17
「すまない、レイシーとベルを見なかったか⁉︎」
ノエルは息を切らしながら、次々と生徒たちに声をかけた。普段は滅多に話しかけることのない彼が、切羽詰まった様子で声を荒げる。その異様な光景に、生徒たちは驚いて目を丸くする。
「えっ、知らない……」
「見かけてないよ」
けれど返ってくる答えは、全て同じだった。
(くそっ……どこに行ったんだ)
焦りが胸を締め付ける。どれだけ探しても、二人の姿は一向に見つからない。気がつけば日はすっかり暮れ、窓の外には藍色の闇が広がり始めていた。
廊下の灯りがぽつりぽつりと灯り、長い影が床に伸びる。生徒たちの姿もまばらになり、静寂が校舎を支配し始めていた。
(義兄さんに頼んで一緒に探してもらうか?……いや、それじゃ間に合わない。早く……早く見つけないと)
ノエルは廊下を全速力で駆けながら、二人が向かいそうな場所を必死に想像した。心臓が激しく打ち、息が上がる。肩の古傷が疼くが、それどころではなかった。
レイシーは先ほど、ベルと一緒にお茶会をする場所を教えてくれていた。だが、そこへ駆けつけた時には、もう誰もいなかった。
テーブルには使われた形跡があった。椅子が乱れ、床には何かがこぼれた痕。そして――レイシーの携帯電話が、無造作に転がっていた。
彼女がこれを置いていくはずがない。
焦りが、恐怖へと変わる。
(お茶会をする場所が変更になったのか?……いや、さっきの部屋であの甘い匂いが漂っていた。それに、レイシーの携帯も落ちていた……間違いない)
冷静に、冷静に考えろ。ノエルは自分に言い聞かせた。
走り続けていたノエルは、ふと足を止めた。
「……待て。ベルが一人で犯行を行ったなら……レイシーを一人で抱えるのは難しいはずだ」
それに、誰にも気づかれずに彼女を連れ出すなら、遠くより近場を選ぶはず。
ノエルは深呼吸をして、思考を巡らせる。先ほどの部屋の位置から、ベルがレイシーを連れていきそうな場所を考える。
(考えろ……あの場所から近い場所は……)
記憶を手繰り寄せる。脳裏に、ある光景が浮かんだ。
(……あ)
ノエルは目を見開いた。
そうだ、あの近くに――クラリッサと初めて会った庭園があったはずだ。そしてその時、ベルは倉庫で作業をしていた。クラリッサに叱責されて、土埃まみれになっていた姿が脳裏に蘇る。
(……そうか)
ノエルは踵を返すと、全速力で庭園の倉庫へ向かって駆け出した。
廊下を曲がり、階段を駆け下りる。息が切れる。視界が揺れる。それでも足を止めなかった。
(頼む……まだ無事でいてくれ)
最悪の事態が頭をよぎる。レイシーの笑顔が脳裏に浮かび、それが歪んで消えていく。
——だめだ、そんなこと考えるな。
ノエルはその考えを振り払って、自分を律した。
彼女を『白騎士』として守ると誓っただろう。
必ず見つけて、彼女を守る。
そう胸に誓って、ノエルは夜闇に包まれた庭園へと足を踏み入れた。
* * *
すっかり日が暮れ、天窓から差し込む月明かりが、薄暗い倉庫の床を青白く照らしていた。
壁際には園芸道具が整然と並び、土と古い木材の匂いが漂っている。静寂が支配する空間で、ベルの荒い息遣いだけが響いていた。
しばらく体の震えを抑えるように自分を抱きしめていたベルは、やがて虚ろな顔を上げ、床に倒れたレイシーを見下ろした。
(ああ……もう、終わったのね……)
初めて人を殺めた余韻が、重く彼女の身体に圧し掛かる。疲労感が全身を包み、膝が笑っていた。
それでも、やり遂げたという達成感が、心の奥底でくすぶっている。
ベルはぐったりと膝をついたまま、しばらくレイシーの姿を見つめていた。乱れた白い髪。虚ろに見開かれた青い瞳。そして、血の気を失った白い頬——
月明かりに照らされた彼女の姿は、まるで壊れた陶器の人形のようだった。
(……早く、遺体を隠さないと)
あの人に言われたあの場所なら、きっと誰にも見つからない。
けれど、まずは証拠を片付けないと。
ベルは疲れた身体に鞭を打って、ゆっくりと立ち上がった。ふらつく足取りで、レイシーに近づく。
床に転がった注射器を拾うため、しゃがみ込んだ——その時。
レイシーの白い指先が、ぴくりと動いた。
「——ひっ」
ベルは咄嗟に手を引っ込め、小さな悲鳴を上げた。
心臓が跳ねる。冷や汗が背筋を伝う。
(今……動いた?)
そんなはずはない。だってあの時、確かに彼女を殺したはずだ。脈だって測った。何も感じなかった。
(見間違い……?)
