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【17】少女Aの品格


(どうして、)


血が滲むほど唇を噛み締めて、女は濡れた睫毛を震わせる。


どうして、誰もいないのだろう。

どうして、来てくれないんだろう。


(どうして、どうして、)


にいさま、

ねえさま、


(ーーーきょうだい)


薄々、分かっていた。あの死体はきっと、兄姉のどちらかだった。でも、それでも計算が合わない。どちらかは、生き延びている筈である。


まさか、あの優しい姉が、己を救う為に自爆してーーー細切れの肉片となって散らばって死体さえ残ってないなんて。

まさか、あの冷静な兄が、きょうだいの肉片をかき集めてーーー己に火を放って生きながら真っ黒な炭になってしまうなんて。

甘やかされた末っ子は思いつきもしなかったから。


(なんで、会いに来てくれないの)


〝どうしたの?わたくしのお姫様〟

〝おや、寂しかったのか?俺のアネモネ〟


きょうだいの名を呼んだ瞬間、すぐに迎えに来てくれるはずなのに。


〝ふふっーーーわたくしの可愛いアネモネを泣かせたのはだぁれ?〟

〝おいーーー俺の小さなお姫様(リトルプリンセス)に手を出したのは誰だ?〟


こんな風に大声で泣いたのなら、即座にすっ飛んできて、笑いながら、真顔のまま、怒り狂うはずなのに。


〝まぁ、頑張り屋さんね〟

〝悪戯っ子なお前も愛らしいな〟


ウィリアムに成りすまし、ヴィクトリアの振りもした。ふたりが帰ってくる居場所を、何とか残そうとした。

どれだけ人を陥れて、国に混乱を齎して、世界を破滅に導いても。


〝まぁ!わたくしの真似っこをするなんて……わたくしの妹は、なんて愛らしいの!〟

〝ひとりでよく頑張ったな。ふふ、懸命に俺の真似をするお前を見るのは、気分がいいな〟


とびきり甘い声で抱きしめられて、

とびきり優しい声で甘やかされて、

そうしてとろとろになるまで、愛してくれる筈なのに。


どれだけ泣いても。名前を呼んでも。

優しい声はない。抱きしめてくれる温もりはない。



なぜいない。

なぜ、誰もいない。

………何故、誰もここに来ない。



(かえして、)


怪物だった女はそう思った。

春に生まれた子供たち。春が来る前に、バラバラになってしまった。その温もりは奪われてしまった。


蕩けるような声も、慈愛に満ちた眼差しも、優しい抱擁さえ。かつて与えられた愛を、根こそぎ奪われてしまった。その虚に真っ赤な花が咲く。


(奪ったくせに、)


あの男も、王家も、国民も。

わたしから奪ったくせに、どうしてのうのうと息をしてるの。当たり前の顔で、幸福を手に入れようとするの。

 


ーーーそれは。それだけは許さない。必ず、報いを受けさせる。



許すものか。

何としてでも、何があっても赦すものか。

必ず、この報いはその身でもって受けさせる。  


お兄さまに恋した身の程知らず。

お姉さまを愛した愚かな男たち。

真実に慟哭した馬鹿なひとたち。



王家のためだからと。わたしの姉を殺していいというのか。 

姉のために、兄が死ぬべきだったとそう詰るのか。兄が、姉が、誰を愛していたか知らないくせに。その愛を、恋を、自分のものにしようなんて、そんな烏滸がましいこと、許してなんかやるものか。



瞬くたびに、かつての地獄がよみがえる。

振り上げられた鉈と、斧。兄の肩に突き刺さった矢、切り裂かれ息も絶え絶えの白樺の美貌。誰よりも美しく、慈悲に蕩ける目で、花のように笑った姉の姿。笑いながら押し付けられた松明は、私の左半分に消えない傷跡を刻んだ。


(許すものか)


