13
生徒会室の重厚な扉の向こうで、ノエルは固い椅子に腰掛けていた。窓から差し込む午後の光が、磨き上げられた机の表面に反射している。部屋は静かで、壁にかけられた時計の針の音だけが規則的に響いていた。
あの日の出来事が、まだノエルの心に重くのしかかっていた。マルクスの虚ろな瞳。ベルの怯えた表情。そして——レイシーの、あまりにも冷たい眼差し。
「…で、マルクスがお前らを襲ってきたけど。なんでかわからないんだな」
マルクスが起こした事件から数日後。ノエルは生徒会長のセドリックから事情聴取を受けていた。
机を挟んで向かい合うセドリックの琥珀色の瞳が、まるで獲物を見定める猛禽のようにノエルを捉える。表面上は軽薄そうに見える男だが、その視線には鋭い洞察力が宿っていた。ノエルは喉が渇くのを感じ、無意識に息を詰める。
「…一応、先生にもお伝えしましたが」
ノエルは慎重に言葉を選びながら答えた。
「俺とレイシーが廊下で悲鳴を聞いたので駆けつけたら、マルクスがベルを襲っていて…それを目撃されたので襲われたんだと思います」
「うーん…つってもなー」
セドリックは癖毛の緑色の髪をガシガシとかき乱すように掻いた。琥珀色の瞳がノエルを捉えると、訝しげに眉を寄せる。
「矛盾点はねぇんだわ。さっきレイシーにも同じことを聞いたけど、二人の話は大体合ってる…擦り合わせたみたいに」
どこか確信めいた彼の言葉に、ノエルの肩がぴくりと跳ねる。心臓の鼓動が早まるのを感じた。
「…なんのことだか」
ノエルはレイシーに言われた通りに、話をはぐらかそうとする。だが、いつも無表情の彼の顔がさらにこわばり、視線が泳いでしまう。
セドリックはその僅かな動揺を見逃さなかった。机に肘をついて身を乗り出すと、低い声で続ける。
「お前らはただの被害者…けどさ。なんか匂うんだよなー…お前。毒針刺されたのに冷静すぎない?」
ノエルの背筋に冷たいものが走った。頭の中が真っ白になる。
彼は悟られないように顔を背けた。
「…言っている意味がわかりません」
ノエルはレイシーに教えてもらった言葉を繰り返しながら、なんとかその場をはぐらかそうとする。だが、セドリックは琥珀色の瞳を細めて、じっとノエルの姿を見据えた。
「お前、初めてじゃないだろ。毒針に襲われたの」
「………」
だめだ、レイシー。もうバレている。
確信をついた彼の言葉に、ノエルは思わず息を止めた。廊下で待っているレイシーなら、この状況をなんとか打破できるのだろうか。こういうやりとりに疎いノエルは、内心冷や汗を流しながら言葉を詰まらせた。
しばらく重苦しい沈黙が続く。時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえた。
すると、誰かのため息がその沈黙を破る。彼女はセドリックに近づくと彼の脳天めがけて、軽く拳を振り下ろした。
「……こらっ。後輩が怖がってるでしょ。大人気ないですよセドリック会長」
「いだっ」
セドリックの横で二人のやり取りを見守っていた上級生の女子生徒が、ため息混じりにそう言うとどこか呆れたように彼を見下ろした。副会長のニーナだ。わざとらしく痛がるセドリックをよそに、彼女はノエルに優しく微笑んで見せる。
「ごめんね…この人暇だからつい後輩にちょっかいかけたくなるの。許してあげてね」
「…ちょっ、誰が暇だよ。ニーナ!」
セドリックは頭を抑えながら、ニーナと呼ばれた女性をじとりと睨みつけた。
「こいつの反応が面白かったから少し揶揄おうと思っただけだろ!」
「それを暇って言うんでしょ…」
呆れたようにメガネ越しにセドリックを見つめるニーナは、深いため息をついて肩を落とす。
「もう…普通にこの件に関わってたら教えて欲しいって言えばいいでしょ?」
「…あ」
彼女はそう言うとノエルを振り返った。ノエルはしばらく呆然と二人のやり取りを見ていたが、彼女の言葉で我に帰る。
必死に頭の中を巡らせる。ノエルはレイシーの暗殺事件の謎を解明しようとしていたことを、どうしても言えなかった。レイシーとの約束もあるし、自分がどこまで話していいのかわからない。
「き、記憶にありません」
苦し紛れに口から出た言葉に、ニーナは思わず固まった。
「…ノエルくん。それを言えばなんでもはぐらかせると思ってる?」
「え」
違うのか? そう言わんばかりのノエルの表情に、ニーナは頭を抱える。
「…レイシーの入れ知恵ね。あの子ったら」
ため息混じりにそう言って眉間を抑えるニーナ。そんな彼女を見てセドリックが噴き出すと、笑いながら立ち上がって彼女の肩をポンポンと叩いた。
「はは。まぁ、もういいだろ…真犯人は捕まったわけだし」
「…真犯人?」
ノエルは彼の意味深な言葉を聞いて、思わず顔を上げた。訝しげに眉を寄せる。
ノエルの問いに二人が振り返った。
「えーっと…」
ニーナが気まずそうに視線を彷徨わせる。どうやらノエルに聞かせるつもりはなかったらしい。けど代わりにセドリックが、机の引き出しを開けた。
「ああ、実はな」
彼が取り出したのは、一通の便箋だった。見覚えのあるその便箋に、ノエルの心臓が大きく跳ねる。
「それは…」
ノエルの驚いた様子に、セドリックはぴくりと眉を寄せて琥珀色の瞳を細めた。
「…知ってんのか?」
「…前に、マルクスが持っているところを見かけたんです」
ノエルは喋ろうか悩みながらも、素直に答えて頷いた。そう。あれは、レイシーの暗殺未遂があった図書館に向かう途中。廊下でマルクスとぶつかった際に、彼が手にしているのを見かけた便箋だった。
セドリックは便箋をノエルの前に置く。
「マルクスは犯人じゃなかったんだよ。ただの駒だ。この手紙の内容に踊らされていただけ」
ノエルは便箋を凝視した。だが、それを見ているうちに、胸の奥に妙な違和感が湧き上がってくる。何かが引っかかる。けれど、それが何なのかはっきりとはわからなかった。
(…なんだ、この違和感?)