ベルは訝しげに眉を寄せ、もう一度レイシーを見下ろした。
彼女は動かない。虚ろに天井を見つめたまま、微動だにしない。
(……やっぱり、見間違いよね)
ベルは自分を納得させるように、もう一度注射器に手を伸ばした。
——だが、見間違いではなかった。
レイシーの白い指先が、今度は明らかに動いた。指が僅かに曲がり、次いで手首がゆっくりと持ち上がる。
ベルは息を呑んだ。
(なんで? さっき確かに、この手で殺したのに……)
焦りが胸を締め付ける。心臓が早鐘を打ち、呼吸が乱れる。
だがベルは、自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返した。震える手を握りしめ、冷たくレイシーを見下ろす。
(……一時的に蘇生したのね。けど、あの猛毒じゃ長くはもたない)
そうだ、怖がることなんてない。彼女の死は確定している。
そう自分に言い聞かせると、ベルは少し安堵したように胸を撫で下ろした。口角が僅かに上がり、冷たい笑みが浮かぶ。
(……せっかくだから、彼女の苦しむ顔を拝んでおきましょう)
ベルは余裕のある表情で、瀕死のレイシーに近づいた。
しゃがみ込むと、レイシーの絹のように柔らかな白髪を掴んで持ち上げる。人形のように力なく持ち上がる身体を見て、彼女の死が近いことを確信した。
「……苦しい?」
ベルはレイシーの顔を覗き込んだ。どんな歪んだ表情を浮かべるのか、期待に胸を膨らませて微笑む。
その息の根が止まるまで、美しい顔が恐怖に歪むのを見ながら嘲笑ってやろう——
ギョロリ。
——レイシーの青い瞳が、大きく動いてこちらを捉えた。
「きゃっ!」
ベルは咄嗟に髪を離し、後ずさった。
心臓が激しく跳ね、呼吸が荒くなる。冷や汗が全身を濡らし、手が震えて止まらない。
レイシーの青い瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。死にゆく者の瞳とは思えない、氷のように冷たい眼差し——
手を離したことで、レイシーは再び床に倒れ込んだ。
動かない。
(……見間違い……?)
ベルは自分の見たものを疑った。だが——
「……ふふ」
鈴を鳴らすような、可愛らしい笑い声が響いた。
「あはは……!」
レイシーの身体が、笑うたびに小刻みに震える。まるでこちらを嘲笑うかのような、その笑い声がベルの心臓を凍りつかせた。
ベルは呆然と立ち尽くした。言葉を失い、口を開けたまま固まる。
(なんで? どうして?)
頭の理解が追いつかない。
あの猛毒を身体に打ち込んだはずだ。運よく蘇生したとしても、こんなに笑えるはずがない——
呆然としているベルの目の前で、レイシーの身体がゆっくりと起き上がった。
縛られていたはずの腕は自由になっており、彼女は優雅に髪を掻き上げると、いつもの天使のような笑みをベルに向けた。
だが——その青い瞳は、氷のように冷たかった。
「ふふ……バカなベル。そんな毒で、私が殺せると思ったの?」
鈴を鳴らすような声でそう言うと、レイシーはクスクスと笑った。
ベルの頭の中が真っ白になる。疑問符ばかりが浮かび、思考が追いつかない。
(なぜ彼女は生きているの? なぜそんなに平気そうなの?)
どれだけ考えても、答えが出てこない。
ベルは震える声を絞り出した。
「なんで……? どうして……確かに殺したはず!」
激昂する声が倉庫に響く。やっと殺せたと思ったのに——やっと、この世から消えてくれると思ったのに!
ベルの頭の中で、様々な過去がフラッシュバックした。
序列外の自分を責めるばかりの両親。そんな自分を嘲笑うかのようにこき使うクラリッサと、他の『花たち』。そして——笑顔を振りまくだけで周りから愛される『白薔薇』のレイシーへの、嫉妬と憎悪。
苦痛に満ちた自分の表情が、脳裏に蘇る。
その悔しさが呼び起こされると、ベルは血走った目を見開いて声を張り上げた。
「許せない……許せない、許せない!」
若葉色の瞳に涙が溢れる。息が荒くなり、全身が震える。
「なんで……なんでよ! なんでいつも、私の思い通りにいかないの‼︎」
憎悪を込めた眼差しで、レイシーを睨みつけた。
レイシーは一瞬、笑みを消した。だがすぐに、いつもの優しげな笑みを浮かべる――ただし、その青い瞳には光がなかった。
「解毒剤を飲んだのね……怪しいものは全部捨てたはずなのに。どうやって持ち込んだか知らないけれど」
ベルは確信に満ちた表情で、レイシーを睨みつけた。
「ずっと私を疑っていたのね、レイシー」
レイシーの笑みが、さらに深まった。
「ふふ……元々あなたの動向が気になっていたけれど、あなたが犯人かは確証がなかったの」
彼女は冷たい眼差しを細める。
「この間のお茶会で、あなたの反応を見るまではね」
ベルの脳裏に、数日前の光景が蘇る。ノエルが紅茶を飲んで倒れた時——
「まさか……あの時……」
ベルは片手で口を覆った。
「もう少し演技を学ぶべきだったわね、ベル」
レイシーは嘲笑うように目を細め、不敵に笑った。
あの時、レイシーはクラリッサの表情だけでなく、ベルの表情も観察していたのだ。
レイシーはこっそりポケットに忍ばせていた小瓶を、ベルの視界に入るように取り出した。
——毒殺未遂の現場に転がっていた、凶器の小瓶。
それを知っているのは、ごく僅かな人間だけ。クラリッサさえ知らない情報なのに、ベルがそれを見て動揺した。
あまりにも不自然だった。
「ふふ、あはは! まずは基本中の基本ができていないと……」
レイシーは目尻を下げ、同情するように眉根を寄せた。
「序列外にいて散々辛い思いをしてきたから同情も覚えたけれど……その教養のなさだと、納得せざるを得ないわね」
普段のベルなら、そんな安い挑発には乗らない。
だが、気が動転していた今のベルには、冷静さなど残っていなかった。頭に血が上り、視界が赤く染まる。
「うるさいっ!」
ベルはレイシーに襲いかかった。首を絞めるために、両手を伸ばす——
だが、レイシーはそれを狙っていたかのように目を細めた。
レイシーは縛られていたはずの腕を自由に動かし、ベルの手首を掴んで足を引っかける。
「——えっ」
バランスを崩したベルは、床に押し倒された。冷たい床が背中に触れ、次の瞬間にはレイシーが上に覆い被さっていた。
冷たい眼差しが、ベルを見下ろす。
(……は?)
