23
ベルは事情聴取で憲兵に椅子に座らされていた。
何度も尋問をされて、疲れたように虚な瞳を無機質な机に固定する。
彼女は疲弊して何も考えられなかったが、あの日を懐かしむように脳裏にあの夜の記憶を蘇らせていた。
庭園で「彼」に囁かれた言葉。
『———君は利用されているだけだよ、ベル。クラリッサお姉様も、レイシーも——みんな君を下に見てる。でも、もし『白薔薇』がいなくなれば……君にもチャンスが来る』
『……本当に?』
『ああ。僕が君を助けてあげる。だから——』
愛しい彼の手が、ベルの頬に触れた。
『僕を信じて、協力してくれないか?』
その優しい声に、ベルは抗えなかった。
誰も自分を気にかけてくれなかったのに、彼だけが自分を「必要」としてくれた。
彼女は目を潤ませると何度も深く頷いてみせる。
———彼女の様子を見て、彼は満足げに微笑んだ。
(……絶対あの人を裏切らない。絶対に)
あの日自分の中で約束した誓いをまた胸に抱く。
彼女は決して口を開かないことを決意しながら、また憲兵たちに囲まれて尋問を受ける。
たとえ、能力を使って無理やり真実を吐かせようとしても。
彼女は決して口を割ることなかった。
* * *
事前に待機してもらっていた憲兵たちが空き教室に入ってくる。重厚な扉が開く音が響き、制服姿の彼らが規律正しい足取りでスコットの元へと向かった。
ノエルの代わりに憲兵がスコットを拘束して連れて行く。
その姿を見てノエルは少しホッと胸を撫で下ろした。
これでレイシーの身の安全が保障される——
無事に事件が解決し、あとは寮に帰ってゆっくり休むだけだ。
……そう思っていたのに。
「——要するに、お前らは毒殺未遂の犯人を捕まえるために『独断』で動いた。自分たちの危険を顧みずに、犯人を特定して捕まえた……そういうことだな?」
『独断』という言葉を強調して、目の前の義兄…ジャックが引き攣った笑みを浮かべている。
口角は上がっているのに、その赤い瞳は全然笑っていなかった。
一方、レイシーとノエルは彼の目の前で椅子に座らされている。窓から差し込む夕陽が二人の影を長く伸ばし、まるで尋問室のような空気が教室を支配していた。
罰が悪そうに冷や汗を流して項垂れるノエル。対照的に、レイシーはどこ吹く風といった様子で涼しい顔をしながら、白い髪を耳にかけた。
先日ベルを捕まえた時は何も言わなかったので、このまま見逃してくれると思ったが——油断した。
大人しく座る二人を咎めるように、ジャックは仁王立ちで腕を組んだまま見下ろしている。どうやら、二人を説教する機会を伺っていたようだ。
「……申し開きがあれば、今聞くが?」
「ごめんなさい」
その言葉を聞いた瞬間、反射的に深く頭を下げた。
圧が——圧が、すごい。
赤い双眸がこちらを厳しく見下ろす。その視線に耐えきれず、ノエルは身体を縮こまらせた。なんて言えばいいかわからず、言葉を詰まらせる。
謝罪するノエルに対して、ジャックはさらに眉間に皺を寄せて厳しく見下ろした。精神的に追い詰められていくノエルを見かねたのか、レイシーが小さくため息をつくと、真っ直ぐジャックを見据える。
「ノエルくんは何も悪くありません。私が無理に彼に護衛をお願いしたんです……ごめんなさい」
レイシーはそう言うと、丁寧にジャックに向かって頭を下げる。まるで全責任は自分にあると言わんばかりの誠実な対応に、ノエルは思わず顔を上げて彼女の肩に手を置いた。
「待ってくれ、レイシー。義兄さん、違うんだ——俺から彼女に協力したいって言ったんだ」
慌てて彼女を庇うようにジャックに訴える。緋色の瞳に必死の色を滲ませながら、身を乗り出した。
二人の主張を聞いて、ジャックはしばらく交互に見つめていた。訝しげに眉を寄せていたが、やがて深いため息をつく。
