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白い消毒薬の匂いが鼻を突く医務室で、午後の陽光が薄いカーテン越しにベッドを照らしている。整然と並んだ医療器具、壁際の棚に収められた薬品類――時折廊下から聞こえる生徒たちの足音だけが静寂を破っていた。
そして、先ほどの紅茶の苦い余韻が、まだノエルの胸に残っている。
「苦っ……!」
ベッドに横たわったノエルは、滅多に表情を変えない顔を歪めながら吐き捨てた。苦虫を噛み潰したような表情で胸を押さえ、まだ残る苦味に顔をしかめる。
傍らで彼の看病をしていたレイシーが、深いため息をついた。
「びっくりしたわよ。まさか私の紅茶を飲むなんて」
呆れたような口調だったが、その青い瞳には心配の色が宿っている。額に汗を浮かべるノエルを見て、彼女は手にしていたハンカチで優しく汗を拭い取った。
「紅茶ってあんなに苦かったか……?」
ノエルは眉間に皺を寄せながら、先ほどの味を思い返す。最初は感情的になっていて気にならなかった。だが、だんだん口の中に苦味が広がり、胸がムカムカしてきて立っていられなくなった。
(あの悪夢のような味は一体……)
今は水で口を濯いで苦味は引いたものの、その余韻がまだ舌に残っている。
「……紅茶の中に何を入れた」
確信めいた口調で問いかけるノエル。彼は苦しそうに顔を歪めながら、彼女のスカートのポケットに視線を向ける。
彼女に支えられた際、小さな小瓶をポケットに滑り込ませるのを見ていたのだ。
レイシーは一瞬動揺の色を見せた。だが、すぐに苦笑して観念したようにポケットから小瓶を取り出す。
「ごめんなさい。実は紅茶に栄養剤を入れていたの」
「栄養剤?」
訝しげに眉を寄せるノエルに、レイシーはさらに苦笑を深めて小瓶を見せた。
「ロンジェヴェティ家に代々伝わる特製品なの。お祖父様しか飲んでるところを見たことがないけれど……」
「あれが飲める人がいるのか」
ノエルは信じられないといった様子で呟く。
(あの苦味に耐えられる味覚が理解できない……)
レイシーは申し訳なさそうに肩を落とす。
「本当にごめんなさい。本来は私が飲む予定だったのに、躊躇してしまって……」
彼女の落ち込んだ様子を見て、ノエルは胸が痛んだ。まだ胸のムカムカは残っていたが、体を起こして彼女を見つめる。
「いや、俺が君の意図を汲まずに勝手に飲んだんだ。気にするな」
安心させるように微笑みかけるノエルに、レイシーは顔を上げた。眉を寄せて彼を見つめ、苦笑する。
「本当に優しいのね……ノエルくんって」
その言葉に、ノエルは恥じらうように頬を染めて視線を逸らした。
(なぜか彼女に褒められると落ち着かない気持ちになる……)
話題を変えようと、彼は口を開いた。
「それにしても、なぜあんなものを紅茶に? 好んで入れたわけじゃなさそうだが」
純粋な疑問をぶつけられたレイシーは、表情を消して口をつぐんだ。しばらくの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「クラリッサお姉様の反応を見たかったの」
「反応を……?」
「もし私が毒を盛られたら、どんな表情を見せるかを」
「あ……」
思わず声が漏れる。ノエルはようやく腑に落ちた。
(だから彼女がクラリッサに護衛のことを話したり、紅茶に栄養剤を入れたりしていたのか……)
レイシーは彼女を観察していたのだ。ノエルは納得したように頷く。
レイシーはそんな彼の様子を見て満足そうに頷き、言葉を続ける。
「……でも、話してすぐにわかったわ。クラリッサお姉様は犯人じゃない」
「なぜだ?」
ノエルは訝しげに眉を寄せると身を乗り出した。
「彼女は明らかに君を嫌っていたし、関与していそうだったが……」
先ほどの件もあってクラリッサに苦手意識を覚えていたノエルは、そう反論する。だがレイシーは首を横に振った。
「護衛の話をしても全く興味を示さなかった。本当の犯人なら、護衛がついただけでもっと警戒するはずよ」
「……それで?」
ノエルが耳を傾けてレイシーの話を促すと、彼女は続けた。
「犯人ならもう少し詳しく聞いてくると思うの」
レイシーは指を立てて説明を続ける。
「それに、ノエルくんが紅茶を飲んだ時、ひどく動揺していた。あれは本当に毒が入っているなんて知らなかった人の反応よ」
ノエルは驚いたように彼女を見つめた。記憶を蘇らせてみる。
確かに医務室に運ばれる前、クラリッサは顔を青くして驚愕していた。あれが演技だとはとても思えなかった。
(わずかな情報からそこまで読み取るなんて……)
レイシーの洞察力に、ノエルは改めて驚かされる。
「そうか……そうなると、また一からやり直しだな」
そう言ってノエルは項垂れた。結局謎が深まるばかりだ。
(他に容疑者を挙げるなら他の花園の一員だが、全員を回るのは日が暮れる……その間に彼女がまた狙われるかもしれない)
ノエルは眉を寄せて考え込む。容疑者が一人消えただけで、何も進展していない。
彼が考え込むように項垂れると、レイシーは苦笑いを浮かべて見せた。
「犯人じゃなかったけど、収穫はあったのよ」
「……収穫?」
不思議そうに首を傾げるノエルに、レイシーは微笑みかける。
「うん、あのね——」
だが彼女の言葉は、廊下から響いた悲鳴によって遮られた。二人は咄嗟に振り返る。ノエルはベッドから跳ね起きた。
「レイシー、ここにいてくれ」
それだけ告げると、ノエルは医務室を出て悲鳴の方角へと駆け出した。
(確かこっちから声が……!)
廊下を走りながら胸の嫌な予感が的中することを恐れる。
角を曲がった先で、ノエルは思わず足を止めた。
先ほど庭園にいたベルが右腕を負傷して血を流して倒れている。そして一人の青年が冷たい眼差しで彼女を見下ろしていた。
それは他でもない――マルクス・ヴァイスだった。