ベルは呆然とレイシーを見上げた。状況が理解できず、ただ固まる。
レイシーの冷たい眼差しが自分を見下ろすと、ベルは戦慄を覚えたように身体を震わせ、顔を青くした。
「い、いや……離して!」
必死にもがく。だが、手首を押さえつけられた上に、身体を覆い被されて身動きが取れない。
レイシーはベルの抵抗を意に介さず、冷たい眼差しで静かに見下ろした。その表情から笑顔が消え、まるで人形のように感情が読み取れない。
「……私ね」
柔らかな声が、ベルの鼓膜をくすぐる。だが恐怖しか感じない。
「別に暗殺されようが構わないのよ。犯人さえ捕まればいいし、自分の命なんてどうでもいいから……」
レイシーの瞳が、さらに冷たくなった。表情に影が差す。
その澄み切った青い瞳は、どこまでも暗く——光を通さない闇に満ちていた。
「けどね」
レイシーが強引にベルの頬を片手で掴み、引き寄せた。吐息が感じられるほどの距離まで顔を近づけると、今まで聞いたことのない、どこまでも低い声が紡がれる。
「ノエルを傷つけられることだけは、許せない」
ベルの心臓が凍りつく。
「彼は幸せになるべきなの。私の騎士を傷つける奴は、誰だって許さない……」
レイシーはさらに顔を近づけた。今にも唇が触れそうな距離まで——
「絶対にね」
その瞬間、レイシーの唇がベルの唇に触れた。
「——っ⁉︎」
ベルは大きく目を見開き、全身が硬直する。何が起きたのか理解できず、ただ呆然とする。
だが次の瞬間、我に返ったベルは必死にもがいた。レイシーの顔を爪で引っ掻き、陶器のように白い肌に血が滲む。
それでもレイシーは構わず、舌をベルの口に侵入させた。ベルが噛まないように、顎を強く掴んで無理やり口をこじ開ける。
「んっ……んー‼︎」
ベルは必死に抵抗する。それでもレイシーは口を塞いで離さない。
カチッ。
何かが割れる音がした。
「——っ!」
ベルの口の中に、液体が流し込まれる。
ベルは大きく目を見開き、さらに激しく抵抗した。だがレイシーが無理やり口をこじ開けたせいで、液体が喉の奥へ流れ込んでいく。
それでも喉を締めて、液体が中に入らないように抵抗する――だがレイシーは唇を離すと、すぐにベルの口を手で強く押さえた。
「……飲んで」
有無を言わせぬ声が、ベルの鼓膜を震わせる。
ベルはそれでも抵抗しようとしたが、さらにレイシーに手を押さえつけられた。息ができない。苦しい——
「飲め」
断固とした声に、ベルの身体が震える。
思わず、液体を飲み込んでしまった。
その様子を見て、レイシーは満足げに笑みを深めた。不気味に口角が上がり、光を通さない瞳を細める。
その姿に、ベルは身震いした。
——この子は、何者なの?
私の知っているレイシー・ロンジェヴェティじゃない。
あの天使のように花が咲いた笑みは、仮初だったのだと今更気づく。
レイシーの笑顔が月明かりに照らされ、不気味さを増す。けれどその美しさは、そのままだった。
美しくも——けれど棘のある、その姿。
まさに『白薔薇』そのもの。
私は見誤っていた。
『白薔薇』の棘には、毒がある。
そのことを、今更になって気づいた。
◆これ誰だっけ?となったとき用の【登場人物一覧はこちら】https://ncode.syosetu.com/n8468lk/31/
( キャラクターのイラスト付き ※第14話までのネタバレを含みます。未読の方はご注意ください)




