22
今までロッカーに隠れて様子を見ていたノエル。彼女が何を言っていたかは聞き取れなかったが、スコットが襲いかかるのを見て咄嗟に体を動かした。
ロッカーの地面を蹴り出ると、ものすごい速さでスコットとの間を詰める。準備しておいた自前の剣を抜き、ナイフを弾いて彼の手から離れさせた。
「レイシー、無事か?」
ノエルは彼女を振り返らず、剣先をスコットに向けながら身を案じる。レイシーは彼が来るのを信じていたように、温かく微笑むと彼の背中を見つめて深く頷いた。
「……ええ、無事よ。ありがとう」
スコットは二人の様子を呆然と見ていたが、瞬時に現状を飲み込むと——殺意のこもった瞳を釣り上げて、ノエルとレイシーを見据えた。
今まで聞いたことのないほど低い声が、スコットの口から漏れ出る。穏やかな仮面が剥がれ落ち、本性が露わになった瞬間だった。
「……お前、いつからそこにいた」
警戒するように、ノエルを見据える。宙に舞って落ちてくるナイフを器用に手で受け取ると、スコットは敵意剥き出しで構えた。
スコットの額に汗が浮かび、わずかに呼吸が荒くなる。
何かを探るように視線が動き、状況を打開しようと必死なのが見て取れた。
だが、ノエルはスコットを悲しげに見つめて眉を寄せた。この状況を、悲しく受け止めていた。
「スコット、なんでこんなことを……」
できれば、彼と相対したくなかった。できれば、剣先を収めたい。
けれどスコットは警戒するように目尻を上げ、ナイフを収める様子を見せなかった。
「……お前は何もわかっていないんだ。後ろの女が、どんなに危険か……今まで彼女に対して、違和感を覚えなかったのか?」
スコットは静かにそう言うと、ノエルの後ろに佇むレイシーを睨みつける。レイシーは何も言わず、ただスコットを見据えるばかりだった。
ノエルは、言葉を詰まらせた。
彼の言う通り、心当たりがあったからだ。
(……確かに、違和感はある)
先日のマルクスの件以来、彼女にある程度の違和感を覚えていた。レイシーが時おり見せる、冷たい眼差し。それが脳裏に蘇ると、何も答えられなかった。
剣先が、少しだけ揺らぐ。
スコットはノエルの様子を見て、目を細めた。ナイフの剣先を下げると、優しい声色で話しかける。
「……ノエルくん。その女はいずれ、僕たちの身を脅かすんだ。見逃してくれるなら、必ず彼女の正体を明かすと誓うよ……だから、僕を助けてくれ」
そう言って優しげに微笑むと、ノエルに向かって手を差し伸べた。
ノエルはその手を、呆然と見つめた。
不意に、彼女を振り返る。
「……………」
レイシーは彼を見つめて、何も言わなかった。ただ悲しげに彼を見つめ、眉根を寄せている。不安を滲ませた表情で——彼女の小さな手が、彼の服の袖をキュッと掴んだ。
「……ノエルくん」
か細い声が、ノエルの耳を掠める。顔を伏せたまま、まるで彼に無実だと懇願するように。
その声を聞いて、ノエルの覚悟が決まった。
厳しい顔でスコットをゆっくりと振り返る。
確かに、彼女への違和感は拭えない。今後も、それは変わらないかもしれない。
けれど——
自分を信じてくれた彼女を、今度は自分が信じてあげたかった。
ノエルの表情を見て、スコットは苛立たしげに眉を寄せる。諦めたようにため息をつくと、ナイフを握り直した。
「……結局、お前も薔薇に魅せられた者なんだな」
その言葉と同時に、甘い香りが空き教室に充満する。今まで嗅いだことのあるその匂いが強烈に、ノエルとレイシーの鼻を掠めた。二人は慌てて手で口を押さえる。
「っ、何をした!」
「……ただ持っていた幻覚剤の成分を、濃くしたんだ。君が中々言うことを聞かないからね……僕の代わりに、罪を被ってもらおうと思って」
「……っ」
レイシーは匂いに負けて床に膝をつくと、そのままうずくまる。
その様子を見て、スコットは微笑むと懐からガスマスクを取り出して顔に身につけた。
「あはは。まさかこんな事態になると思わなかったけど、事前に用意しておいてよかったよ……さて、ノエルくん。立てるかな?」
優しくそう言うと、彼に近づく。匂いにやられたノエルは膝をつき、剣を床に落とした。項垂れたまま呻き声を上げ、次第に力が抜けていく。目が虚になった。
スコットは満足そうに目を細め、ほくそ笑む。ノエルに近づいてナイフを握らせると、耳元に囁いた。
「……これでレイシーを殺して、お前も自害しろ」
マルクスにそうしたように、冷たく命令を下す。ノエルに罪をなすりつけて、このまま逃亡を図るつもりだった。
ノエルはゆっくりとナイフを握り返すと、ゆっくりと立ち上がる。レイシーに向かって、ゆっくりと歩き出した。
スコットは、ほくそ笑んだ。
(これで、俺はなんの罪にも問われない……混血児のこいつがレイシーを殺しても、なんら違和感なんてない。完全犯罪だ)
不気味な笑みを浮かべる。ノエルがレイシーを殺すまで見守ろうとしたが——いや、すぐにここを離れた方がいい。そう判断して、その場を離れようとする。
だが——
ドスッ!
