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『聞いた? レイウッド夫妻……お子さんを置いて自殺したんですって』


『まぁ! なんて可哀想なの……じゃあ、誰が彼を引き取るのかしら』


 曇天の空から、冷たい雨が降り注いでいた。

 黒い傘が並ぶ墓地で、幼いスコットだけが雨に打たれたまま立ち尽くしている。ずぶ濡れになった赤茶色の髪が顔に張り付き、制服がびっしょりと水を含んでいた。


 けれど——彼は、動かなかった。


 ただ虚ろな目で、両親の墓標を見つめている。


『確か、ロンジェヴェティ家への借金が膨れ上がって、返すことができなかったのでしょう?』


『そうなのよ! 借金取りにまで追われて……自業自得とはいえ、よほど追い詰められてしまったのね』


 背後で婦人たちがひそひそと囁き合う声が、雨音に混じって聞こえてくる。


 ——うるさい。


 スコットは無表情のまま、内心で悪態をついた。


 あの日の光景が、何度も脳裏に蘇る。自宅の居間で、首を吊って死んでいた両親の姿。床に転がっていた、踏み台代わりの椅子。揺れる身体——

 最初は現実が信じられなくて、ただ呆然と立ち尽くした。やがて悲しみが込み上げてきたが、涙は出なかった。


 そして今——残っているのは、憤りだけだった。


 なんで。なんで、自分を置いていったんだ。


『ほら、スコットくん。中に入りましょう。風邪を引いてしまうわ』


 大人たちが優しく声をかけてくる。けれど、スコットは首を振ることすらしなかった。足が、動かない。


 その時——誰かが、彼の頭上に傘を差した。


 雨音が遠ざかる。顔を上げると、琥珀色の瞳と視線が合った。

 癖のある緑色の髪をした、見知らぬ青年。どこか軽薄そうな笑みを浮かべているが、その目は真剣だった。


『おい、そんなところにいると風邪ひくぞ』


『……ほっといてよ。関係ないだろ』


 ぽつりと返す。声が、掠れていた。

 青年は一瞬目を見開いてたじろいだが——すぐに肩をすくめて、困ったように笑った。


『お前が風邪をひいたら、両親に顔向けできねぇだろ』


『……父さんと母さんの知り合いなの?』


 虚ろな目を青年に向ける。彼は目を瞬かせて苦笑すると、濡れたスコットの頭を優しく撫でた。


『まぁな……二人に何かあったら引き取ってくれって、頼まれてたんだよ』


 その言葉に、スコットは青年の背後を見た。

 そこには孤児院の職員たちが、黒い傘を差して並んでいる。哀れみの目で、こちらを見ていた。


『……僕は行かない』


 スコットは静かに告げると、再び墓標に視線を戻した。


『ここにずっといる』


 沈黙が落ちる。

 雨音だけが、墓地に響いていた。やがて青年がしゃがみ込んで、スコットと目線を合わせる。


『……両親と一緒に行きたかったか?』


『………』


 答えられなかった。喉が詰まって、言葉が出てこない。

 青年はスコットの沈黙を肯定と受け取ったのだろう——苦笑すると、突然彼の両頬を掴んだ。


『な、何するんだよ!』


 慌てて抵抗する。けれど青年は力を緩めず、ぐいっと顔を引き寄せてまっすぐ見つめてくる。


 琥珀色の瞳が、スコットを捉えて離さない。


『……あのさ、スコット』


 青年の声が、優しく響いた。


『お前の気持ちがわかるなんて、薄情なことは言わない。けどよ』


