27
朝の光が窓から差し込む教室。
早朝の授業に参加するため、ぽつりぽつりと生徒たちが席に着き始めている。教科書を開く音、鞄を置く音、談笑する声——それらが混ざり合って、穏やかな喧騒が教室を満たしていた。
だが、その中でノエルは——机に突っ伏したまま、微動だにしなかった。
(疲れた……)
心の中で呟く。いや、呟くことすら億劫だった。
緋色の瞳は閉じられたまま。頬を机の冷たい表面に預け、ぐったりと力を抜いている。まるで魂が抜けたかのように、その身体からは生気が感じられない。
それもそのはずだった。
先日の『白騎士』報道以来、彼は散々な目に遭い続けていたのだ。
(事情聴取だけならまだしも……記者に追い回されるわ、義実家からお説教を喰らうわ……それに——)
ノエルは僅かに顔を上げた。教室の様子を、半眼で窺う。
その瞬間、彼と目が合った数人のクラスメイトが、慌てたように視線を逸らした。
「……はぁ」
思わず、深いため息が漏れる。
そう。こうして、同級生や他の生徒たちからの注目を集めるようになってしまったのだ。
好奇の眼差し。遠巻きにする距離感。ひそひそと囁き合う声——
(混血児だからという理由で避けられるよりはマシ……なのか?)
どこか複雑な感情を抱きながら、ノエルは再び机に顔を伏せた。
そもそも、なぜこんな状況になったのか。
脳裏に、あの日の光景が蘇る。記者たちに囲まれた玄関前。そして——レイシーが彼の腕を取り、堂々と告げた言葉。
『はい。彼は私と契約を結んだ『白騎士』です』
その記憶が頭をよぎって思わず顔が引き攣るのを感じる。
(なぜ……あんなことを言ったんだ?)
あの日以来、彼女とまともに会えていない。言葉の真意を確かめることもできないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
ノエルは頭を振った。考えても答えは出ない。
(……とりあえず、授業が始まるまで寝て過ごそう)
もう何も考えたくなかった。ノエルは再び机に顔を伏せると、瞼を閉じる。周囲の視線が気になったが、もはやそれすら気にする気力が残っていなかった。
静寂。
教室の喧騒が遠く感じられる。
——だが、その静寂を破る音があった。
コツ、コツ、コツ。
誰かが近づいてくる足音。ノエルの机の前で、それは止まった。
「……何寝てんだよ。授業始まるぞ」
聞き覚えのある声が、頭上から降ってきた。
ノエルは思わず瞼を上げる。ゆっくりと顔を起こすと——紫色の瞳と、目が合った。
「……マルクス?」
目を見開いたまま固まる。停学中の彼がなぜここに?
我に帰ったノエルは、少し身構える。また何か嫌味を言われるのかと思いながらも、少し緊張した様子で言葉を返した。
「おはよう……えっと、君は確か、まだ停学中じゃなかったか?」
「…無実が証明されたから、また学園に通えるようになった…悪いかよ」
マルクスが顔を逸らすとぶっきらぼうにそう答えてどこか気まずそうに視線を逸らした。
そんな彼を見てノエルは目を瞬かせる。そして——無表情ながらも、僅かに安堵の色を滲ませた。
「そうか……君の停学が取り消しになって、本当によかった」
心からの言葉だった。
その言葉を聞いた瞬間、マルクスの紫色の瞳が大きく見開かれた。驚愕の色が浮かび、瞳が激しく揺れる。しばらく呆然とノエルを見つめていたが——やがて、バツが悪そうに顔を背けた。
「は? なんだよそれ……お前、本当にバカじゃねぇの」
吐き捨てるような言葉。だがその声は、震えていた。
ノエルは少し戸惑いを覚える。マルクスの言葉の意図がわからず、不思議そうに首を傾げた。
「……あー、えっと……」
マルクスが歯切れ悪く呟くと、頭を掻いた。顔を逸らしたまましばらく黙り込み——やがて、頬をほんのりと赤く染める。
「その……今更だし、許してもらえると思わないけど……」
言葉が、止まった。