頭に突然衝撃が走り、スコットは地面に伏せた。
「がはっ!」
状況が飲み込めず、床に横たわる。
(何が——起きた?)
そう思う頃には、遅かった。ノエルがスコットに跨り、拘束する。先ほどまで虚ろだった緋色の瞳が光を宿し、厳しく見下ろしていた。
「……こうやって、マルクスに催眠をかけたんだな」
厳しい声が、スコットの耳に入る。
スコットは後頭部を蹴られて地面に組み伏せられたと気づくと、信じられないように目を大きく見開かせて彼を見上げた。
「……は? なんで……なんで幻覚剤が効かないんだ!」
ガスマスク越しに、ノエルを睨みつける。
その瞬間——教室の窓が開き、新鮮な空気がスコットの髪を靡かせた。窓に目を移すと、先ほどまでうずくまっていたレイシーが白い髪を靡かせて、窓を開けている。
スコットは信じられないような眼差しで彼女を見ると、苛立ちに任せて怒声を上げた。
「おい、どういうことだ!」
「……あら? まだわからないの?」
レイシーはスコットを振り返る。
スコットは彼女の姿を見て、息を止めた。だって彼女もまた、ガスマスクを身につけていたからだ。
レイシーはガスマスクを外すと、天使のような笑みを浮かべた。その姿は、どこか彼を嘲笑っているようだった。
「あなたの証拠が欲しくて、一芝居打ったのよ? ノエルくんは私と違って毒が効きにくいから、わざと催眠にかかったフリをしてもらったの」
クスクス笑いながら、録音機をスコットに見せる。その中には、スコットが催眠をかけた証拠がきっちりと収められている。
呆然とするスコットを横目に、彼女は口角を上げて笑った。
ノエルはそんな彼女を見て、緊張が解けたようにため息をついた。
「……不安だったが、騙されてくれてよかったよ」
今まで演技とは無縁の人生を送ってきたノエルは、スコットにバレなかったことに安堵の息をつく。だが厳しい目つきで、再びスコットを見下ろすと低い声を上げた。
「……スコット・レイウッド。ドージャー家の名の下に、君を毒殺未遂で逮捕する」
そう言って、特殊な手錠をかける。能力を抑える手錠が、スコットの能力を封じた。
逮捕されたスコットはそれでも地面に伏せられながら、もがく。ノエルを睨みつけると、罵声を吐いた。
「汚れた混血児の分際が……っ!」
ノエルより先に、レイシーがぴくりと眉を寄せて反応する。苛立ったように目尻を上げると、彼女はスコットに近づこうとした。
だがノエルは片手を上げて、彼女を静止する。
しばらくノエルは複雑な眼差しで彼を見下ろすと、静かに瞼を閉じた。少しして瞼を上げると、スコットを見据える。断固とした声を上げて、告げた。
「……確かに俺は混血児だが、この血は俺の誇りだ」
レイシーとスコットから、息を呑む音がする。
この間見た夢の続きが、ノエルの脳裏を掠めた。
大切な記憶の振り返り——あの冬空の下、屋根の上で靡く栗色の髪と、朝日に照らされた金色の瞳。彼女が目を細めて、こちらを見つめて微笑んだ。
『ノエルって、まるで夜に昇る太陽みたいだね』
ノエルはそれを思い出すと、懐かしむように薄く笑みを浮かべる。
自分に気を遣って言った言葉ではなく、ましてや彼を揶揄する言葉ですらない——彼女が心から、そう思って口にしたのだと幼いノエルは気づいていた。
彼の気持ちが大きく揺らいだ、その瞬間。朝日に照らされる彼女の姿が、今まで見たものの中で一番綺麗に思えたのだ。
(……メイ)
心の中で、彼女の名前を呼ぶ。
いつか彼女を探し出す。そして、彼女にいろんな話を聞かせたい。自分が今までどうやって彼女を探したか、離れている間にどんなことをしたか——そして、彼女以外の自分の理解者を、彼女に紹介したい。
ノエルはレイシーを振り返る。
彼女は唯一、自分の血を誇れと言ってくれた。数少ない友人である彼女を、メイに紹介したい。その思いで彼女を見つめると、彼女は視線に気づいてどこか困ったような——だけどどこか誇らしげに、ノエルを見つめていた。
スコットはノエルの言葉に呆然とすると、おとなしくなった。何を思ったのかはわからない。けれど、どこか自分の発言を悔やんでいる様子だった。
しばらくして、事前に呼んでおいたノエルの義兄や憲兵たちが空き教室にやってくる。
こうして、レイシー・ロンジェヴェティの毒殺未遂事件は幕を閉じた。
◆これ誰だっけ?となったとき用の【登場人物一覧はこちら】https://ncode.syosetu.com/n8468lk/31/
( キャラクターのイラスト付き ※第14話までのネタバレを含みます。未読の方はご注意ください)




