私を庇う理由になるの? なんであなたは自分の命も、周りのすべての命も投げ出してまで、そうまでして私を守ろうとするの……?」
朱の思考が、一瞬で凍りついた。 思いがけない言葉だった。
これまでどんな地獄の中でも、二人は固い絆で結ばれていると信じて疑わなかった。
すべては彼女を救うため。それが朱の絶対的なアイデンティティだったはずだ。
「何を、言ってるんだ、雫。僕はただ、君を……」
『君を守り、またあの日常で笑顔が見たいだけなんだ』 そう、いつもの言葉を続けようとした。
しかし雫はその言葉を、大粒の涙をポロポロと流しながら、切なく遮った。
「——私は、あなたのこと、何も知らないのに」
世界から、すべての音が消えた。 朱は目を見開いたまま、呼吸の仕方を忘れたように硬直した。
最愛の少女の口から放たれた、あまりにも無垢で残酷な問いかけ。
これまで多くの敵を退け、血の反吐を吐きながら魂を削ってまで守ってきた対象が、目の前で自分を他人のように見つめている。
「君は……何を言って……」
朱の声が震える。その困惑と絶望が戦場を支配しようとした、その時だった。
「あまり、そのお嬢さんを責めないでやってくれ。本当に、彼女は君のことを何も覚えていないんだから」
誰もいないはずの戦場に、ひどく穏やかで、しかし驚くほど明瞭な『第三者』の声が響いた。