彼は赤い頬を上げると、躊躇うように——けれど確かに、ノエルを見据えた。
「……今までお前を混血児って馬鹿にして、悪かったな」
「——………え」
一瞬、聞き間違いかと思った。
ノエルはマルクスをまじまじと見つめる。だが彼の表情を見て——これは聞き間違いではないのだと気づいた瞬間、緋色の瞳が大きく見開かれた。
「なんで急に……」
今まで自分をいじめてきた彼の言動とは思えない謝罪に、わかりやすく動揺する。緋色の瞳を揺らがせながら彼を見つめていると、マルクスは慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「……俺、今までお前の立場も考えずに、血筋だけでお前を判断してた」
マルクスの声が、静かに響く。
「けど、冤罪をかけられて気づいたんだ……俺はただ、クラスでイキってたバカだったんだって」
吐き捨てるようにそう告白すると、マルクスは表情に影を落としながら床に視線を固定した。
「俺は自分がクラスの中心だとずっと思ってた。みんなが俺を慕ってるんだと、疑わなかった……けど、違った」
自嘲するように、笑う。
「みんな俺の父親に気に入られたくて、俺をもてはやしていただけなんだ。……なぁ、ベルが俺を犯人に仕立て上げた理由、知ってるか?」
マルクスが顔を上げる。その紫色の瞳に影が差し、光を一切通さなかった。
「俺の傲慢な態度が、クラスで目障りだったんだってよ。……笑えるよな」
——笑えない。全く笑えない。
ノエルは彼の告白を聞いて、笑うどころか同情を覚えた。確かに彼は傲慢な態度が目立っていた。けれど同時に、自分とは違って友達が多い人間なのだと思っていた。
なんと声をかけていいかわからず、ノエルは言葉を詰まらせる。
だがそんなノエルをよそに、マルクスは顔を上げると——申し訳なさそうに、ノエルを見つめた。
「……けど、停学中に色々考えさせられてさ」
マルクスの声が、僅かに震える。
「みんなから無視されるようになってから、気づいたんだ。お前も俺と同じ気持ちだったんじゃないかって」
ゆっくりと、マルクスはノエルに向かって手を差し伸べた。
「……その、今までお前のことを悪く言って、本当に悪かったよ。ごめんなさい」
ノエルは息を呑んだ。
目を大きく見開かせ、マルクスを見つめる。申し訳なさそうに項垂れる彼の顔と、差し出された手を交互に見て——戸惑った。
(手を……取るべきなんだろうか?)
今まで彼が自分にしてきたことを思うと、それが正しいのかわからない。
けれど——今まで、自分の出自について悪く言ったことを謝罪した人など、誰一人としていなかった。
彼のその行動に、何か熱いものが込み上げてくるのを感じる。
少し躊躇いながら——ノエルは、彼の手を取った。
マルクスの紫色の瞳が、大きく見開かれ、その瞳が激しく揺れる。
ノエルは彼を見上げながら、少しだけ口角を上げた。
「……謝罪してくれて、ありがとう」
心からの言葉だった。
「正直、こうしてお互い和解できたことが嬉しいよ」
マルクスが、息を呑む。今にも泣きそうな表情で笑みを浮かべると、彼はゆっくりと頷いた。
その様子を見て、ノエルは再び小さく微笑む。
いつも自分をいじめてきた彼が、自分を理解してくれようとしている。
その事実が、胸の奥を温かく満たしていく。
ノエルは窓の外に目をやった。朝の光が教室を照らし、新しい一日が始まろうとしている。
(いつか……)
そう思った。
いつかの未来。マルクスのように、自分に対して冷たかったみんなも——春が訪れたように、自分を受け入れてくれる。
そんな予感が、確かにあった。
◆これ誰だっけ?となったとき用の【登場人物一覧はこちら】https://ncode.syosetu.com/n8468lk/31/
( キャラクターのイラスト付き ※第14話までのネタバレを含みます。未読の方はご注意ください)