 言葉を切ると、彼はスコットの両頬を優しく撫でた。


『お前の苦しみを分かち合うことはできるぜ。……本当は、勝手に死んでった両親に怒ってるんだろ?あっちで俺にぶちまけろよ。全部拾って聞いてやるからさ』


 ——その瞬間、何かが弾けた。


 スコットの目から、涙が溢れ出す。


 誰も気づかなかった。誰も、自分の本当の気持ちに気づいてくれなかった。

 悲しいんじゃない——怒っているんだ。なんで自分を置いていったんだと、両親を恨んでいるんだ。

 それなのに——この人だけが、わかってくれた。


『うっ……ぐすっ……!』


 しゃっくりが漏れる。視界が滲んで、何も見えなくなった。大声で泣きじゃくるスコットを、青年は優しく抱きしめる。

 温かかった。

 雨に濡れて冷え切った身体に、彼の温もりが染み込んでいく。孤独が、少しだけ和らいでいった。


 ……その日から、僕は誓ったんだ。


 セドリック会長のために、この身を捧げようと。


  彼が大切にしているものを、僕も守ろうと。


 ———…たとえどんな手段を使っても。


* * *


 しばらくの静寂が二人の間に落ちた。まるで時が止まったように、空気が張り詰める。

 スコットの笑顔が一瞬消えた。瞳が揺れ、動揺の色が滲む。


 だがすぐに——穏やかな笑みを浮かべて、目を細めた。


「……どういう意味かな? ずっとクラリッサのそばにいたベルが彼女の筆跡を真似て、マルクスに手紙を渡した。その手紙に仕込んだ薬でマルクスを操ったって、会長から聞いたけど?」


 レイシーもまた、穏やかに笑みを返す。まるでその言葉を予想していたように、唇の端が持ち上がった。


「そこが疑問なのよ。ただの薬で、マルクスを操れたと思う?」


 彼女の言葉に、スコットが一瞬沈黙する。だがすぐに余裕の笑みを浮かべて、言葉を続けた。


「さあ? 僕は君みたいに薬に詳しくないから……それに、彼女の部屋から薬も見つかったんでしょう? どうしてそれで、僕が疑われるのかな?」


 肩をすくめる。証拠がないことはわかっている。だからこそ、穏やかな笑顔の裏で彼女を嘲笑う。自分の勝ちは確定している——そう確信していた。


 だがレイシーは、動揺を一切見せずに口角を上げた。


「確かに、彼女の部屋に幻覚剤があったわね。それを使えばマルクスを十分操れただろうし、動機もしっかりしている……けど、私どうしても一つ納得できないの」


 言葉を一度切ると、青い瞳を細めてスコットを見据えた。


「ベルが一人で、これを企てられたかしら?よく調べたら、彼女が毒を入手した経緯は全て偽造だったの。薬の知識なんてないはずのベルが、一人で毒を生成できるわけない……共犯者がいると思った方が、妥当だわ」


「……それが、僕だと?」


 スコットの声が、冷たく教室に響いた。表情に影が差し、冷たく彼女を見据える。

 だがレイシーはそれを意に介さず、微笑み続けた。


「スコットくん。私が毒に詳しいのは、知っているわよね?」


「……は?」


 突然関係のない話が出てきて、スコットは訝しげに眉を寄せる。苛立ちが僅かに表情に滲むが、彼女は気にせず話を進めた。


「ずっと不思議だったの。毒に詳しい私が、どうして毒に気づかずに口に含んでしまったのか……けど、気づいたわ。毒じゃなければ、気づくはずもないって」


 スコットの体が強張った。


(——まさか)