身のうちに宿る炎。ジクジクとこの身を蝕む猛毒。あの地獄の底で、産まれ直した子供がいた。畜生腹から、この世の悪鬼に産まれ直した怪物がいた。

私が選んだ道は、報復ではなく、復讐ですらない。



ーーーこれは証明だ。



きょうだいの苦しみは、絶望は間違いだったと証明する。あの想像を絶するこの世の地獄の中で生まれ直した私が、幸福であって良いはずがない。

だって、そうでなければ報われないだろう。

心の底から愛していたきょうだいを、伸ばした手のほんの先で喪った私が報われない。

最後の最後まで、私なんかを案じて、炎の向こうに消えたきょうだいが報われない。


もし。アロイスが立派な王となり幸せな国を築き上げるというのなら。レティシアが、惚れた男と幸せに暮らすというのなら。畜生腹を憎み排斥した国民が、好いた人に愛されて、家族にも仲間にも恵まれ囲まれて、太陽の下で何憚ることなく笑って生きるというのならば。



かつてのきょうだいの苦しみは、私の絶望は。正しいとでもいうの。



そんなの認められない。認めるものか。

お前たちの積み重ねた歴史は罪で有り、お前の人生は罰であったとこの身で持って証明する。私の最愛の地獄の先に育まれたのが幸福であってたまるものか。

私が最愛を失った日。ブランノワールの偽物が生まれた日。

たったの数分だ。たったの数分の差で、きょうだいは私を置いていった。兄と姉は妹を守るものだと笑って、たった数分を後生大事に抱えて炎の中に消えていった。


そんな私だけでも、この世界できょうだいのことを諦めたくなかったから。


(私はーーーわたしは、証明してみせる)


溺愛とは。

溺れるように愛するということだ。

溺れてしまって息が出来なくなって、苦しくて辛くて苦しくて、もう二度と空を見れない。そんな死の淵で、最期まで笑っていられるほどに愛するということだ。


かつてわたしは、確かに愛された。

溺れるように、幸せだけを注ぎ込まれて愛された。

この後に及んで、ひとりぼっちで笑えてしまうほどに、愛されたから。


(ねえさまとにいさまの愛を、溺愛と呼ぶのなら)



お前たちに、わたしの愛(きょうだい)をひとつたりともくれてやるものか。



はつり、はつりと凍蝶の翅のような睫毛が瞬いた。その瞳にもう、涙の気配はない。

その顔にはもう、弱さなどない。

細い指が、懐から大小の石を取り出してーーー


小さい方のそれを頭上に翳して。美しく絢爛たる檳榔子黒が、その凄絶な青みを増す。


「ーーーーー嗚呼、」


掲げたそれは、陽の光がひとつも透けなかった。

地獄の闇よりも絢爛で、深淵よりも悍ましい、極上の檳榔子黒。


「ねえさま、にいさま」


彼女の最後の罪を明らかにしよう。

彼女は、決して許されざる罪を犯した。決して認められない罪を犯した。

かつて、地獄の淵から生き延びて。彼女の手元に残ったのは、姉のうつくしい黒髪と、黒焦げの死体だった。だから、生き残った最後の怪物は、あの闇医者に持ち込んで。


「愛しているわ」


彼女は、()()()()()()()()()魔石に口付けて囁いた。


嗚呼、そうだ。闇医者の男と繋がりを持ったきっかけは、足の手術じゃない。それよりももっと悍ましく忌むべき理由だ。


彼女は、きょうだいの死体を、髪を使って魔石をつくったのだ。本当は王妃を無縁仏として打ち捨てて、空っぽの葬式を挙げた王を責められやしない。

ブランノワールの片割れのーーーヴィクトリア・ブランノワールの墓は空っぽだ。そこに死体はなく。きょうだいは、小さな石になってしまった。 


……魔石には、天然のものと人工のものがある。人工のものは、歴史上幾つかしかなく。作った宝石が魔石になるかどうかの条件は、まだ解明されていない。その魔石の質も一定ではなく、どの条件で質が変わるのかも分かっていない。人工の魔石とは、幾千幾万の死体と失敗を重ねたものであるべき中で。


