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「……というわけで、ベルに私の能力を見られたかもしれないから、記憶を改竄して欲しいの」


 登校時間前の誰もいない科学室。まだ朝日が昇り始めたばかりで、薄明るい光が窓から差し込んでいる。埃っぽい空気の中、光の筋が床に斜めに伸びていた。


 レイシーの柔らかな白髪が、その光を受けて淡く輝く。鏡のように澄んだ青い瞳が、目の前の青年を静かに映していた。


 相手は——少しくせのある金色の髪を持つ、深緑色の瞳の青年。


 だが彼は、レイシーの言葉にまったく反応を示さなかった。


 視線は伏せられたまま、実験台の上に置かれたカエルの入った籠に向けられている。籠を何度も傾け、中のカエルをじっと観察する仕草——まるで、彼女の存在など眼中にないかのように。


 レイシーの笑顔が、僅かに引きつった。心の中で苛立ちが募るのに、表面上は穏やかに保つ。


「……オズくん、聞いてるの?」


 声に、わずかな苛立ちが滲む。だがオズと呼ばれた青年は籠から目を離さないまま、素っ気なく答えた。


「お前の目は飾りか? 聞いてないわけないだろ」


「………」


 レイシーの瞳が、冷たく細められる。額に青筋が浮かびかけたが——すぐに深く息を吸い、理性を保った。表情を整え、再び穏やかな笑みを貼り付ける。


「じゃあ、承諾してくれたってことでいいのかしら?」


「承諾も何も、後始末は国が勝手に決めた僕の義務だ」


 オズがようやく籠を実験台に置いた。そしてゆっくりと顔を上げ——深緑色の瞳が、レイシーを捉える。


 次の瞬間。


 鼻で、笑った。


「そんなこともわからずによく『白薔薇』が務まるな……見た目だけでなく、頭まで人形のように空っぽなのか?」


「……………」


 あまりにも露骨な皮肉に、レイシーの笑顔が凍りつく。


 ——こいつ、黙っていればいけしゃあしゃあと。


 心の奥で黒い感情が渦巻いた。一瞬、彼を毒で痛めつけることを検討する——だが、それでは彼を利用できなくなる。ぐっと堪えて、あくまで穏やかな笑みを保った。


「そんな……ひどいわ、オズくん」


 声は優しいまま。だが瞳だけが、冷たく光っている。


「そもそもあなたが直接お願いしに来いって言ったんでしょう? ——春の都『カプシリアン』のロード代理のあなたが」


 その言葉に、オズの眉が僅かに動いた。だがすぐに、あからさまに嫌そうな顔をする。


「はぁ……いつもそうだ。何か不祥事が起きれば必ず周りが僕を頼る。僕はなんだ? 便利屋か? こんないたいけな未成年を裏で暗躍させて、この国は終わっているんじゃないか」