 心当たりがあるように、表情が固まる。それを、レイシーは見逃さなかった。


「……確か、スコットくんの家系は代々、対象物の成分濃度を自在に上げ下げできる能力を引き継いでいたわよね?」


 彼女の脳裏に、数日前に行われた実験の授業が蘇る。虫の成分を濃縮し、香りを出してカエルを引き寄せていたあの時——


「その能力は本来、茶葉の香りを濃くしたり、お茶の渋みを和らげたり、薬効を強めたり……日常的には便利で無害な使い方ばかりに使用されている」


 一度、彼女は言葉を切った。一見無害そうな能力だが、彼女はこの能力の別の使い方を知っていた。


「けど裏を返せば、その能力は——微量なら害のない成分、例えばカフェインやタンニン、精油などを短時間で致死量にまで濃縮できる」


 レイシーの青い瞳が、冷たく光った。


「要するに……あなたは紅茶の成分を致死量まで濃くして、ベルを使って私の毒殺を試みた。そうでしょう?」


 スコットは息を呑んだ。

 瞳が揺れる。レイシーはそのわずかな変化に気づいて目を細める。


 だがスコットは少し沈黙すると、平静を装うように噴き出して彼女を嘲笑った。


「はは……確かに筋は通ってるけど、証拠は? そもそもなんで僕が、君を殺さないといけないの?」


 余裕を感じさせる笑みを浮かべる。証拠なんてあるわけがない——そう言わんばかりに、穏やかな笑みを浮かべた。


 だがレイシーは、それを意に介さない。むしろ、その答えを待っていたかのように微笑むと、制服のジャケットの内ポケットに手を伸ばして、あるものを取り出した。


「……っ」


 スコットは、それを見て表情を一瞬こわばらせた。目を大きく見開き、視界に捉えると息を呑む。


「……この手紙。とてもいい香りがしたの」


 レイシーが手にしているのは、マルクスがクラリッサから受け取ったはずの便箋だった。


「友達のノエルくんが、この匂いを指摘するまで気づかなかったけれど……調べたら、致死量の紅茶の成分が色濃く残っていたのよ。ちょうど、あなたと同じ匂いがするの」


 彼女はスコットに近づくと、匂いを嗅ぐ。手紙と同じ香りが鼻腔を掠めると、妖しく口角を上げた。


「……きっと匂いに慣れすぎて、自分では気づかなかったのね。ふふ、おかげであなたの部屋を調べたら、証拠品が色々出てきたわ」


 彼女が可愛らしく笑う傍ら、スコットはだんだんと顔を青ざめさせる。わかりやすく動揺すると、彼女に詰め寄って肩を強く掴んだ。


「そんなわけない! 証拠はもう捨てて——あ」


 スコットは我に帰ると、片手で口を覆う。


(しまった——!)


 そう思った頃には、もう遅かった。レイシーの口角が、妖しく上がっている。彼はまんまと、彼女の策略にハマってしまったのだ。


「ふふ……本当にお馬鹿さんね」


 レイシーは彼に近づくと、顔を寄せて耳元に囁いた。鈴を鳴らすような、美しい声で。


「……あなた、会長の犬なんだから。私が国に危険が及ぶ人物だと疑って、早めに摘もうとしたんでしょう?」


 スコットの息が、止まった。


 目を大きく見開き、瞳を震わせる。信じられないものを見るような目で、彼女を見つめた。震える声を、必死に絞り出す。


「……なんで」


(なんで——彼女は、我々のことを知っているんだ?)


 知るはずがない。知らないはずだ。なのに——


 レイシーはそんな彼の反応を見て、不気味に口角を上げた。今度は嘲りの混じった声が、彼の耳元に囁かれる。


「あはは! 先走ってバカね! このまま泳がせれば尻尾を掴めたかもしれないのに……あなたみたいな人を管理できない、あいつも頭がお花畑なのかしら?」


 嘲笑まじりに笑いながら、わかりやすく侮辱する。


 その瞬間——スコットの穏やかな仮面に、強烈な苛立ちが滲んだ。咄嗟に、レイシーの胸ぐらを掴む。


「お前に、あの人の何がわかる!」


 叫びながら、腰に忍ばせていた鋭利なナイフを瞬時に取り出す。あらかじめ仕込んでおいた毒が、刃に塗られていた。躊躇することなく、感情に任せて彼女に向かって振りかぶった。


 だが——


 レイシーは、それを見ても全く動揺する様子を見せなかった。


 まるでその刃が、自分に届かないことを知っているかのように。


 キィン!


 金属がぶつかる音が、空き教室に鳴り響いた。

 スコットは驚いたように目を見開く。状況を飲み込む前に、ナイフが宙を舞った。


 片手に剣を持った青年が、レイシーを背に隠しながら立ち尽くしている。その青年は緋色の瞳を静かに細めて、目の前のスコットを見据えた。

◆これ誰だっけ?となったとき用の【登場人物一覧はこちら】https://ncode.syosetu.com/n8468lk/31/

( キャラクターのイラスト付き ※第14話までのネタバレを含みます。未読の方はご注意ください)

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