ノエルがしばらく沈黙して考えに耽ると、セドリックは静かに言葉を続けた。
「…この手紙の相手の言葉に乗っかってマルクスが犯行に及んだみたいだ。なんでも、『白うさぎの花園』の令嬢を殺せば、地位と名誉をあげるってな」
「誰がそんなっ」
ノエルは愕然とした表情で前のめりになり、その手紙で指示した犯人について聞いた。セドリックは肩をすくめて、便箋の最後に綴られた名前を指さす。
「…犯人は『白うさぎの花園』の『百合』のクラリッサ。文字の綴りが彼女のと合致した。おそらく彼女が書いたもので間違いないだろう」
「…なんだって?」
ノエルはしばらく言葉を失った。
先日、レイシーと一緒に彼女と会ったばかりだ。あの時、彼女と話した際に、レイシーとノエルの中で彼女は容疑者候補から外されたはずだった。それなのに…。
「そんなわけない、だって…」
思わずレイシーの言いつけを破って、クラリッサの無実を証明しようと声を上げかける。
…だが、扉が大きな音で開いたことで、その言葉は遮られた。
「ノエル!無事か⁉︎」
聞き覚えのある声に、ノエルははっと振り返る。思わず目を疑った。
「え、…義兄さん⁉︎」
扉を開いたそこには、自分の義兄がいた。…頭に大量の血を流しながら。
「きゃー‼︎」
ニーナの叫び声が生徒会室に響き渡る。セドリックとノエルは固まったまま呆然としていると、義兄のジャックが大股で近寄ってきた。
「じゃ、ジャックくん!血…血っ!」
「…あ、これは違う。ただマーサが間違って頭の上にペンキを落としただけだ」
「ビビんだろ!落としてから来いよ!」
セドリックのもっともな叫びが部屋中に響く。
だがノエルは、その叫びをよそに義兄が怪我をしていないとわかると、ホッと胸を撫で下ろした。席から立ち上がり、ジャックに駆け寄る。
「義兄さん…なんでここに?」
「お前が事情聴取されてるって聞いて、すぐ駆けつけたんだ」
ジャックは心配そうにノエルの肩を掴むと、彼の体を確かめるように見つめた。
「大丈夫か?あのバカに何もされてないか?」
「お前らの俺の印象悪すぎない?」
セドリックが乾いた笑いを漏らしながら遠い目をする。それをよそにジャックは、彼をじとりと睨んだ。
「日頃の行いが悪いからそう言われるんだろ」
「ひどい」
「…あの、義兄さん。俺は大丈夫だから」
ジャックはどこか警戒するようにセドリックを見ていたが、すぐにノエルへと視線を戻す。大きな手でノエルの頭を優しく撫でた。
「…ノエル。お前が関与しているのは本当か?だとしたらなんで相談しないんだ。家族だろ」
ノエルはその言葉に、思わず息を詰めた。
兄である彼がこちらを気にかけてくれるのは嬉しかった。けれど同時に、どこかもどかしい気持ちにもなる。自分と深く関わることで、彼まで巻き込んでしまうのではないか。そんな不安が、ノエルの胸の奥底にあった。
ノエルは何も答えられずに視線を逸らす。ジャックは眉根を寄せて、何か言いかけた。
その時、見かねたセドリックがこほんと咳払いをした。
「…ノエル、もう話は聞いたからもういいぜ。レイシーちゃん廊下で待ってんだろ?早く行ってあげな」
セドリックの助け舟に、ノエルは内心で安堵する。一瞬だけジャックを見上げたが、すぐに視線を落とした。何か言いたいことがあったが、言葉にならない。
「あ、はい…じゃあ。失礼します」
「…あ、やっぱ待った」
「?」
ノエルが生徒会室を出ようとしたら、セドリックが彼を呼び止めた。
振り返ると、セドリックは一瞬だけ真剣な表情を見せた。だが、すぐにいつもの軽薄な笑みに戻る。
「…さっきはぐらかされたからレイシーちゃんの連絡先聞いてきて。あの子、俺の初恋の子に似ててさー。どうしてもお近づきになりたくて」
「ノエル、もう行っていいぞ」
「失礼します」
「ちょっ!」
ジャックの言っていた日頃の行いの意味がわかった気がする…。ノエルはそのままセドリックの制止も聞かずに生徒会室を出ると、ドアにもたれかかった。
深いため息をつく。
先ほど聞いた話が頭をよぎって、ノエルは物憂げに目を細めた。真犯人だったクラリッサ。便箋に感じた違和感。マルクスの虚ろな瞳。ベルの怯えた表情。そして——あの時のレイシーの顔。
…何がどうなっているんだ。
「ノエルくん!」
廊下でノエルを待っていたレイシーが、駆け寄ってくる。その心配を滲ませた表情を見て、ノエルははっと我に帰った。
彼はとりあえず考えを振り払うと、レイシーの元に向かった。