「……レイシー嬢。大体の事情は弟から聞いている」
ジャックは言葉を一度止め、少し間を置いてから続けた。
「ロード殿が警護を外したのは気の毒だが…だからと言って、うちの弟を巻き込むのは違うだろう。憲兵に頼れたはずだ」
「………」
厳しい言葉がレイシーに降りかかる。彼女は俯くと、静かに視線を逸らして口をつぐんだ。普段の完璧な笑顔は影を潜め、その横顔には僅かな影が落ちている。
「……そして、ノエルも。なんで一度も俺や他の人に相談しなかった。いくらでもチャンスはあっただろう」
ジャックは一度言葉を切ると、二人を交互に見据えた。
「——間違っていたら、死んでいたんだぞ」
その言葉の重さに、二人は何も言えなくなった。
ジャックの言っていることは正論だ。けれど——
ノエルは顔を上げると、まっすぐジャックを見つめた。
「義兄さん。心配をかけさせてごめん……けど、こうするしかなかったんだ」
緋色の瞳に確固たる意志を宿して、言葉を続ける。
「彼女は俺しか頼る人がいなかった。それに、誰にも言わない方がいいと思った……犯人を捕まえるには、その方が最善だと判断したんだ」
ノエルは切実にジャックに訴えた。わかってもらうのは難しいかもしれない。けれど、せめて彼女の心情を察してほしいと願った。
ノエルの言葉に、ジャックは弱ったように眉根を寄せて瞳を揺らす。しばらく沈黙が落ちた後…彼はゆっくりと片膝をついて、二人と目線を合わせた。
「……それでも、俺は相談して欲しかった。特に命に関わるなら尚更だ」
先ほどよりも優しい声色で、二人を諭す。ジャックの赤い瞳は、切実に二人を見つめていた。目尻を下げて語りかける姿は、明らかに二人を案じている様子だった。
「誓ってくれ。今度危ない目に遭ったら……誰でもいい。頼れる上級生か大人に頼ってくれ。何でもかんでも自分たちで解決しようとするな」
二人を交互に見てそう言うと、ジャックはノエルの肩に手を置く。温かく、それでいてしっかりとした重みが伝わってきた。
ノエルはビクッと身体を震わせて、緋色の瞳を見開かせる。顔を上げると、ジャックの赤い瞳と目が合った。
「……特にノエル、俺はお前の兄だ」
ジャックの声が、静かに響く。
「まだ俺に心を開いていないのは知っている。けど、何が起きても俺は——いや、俺たちはお前の味方だ。なんでもいい。何かあれば、いつでも頼ってくれ」
「……っ」
ジャックが真っ直ぐノエルの瞳を見据えてそう言う。その言葉が、胸を貫いた。何か熱いものが込み上げて、喉の奥が詰まる。思わずとっさに視線を落とした。
それが本心かわからない。けれど——それでも、心から嬉しかった。
「……ありがとう、義兄さん」
震える声で言葉を紡ぐ。ジャックは目を少し見開くと、優しげに微笑んだ。そして、ノエルの頭をゆっくりと撫でる。
隣で二人のやりとりを見ていたレイシーは、どこか嬉しそうに——けれど、羨ましそうに二人を温かく見守った。青い瞳が僅かに揺れ、複雑な感情が滲んでいる。
「くそっ……離せ!」
——だが、怒声が廊下に響いた。
三人は咄嗟に振り返る。
「レイシー、ここにいてくれ」
「あ、待って——ノエルくん!」
レイシーの制止の声を振り切って、ノエルはジャックと共に廊下へ向かった。足音が教室の床を蹴り、扉が勢いよく開く。
廊下に出ると——憲兵に連行される途中のスコットが、必死に抵抗している姿がノエルの目に映った。制服の裾を掴まれた憲兵が困惑した表情で彼を押さえつけようとしている。
「ノエル、ここにいろ」
ノエルを背にして、ジャックがスコットのところに向かおうとする。けれど——ノエルはジャックの手首を掴んで引き留めた。
「待って、義兄さん。スコットに話があるんだ」
ノエルの言葉に振り返ると、ジャックは訝しげに眉を寄せる。だが、ノエルが目で訴えてくるので、彼は諦めたようにため息をついた。
