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ノエルは夢を見ていた。
薄暗い記憶の奥で、懐かしい声が響いている。まだ幼かった頃の自分と、隣にいつも寄り添ってくれたあの少女の姿が、朧げながらも確かに蘇っていた。
『メイ、風邪引くよ。戻っておいで』
幼いノエルの声が、冬の冷たい空気に白い息となって消えていく。屋根の上で膝を抱えて座り込んでいる少女——メイの頬は、北風に晒されて薄紅色に染まっていた。彼女は振り返ると、いつものように金色の瞳を細めて微笑む。
『まだいる。もうすぐ朝日が昇るから』
頑固に首を振る彼女を見て、ノエルは小さくため息をついた。このまま放っておけるはずがない。家の中に戻ると、暖かいブランケットを手に取って再び屋根に上がる。
『ほら、これを』
肩にそっとブランケットをかけられたメイは、驚いたように振り返った。
『…ありがとう』
その笑顔を見た瞬間、ノエルの胸の奥が温かくなった。寒さのせいなのか、それとも彼女のせいなのか——幼い彼にはわからなかったが、彼女のそばを離れる気になれなかった。
恐る恐る彼女の隣に腰を下ろすと、二人は他愛のない話をしながら朝日を待った。やがて東の空が薄紅色に染まり始め、太陽がゆっくりと顔を覗かせる。
黄金色の光が二人を包む中、ふとノエルは視線を感じて振り返った。メイが、じっと自分を見つめている。
『え、なんで見てるの?』
慌てて顔を逸らすノエル。今まで多くの人に奇異の目で見られてきた彼は、見つめられることに慣れていなかった。
メイはそんな彼の反応にきょとんと目を瞬かせると、いつものように柔らかな笑みを浮かべて口を開いた。
『ノエルって——』
彼女の唇が動き、何かを言いかけたその時——
* * *
「——っ!」
ノエルは勢いよく上体を起こした。
教室に響いていた授業の声はもうなく、静寂が支配している。慌てて辺りを見回すと、既に誰もいない空っぽの教室に、夕陽が長い影を落としていた。
「また、寝てしまったのか…」
誰も起こしてくれなかったという事実が、静かに胸に突き刺さる。いつものことだと分かっていても、やはり痛みは変わらない。
窓の外に目をやれば、空は既に茜色に染まっていた。一日がまた過ぎていく。そして今日もまた、彼女を見つけることはできなかった。
「…メイ」
少女の名前が、誰もいない教室に小さく響いた。
『ノエルのことなんて大っ嫌い』
最後に彼女と会ったあの日。彼女が残した言葉が、記憶の奥で疼く。あの時の彼女の涙と、絶望に満ちた眼差し。そして、自分に向けられた冷たい拒絶の言葉。
全ては自分のせいだった。守るべき人を守れなかった。大切な人を傷つけてしまった。そして——失ってしまった。
ノエルの手が、無意識に胸を押さえる。心臓が締め付けられるような痛みが、じわりと広がっていく。罪悪感と喪失感が、彼の内側を蝕んでいった。
「…メイを探さないと」
呟くような声に、しかし確固たる意志が込められている。
この国に来てから、ノエルは暇さえあれば彼女を探し続けてきた。彼女がいそうな場所という場所は全て回った。養父にも頭を下げ、あらゆる手段を尽くして痕跡を探し求めた。それでも——何も見つからない。
なぜこんなにも探しているのに、彼女が見つからないのだろう?まるで最初からこの世に存在していなかったかのように、全ての手がかりが消えている。
もしかして、もう——
頭に浮かんだ最悪の想像を、ノエルは激しく首を振って払いのけた。
「違う。そんなはずない」
彼女は生きている。きっと、どこかで生きている。そう信じることしか、今の彼にはできなかった。
「とりあえず、彼女が行きそうな場所をもう一度探そう。確か、図書室に地図があったな…」
立ち上がって教室を出ると、ノエルは図書室へ向かって足を向けた。もうすぐ閉館時間だ。慌てて廊下を足早に歩いていると——
「うわっ!」
曲がり角で、誰かと正面衝突した。ノエルは体幹がしっかりしているため揺らぐことはなかったが、ぶつかった相手は勢いよく床に尻餅をついた。
「あ、すまない…!」
反射的に謝罪の言葉を口にしながら手を差し伸べようとしたノエルだったが、相手の顔を見た瞬間、動きが止まる。
マルクス・ヴァイスだった。
「…なんだよ。お前かよ」
マルクスは床に座り込んだまま、冷たい眼差しをノエルに向けた。舌打ちと共に立ち上がりながら、忌々しげに呟く。
「ちっ。お前のせいでいい気分も台無しだわ…」
そう捨て台詞を吐くと、マルクスはノエルの横を素通りしていく。いつものように罵倒を浴びせられることを覚悟していたノエルは、拍子抜けしたように胸を撫で下ろした。
しかし——
すれ違う瞬間、ノエルの鼻腔に甘い香りが漂った。まるで花とはまた少し違う。何かを凝縮したような匂い。普段のマルクスからは感じたことのない香りだった。
振り返ると、マルクスの手に何かが握られているのが見えた。淡いピンク色の便箋のようなものが、彼の指の間から覗いている。
「…?」
首を傾げるノエルだったが、図書室の閉館時間が迫っていることを思い出し、慌てて足を向け直した。
それでも胸の奥に、小さな違和感が残り続けていた。