ころり、と掌に転がった小さな檳榔子黒。

爪先ほどのそれに、莫大な魔力が秘められていると一目でわかる。それくらいの、隔絶した美しさ。


倫理も道徳も遠く投げ捨てて、愛なんて錯覚だと豪語するあの男が「とんでもねぇな」と笑ったくらい、凄まじい奇跡である。


嗚呼、そうだ。

この極上にして絢爛たる檳榔子黒は、文字通り、最上級の愛である。


「にいさまも、ねえさまも。こちらにいらっしゃったのですね」


うっとりと睫毛を伏せて。花のように微笑みながら、女は囁いた。


もう、己の寿命が尽きかけているのを嫌というほど分かっていた。

息をするだけで、爛れるように胸が痛み、何かを考えようとするたびに頭が軋み、じゅくじゅくと内臓が嫌な音を立てて。瞬きひとつするだけで、心臓がひしゃげるのだ。

もう、死んでいないのが奇跡だった。言葉一つ零すだけで長くない寿命を削る。

そんな弱り切った身体で、まともな魔法など使えやしない。

もう冥府の門に身体の半分を突っ込んだような死に損ないが、魔法なんて使えるわけがない。


……いま彼女の手の内にあるのは、兄姉で出来た魔石と、かつての晩、兄から貰ったお揃いの魔石だけだった。もう、それだけしかない。それだけしか残っていない。


ーーーそれだけで、十分だ。


だから。

彼女は、花のような唇を開いて。

ごくり、と躊躇いもなく魔石を飲み込んだのだ。


「ーーーふふ、」


柔らかな笑い声が漏れた。身体の内側が刹那発火したかのように熱くなり、指先まで熱が通る。空っぽだった器が、一瞬にして満たされる。胸の中心でふわりと解けたきょうだいが、魔力となって私の内で溶けて融けて熔けて混ざりあって、ひとつになってゆく。


「嗚呼、なんて気持ちがいいの」


きょうだいが、私の中にいる。

姉兄の愛が、全身を巡っている。


彼女は、力を取り戻した指先で、10年前の誕生日プレゼントを握りしめーーー笑う。


愛とは、選ばれると思わせることだ。

そこがどんな地獄の最前線でも、絶望の淵でも。無数の選択肢の中で、己が、選ばれると思わせた。

疑う余地もなく、躊躇う余地もなく。

無条件に、両腕を差し伸べてくれると。

なんの見返りもなく、その温もりを分け与えてくれると。そう、思わせた。


そんな貴方たちに、愛されていることを知っている。愛というものを魂の底まで教え込まれてしまった。

どうしようもなく愛されて、慈しまれて、守られて。

故に、笑顔で置いて逝かれて、ひとりになって。

たった数分の差で愛された。たった数分の差で、守られた。

産声を上げるーーーその数分で、ひとりぼっちになっても生きて足搔いて苦しんで嘆いて怒って絶望して、それでも生き延びてしまうくらい、本当に愛されたから。


ーーーだから、これは正真正銘の賭けである。


この死の森と共に心中する。

畜生腹の忌み名と悪習と。その怪物たる象徴と共に死んでやる。これからの波乱と絶望と再生の、嚆矢となる。


……これは、眉唾物の話であるが。

人工の魔石には意思がある。もう既に人格はなく、個人としての記憶もない。

ただ、焼きついた意思だけが、美しい光を放つのだと。

そして彼女は、それが正しいと確信している。

アロイス殿下のブローチ……王家の家宝、深碧の宝玉、()()()()()が、自ずと光を放ち魔法を構成したあの瞬間に、この結末を決めたのだ。


〝俺の姫君〟


……ゆったりと目を伏せて。

この期に及んで思い出すのは。

闇のなかでも輝く、お前の花緑青だった。


十年だ。

気づけば十年も、共にいた。

3人ぽっちの世界だった。兄と姉と妹。それだけで完成された世界だった。

それでも、きょうだいと共に過ごした時より、無防備に愛されていた時より。

気づけば、お前と共に生きた時間の方が長くなった。


かつて、この森で拾ったお前は、人の言葉も知らず、己が人間だとも知らぬただの怪物だった。ジョーカーと名付けた後は、みるみると大きくなって、その言動は優雅になって、知識を重ねて。……己を拾い上げた怪物が成し遂げようとする悪逆を、理解して。けれど、どんな時も私を見つめ続ける花緑青の眼は一切変わらなかった。

ウィリアムだろうが、ヴィクトリアだろうが、名もなきメイドだろうが。

全部ひっくるめて、私の前に跪いた男。その優れた頭脳を、恵まれた肉体を、この国で一番尊い血を、私のためだけに使った男。私の背中を、誰にも譲らなかった男。


女は、音もなく睫毛を伏せた。黒漆扇のように拡がるそれが、花散るような美貌に影をつくり、その凄絶なまでの色気が滲む儚さを際立てていた。



馬鹿だな。と滑らかな無表情なまま、彼女は思った。

私はお前に決して報いてやれないというのに。

愛も情も、この矜持さえ、私の根幹を構成する一欠片もお前に渡してやれないというのに。

非情な女。

薄情な女。

私を言い表す言葉を知っていて、それでもこの生き方を変えることはできなかった。あの晩、怪物であることを選んだのだから、猶更だった。


(まぁ、仮にも腹心と呼んだ男を、守ってやるのも主人の役目か)