「……俺から離れるなよ」
ジャックはそれだけ言うと、ノエルと一緒にスコットに近づく。廊下の床を踏む足音が、やけに大きく響いた。
スコットはノエルを視界に捉えると、殺意を込めて睨みつけた。赤茶色の髪が乱れ、息が荒い。
「くそっ……なんの用だ! 僕を嘲笑いに来たのか!?」
スコットの言葉に、ジャックの瞳が冷たくなる。一歩踏み出そうとしたが——ノエルがジャックの胸を手で押さえて制止した。
「……違う。言いたいことがあって来た」
「は?」
スコットが訝しげに眉を寄せる。警戒するようにノエルを睨みつけた。ノエルは喉を詰まらせるも、恐る恐る彼に話しかける。
「ベルのことだが……」
「……ああ、あの役立たずか」
スコットは吐き捨てるようにそう言うと、彼を睨みつける。だがどこか物憂げに視線を逸らすと、自嘲するように鼻で笑った。
「どうせ、俺についてすぐに吐いたんだろ。……あーあ。あいつさえいなければ、こんなことにならなかったのに」
スコットは脳裏に彼女の姿を思い出したのか、恨み言を言うようにそう言って表情に影を落とす。
ノエルはぴくりと眉を寄せると、何度も首を振ってそれを否定した。
「……違う。ベルは最後まで、お前の名前を出さなかったよ」
「……なんだって?」
スコットは目を大きく見開くと、ゆっくりとノエルに視線を移す。信じられないように言葉を詰まらせた。
ノエルは真っ直ぐに彼を見据えて、言葉を続ける。
「君について、何度も聞いても知らないふりを貫き通したんだ……自白の能力を使われても、舌を噛み切ろうとして絶対に話さなかった」
ノエルは、彼女の取り調べに参加させてもらった時のことを思い出しながらそう告げる。あの時の彼女の必死の抵抗が、脳裏に蘇った。
「……ベルはスコットが犯人候補として上がった時、ずっと自分が犯人だと主張してたぞ」
一度言葉を切ると、ノエルは静かに続けた。
「彼女は本当に君を想っていたんだな」
ノエルの言葉に、スコットは瞳を大きく揺らす。感情を揺さぶられたように震えた瞳を細めると——彼は乾いた笑い声を上げた。
「はは……バカな女だな」
そう吐き捨てる。けれど、どこかその震える声には複雑な感情が滲んでいるような気がした。
スコットがおとなしくなるのを確認すると、ジャックは彼を取り押さえていた憲兵に向かって頷く。
「……連れて行ってください」
その言葉を合図に、憲兵たちは再び彼を連行しようとした。
けれど——スコットは突然抵抗すると、ノエルに向かって突進してきた。
「!」
突然の出来事にノエルは驚き、咄嗟に身構える。けれど、スコットがノエルに近づくと——耳元に囁いた。
「……レイシー・ロンジェヴェティには気をつけろ。あいつは危険だ」
「……え?」
ノエルは目を見開いて彼を見つめる。
だがその瞬間、ジャックがスコットの首根っこを掴んで引き剥がし、憲兵に投げ渡した。
「早く連れて行け!」
ジャックの怒声が廊下中に響く。憲兵たちはそれを合図に慌ててスコットを拘束すると、そのまま彼を引っ張って廊下の向こうへと姿を消した。
ノエルは呆然と、スコットが連れ去られていく姿を見つめる。
(……今の言葉は、一体——)
彼の心の中で、彼女への違和感が少しずつ膨らんだ。なぜスコットがそこまで彼女を警戒するのか。その理由がわからず、ノエルはただ立ちすくむ。
ジャックに心配するように声をかけられるまで、その場から動けずにスコットの後ろ姿を見つめ続けた。
◆これ誰だっけ?となったとき用の【登場人物一覧はこちら】https://ncode.syosetu.com/n8468lk/31/
( キャラクターのイラスト付き ※第14話までのネタバレを含みます。未読の方はご注意ください)