 オズが大袈裟に嘆き、自分の境遇に不満を漏らす。


 レイシーは彼の発言に呆れながらも小さくため息をつくだけに留めた。


「なんで直接私を呼んだかわからないけど……ベルのことはお願いね。じゃあ、私はそろそろ——」


「……レイシー」


 オズの声が、彼女の動きを止めた。


「お前に直接僕の元に来てもらったのは、文句を言うためだ」


「……文句?」


 レイシーが振り返る。訝しげに眉を寄せ、首を傾げた。内心で警戒心が芽生える。


 オズがこちらを指差す。


「ああ、文句だ。お前…」


 オズが言葉を切った様子にレイシーは少し緊張した様子で固唾を飲む。するとオズは苛立った口調で言葉を続けた。


「こんな面白そうな事件に僕を呼ばずに進めるなんて…到底我慢できない!謝罪を求める!」


「………」


 何を言ってるんだこいつ。


 思わず演技を忘れて呆れた眼差しで目の前の青年を見つめる。だが我に帰ると彼女は自然と綺麗な笑みを彼に向けてまたドアに手をかけた。


「まさかオズくんが事件に興味があったなんて知らなかったわー、ごめんなさいねー。じゃあ、話も終わったわけだし私はこれで……」


「全くだ——この事件を最初っから計画するなら次から僕を呼ぶんだな」


 全く抑揚のない声で科学室を立ち去ろうとしたが、彼の言葉にぴたりと指先を止める。


 思わず目を見開いて息を呑む。


 レイシーはゆっくりと振り返る。冷たく彼を一瞥して控えめな笑みを彼に向けた。


「……それは、どういう意味?」


 レイシーの声が、冷たく科学室に響く。


 光を通さない青い瞳がオズを捉えた。口元は笑みを浮かべているのに、その目には明らかな警戒の色を滲ませる。


 そんな彼女を見ても、彼は怯える様子を見せずに楽しそうに口角を上げて目を細めた。


「お前が意味を聞くのか?一番よくわかっているだろうに」


「…まるでこの事件は全て私が仕組んだような口ぶりね」


 レイシーの声が先ほどよりも低く、冷たいものになる。青い目を細めて彼を見つめると彼女は言葉を続けた。


「私はどちらかというと、今回の事件の被害者よ? まさか、全て私が招いたことだとでも言うの?」


「その通りだ。そこまで頭が空っぽではないみたいだな」


 さすがのレイシーも、その言葉に眉を寄せて睨むように目を細めた。明らかな嫌悪感を滲ませたその表情を見て、オズは満足げな笑みを浮かべる。


「——やっと本性を現したな」


 ポツリと呟かれたその言葉に、レイシーの目尻がつり上がる。


 だが、自分を律するように沈黙し、深く息を吸って落ち着きを取り戻した。まっすぐ彼を見据える。


「何が言いたいの」


 冷たい声が、静かに彼の鼓膜に響く。


 それでもオズは慌てる様子を見せず、嘲笑まじりに口角を上げた。


「わかるはずだ、レイシー・ロンジェヴェティ……だって」


 オズが言葉を切る。確信めいたように深緑色の瞳を光らせ、レイシーをまっすぐ見据えた。


「図書館の毒針を仕込み、ノエル・ドージャーをこの事件に巻き込ませたのはお前なんだから」


 断固とした声が、科学室に響く。


 レイシーはわずかに目を見開かせ、その青い瞳を一瞬震わせた。心臓が一瞬、強く打つ。


「……私のことが嫌いなのは知ってるけど、冗談にしては笑えないわよ」


 薄く笑みを浮かべ、目を細める。けれどその目は一切笑っておらず、どこか威嚇するように彼を見つめていた。


「あの仕掛け。スコットとベルの技術では作れない代物だ。——それにお前、普段図書館を利用しないだろ」


 確信をついた言葉に、レイシーの笑みが消える。


 それでもオズは言葉を続けた。


「図書館を普段利用しないのに、正確にお前が座る位置を二人が計算できるわけがない。それにあの毒針……二人の証拠品の中から出てきたが、二人とも最後まで自分のものではないと言い張ったそうだな」


「…………」


「……お前は今回の毒殺未遂事件を利用して、ノエル・ドージャーを『白騎士』にするために全てを計画した。とんだ大掛かりな茶番を考えたものだ」


 レイシーはオズの言葉を静かに最後まで聞いていた。その青い瞳に影が差したまま、冷たく彼を見据える。


 ——すると、いきなり彼女は噴き出した。


「あはは……ふふ、ごめんなさい。いきなり変なことを言うものだから、つい」


 先ほどまでの冷たい表情が消え、実験室に彼女の鈴を転がしたような笑い声が充満する。彼女は目尻に溜まった涙を細い指で拭いながら、彼を見つめた。


「……変なこと?」


 彼女の笑みを見て、今度はオズが苛立ったように彼女を見据える。


 今度は彼女が、彼の表情を見て満足げな笑みを浮かべた。


「ええ。もし百歩譲って私が全て仕組んだとして、証拠は? 実際に私が命を狙われた犯人がいたのは事実よ」


 彼女は言葉を切ると、穏やかな笑みを浮かべたまま続けた。


「……それに、仮に私がノエルくんを『白騎士』にしたいがためにこの計画を作ったとして、こんな周りくどいことをリスクを背負ってまでやる必要はあったかしら?」


「…………」


 目を細めて彼を嘲笑うように、その姿を映す。


 彼は観察するように彼女を見つめたまま押し黙った。証拠がないことを確信した彼女は、ゆっくりと彼に近寄って顔を覗かせる。


「憶測でものを考えるのはいいけど……言う人は選ぼうね」


 彼女と彼の視線がぶつかる。


 圧をかけるように彼女はそう言うと、その冷たい瞳を細めていつもの天使のような笑みを浮かべた。


「じゃあ、この話は終わったわけだし。そろそろ授業が始まるから行くわね」


 彼女はそう言って踵を返し、科学室の扉に手をかける。


 ——だが、咄嗟にオズが彼女の手首を掴んで引き寄せた。


「待て」


「……今度は何かしら?」


 さすがの彼女も、彼を見上げながら黒い笑みを浮かべる。


 だが彼はそれをものともせず、言葉を続けた。


「リスクを背負う理由はあったはずだ」


 オズが言葉を切り、彼女を見透かすように目を細める。


 彼は慎重に、言葉を紡いだ。


「それしか方法がなかったからだ。普通に話しかけても避けられ、仲良くなる接点もきっかけもない…だからお前はこの強引な方法をとった」


「………」


 レイシーはオズの話を聞いて沈黙する。どこか冷たく彼を見上げ、睨むように目を細めたがオズは構わずに言葉を続けた。


「だが、わからない。その『能力』を持っているお前なら一人でもこの事件は解決できたはずだ。なんなら毒殺なんて無視もできただろう」


 オズは言葉を切る。だけど息を整えると、まっすぐレイシーの青い瞳を見つめてさらに手首を引き寄せた。


「——なぜ『ノエル・ドージャー』に固執する。お前の目的はなんだ」


 彼の言葉に、レイシーの青い瞳が一瞬揺れる。心の中で、何かがざわつく。


 だが——いつもの穏やかな笑みを浮かべると、彼女は彼の腕を振り解いた。


「……さあ、私より色々詰まっているその頭で考えてみたら?」


 さっき言われた皮肉を丁寧に返す。彼女は今度こそオズを置いて科学室を後にした。


*  *  *


 誰もいない廊下。


 一人でローファーの靴音を鳴らしながら歩く彼女の表情は、影を差して苛立ちを滲ませていた。


「……一生知る必要なんてないわ」


 誰に言ったわけでもない呟き声が、誰もいない廊下に消えていく。


 彼女は授業が始まる自分の教室に戻るために、一人廊下を歩き続けていった。


◆これ誰だっけ?となったとき用の【登場人物一覧はこちら】https://ncode.syosetu.com/n8468lk/31/

( キャラクターのイラスト付き ※第14話までのネタバレを含みます。未読の方はご注意ください)

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