力を入れた掌から、凄まじい光が放たれる。

己の死体を残さないことは決定事項だった。

いざ見つかったときに、この身体を暴かれては堪らない。兄姉が守った秘密を暴かれて堪るものか。だから、()()()()()()()


私は三番目の娘。

お姉様とお兄様が命を掛けて遺してくれた、3つ目の矜持。悪逆の双子が愛した、存在する筈のない名もなき怪物。

魂を3つに分けた、その一欠片。


ひとつ、華麗で優美たれ

ふたつ、聡慧で強者たれ

みっつ、高雅で深愛たれ


悪逆たる三つの矜持を、きょうだいに託された愛を証明して。

あの男を縛る鎖も、あの男を捨てた場所も、あの男の未練すら。私がまとめて滅ぼしてみせる。

己の命の残り火を全部焚べてでも、畜生腹を誇ってやり遂げてみせる。


あの男を巻き込んでーーー、


(賭けてみようか、この指で)


男が喰らったのは、三つ子の末妹。

たった指一本でも、確かに彼の内側にある。

そして、いま彼女の内を満たすのはきょうだいの魔力。


三つ子の魔力は同一のものであり。

畜生腹が放つ魔力は、魔法は、何ひとつきょうだいを傷つけることはない。

全力で魔力を爆発させても、己ごとあらゆる生物を皆殺しにするだけで、血肉を、魂を分けたきょうだいには傷一つつけることはない。


「にいさまとねえさまが、私を傷つけるわけがないもの」


ーーー彼女は、己が愛されていることを、知っている。



とうとう純白になる視界で、ほぼ役立たずの耳に、ふわりと何かが触れる。


”愛してるわ”

”愛してるぜ”


彼方の春が、聞こえる。


〝わたしたちのいもうと、かわいいきょうだい〟

〝おれたちのいとおしいリトルプリンセス〟


〝あなたは1番愛情深くて素敵な女の子〟

〝おまえは1番誇り高くて素敵な女の子〟


〝〝高雅で深愛たるブランノワールの最愛〟〟


左右のこめかみでリップ音がした。

ふ、と軽くなる口元が綻んで。

まるで、夜明けとともに春が来たように

楽園を見上げながら、アネモネのように美しい檳榔子黒を咲かせて笑いながら、天国を仰ぎながら。



ーーー名もなき女は地獄に堕ちる。



私は、悪逆の子供。

生まれながらに憎まれ蔑まれ嘲られた畜生腹の、三番目。

ブランノワールの三つ目の矜持。

至上たる姉兄に愛された、唯一のお姫さま。

至高たる兄姉と魂と血肉を三等分に分けた、春のアネモネ。

美しき怪物たちに守られ育まれた、終焉の怪物。


とびきり深く愛された。溺れるほどに愛された。

そのたくさんの愛をこの身で持って証明した。

貰った愛を世界に刻みつけた。


私は、世界で1番幸福な女の子。

私は、世界で1番愛された女の子。




ーーー私は、ブランノワールの三つ子である。




悪逆と呼ばれたブランノワールの怪物たちと少女Aの物語にお付き合いいただき、ありがとうございました。最初から最後まで愛に狂い恋に焼かれバッキバキにガンギまっている気狂い達を描くのがとても楽しかったです。


ちなみに、レティシアの世界救済難易度について、生き残る人間によって変わります。

具体的には以下の通りです。


【生き残りと難易度】

ヴィクトリア・ウィリアム>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ヴィクトリア>>ウィリアム>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>アネモネ・ヴィクトリア・ウィリアム>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>アネモネ(末っ子)


アネモネが生き延びるには、全員で助かるかひとりで生き残るかの二択になってます。

(ちなみに、アネモネが死んだ瞬間、姉兄がバチギレるので、難易度が跳ね上がります)


つまり、今回の国家崩壊RTAは一番マシ(可愛げがある)ルートです。

生き残ったのがアネモネひとりでよかったですね(最悪)

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