10
午後の陽光が白い格子天井を通して柔らかく差し込む中、クラリッサとレイシーは向かい合って昼食をとっていた。ガゼボの中央には優雅な円卓が置かれ、そこに二人分の食事が並んでいる。
ノエルはというと、二人から少し離れたガゼボの端に設けられた小さなテーブルで、一人静かにサンドイッチを口に運びながら様子を見守っていた。時折聞こえる二人の会話と、庭園に響く鳥の鳴き声が、昼下がりの空気を演出しているが、ノエルの胸には先ほどの緊張が残っていた。
「……ところで、なぜ彼がここにいるのですか?」
クラリッサが瞳だけをノエルに向けながら、レイシーに疑問をぶつけた。その視線は氷のように冷たく、まるで不快な異物を見るような色が宿っている。
「!げほっ…げほっ」
まさか話しかけられるとは思わずに、ノエルは口に含んでいたサンドイッチを慌てて飲み込もうとして咳き込んだ。無表情ながらもわかりやすく動揺し、必死に言葉を探そうとする。
そんな彼の様子を見て取ったレイシーが、代わりに冷静な声で答える。
「…紹介が遅れましたね。ノエルくん、この方はクラリッサ・ペンブローク嬢。私の遠い親戚の方なの。クラリッサお姉様、この方は——」
「紹介は結構です」
クラリッサは言葉を切り捨てるように遮り、ノエルを真っ直ぐに射抜いた。
「次期当主、ノエル・ドージャー様。もちろん存じて上げておりますわ。……お二人は、どういったご関係で?」
凛とした声がガゼボの静寂を破る。どこか警戒するように彼を見据えるクラリッサの視線は、まるで獲物を狙う猛禽類のように鋭い。その圧迫感にノエルは思わず息を呑み、答えに詰まった。
レイシーはクラリッサの言葉に眉をぴくりと反応させて、優しげな笑みを浮かべながら口を開く。
「まぁ、お姉様。そんなに怖い顔をしていたら、せっかくの綺麗なお顔が台無しですよ」
だが、彼女の瞳は一切笑っていなかった。まるで氷の刃のような冷たさが宿っている。
クラリッサは目元をぴくりとひくつかせてレイシーを睨みつける。二人の間に張り詰めた空気が流れ、ガゼボの中の温度が一気に下がったかのようだった。
「…私は空中監獄の次期当主様にお話ししているのです。横から口を挟むなど、『白薔薇』が聞いて呆れますわ」
「ふふ、だって尊敬する『百合』のお姉様が怖い顔をして私の友人を萎縮させているのですもの…見ていられなくて、つい口を挟んでしまいましたの」
わかりやすいレイシーの挑発に、クラリッサが苛立たしげに眉を釣り上げる。殺意すら感じさせる鋭い視線をレイシーに向けたが、当の本人は余裕そうに笑みを浮かべるだけだった。
二人の間に険悪な雰囲気が漂う。自分が何も言わないせいでこの空気ができたと勘違いしたノエルは、慌てて口を開こうとした。
(黙っているようにと言われていたが、さすがにこれは…)
ノエルはクラリッサと会う前にレイシーから言い付けられた「基本的に黙っていて」という指示を思い出しながら、内心で葛藤していた。だが、ある人物がガゼボに現れて、彼は思わず言葉を止めて目を見開く。
「…お、お待たせしました。クラリッサお姉様」
それは他でもない、同級生のベルだった。息を切らし、頬を上気させながら、震える手でティーセットを抱えている。制服には庭園の土埃が付着し、髪も少し乱れていた。
彼女がなぜここに…?
ノエルが唖然としている間に、ベルは震える手でティーセットをテーブルに置くと、慣れた手つきでクラリッサのためにお茶を注ぎ始める。
クラリッサはお茶を注いでもらいながら、冷たい眼差しでベルを睨みつけた。
「…いつも申し上げているでしょう、ベル・エヴァリー。倉庫での作業は結構ですが、身だしなみはきちんと整えてから人前に出なさいと」
クラリッサの厳しい言葉に、ベルの体がビクッと震える。まるで怯えた小動物のようだった。
「ご、ごめんなさい…クラリッサお姉様」
俯いたまま、小さく謝罪を繰り返すその姿に、ノエルの胸が締め付けられる。ベルの肩は小刻みに震えていた。
ノエルは思わず目を逸らした。
(彼女はクラリッサの従者なのか……ずいぶん冷たいな)
もう少し言い方があるだろうに。
そう思いながら、ふと視線を戻した。
その時、俯いた横顔にノエルはわずかな違和感を覚える。
泣きそう、というよりも——何かを押し殺しているように見えたのだ。
(……気のせいか?)
だが考えを巡らせる間もなく、クラリッサが話を続ける。
「…お気になさらないでください」
彼女はレイシーとノエルに向き直り、淡々と告げた。
「この子は『鈴蘭』のベル。我が家の遠い血筋の者で、代々仕えている小間使いです」
「……え」
同級生のベルが『白うさぎの花園』の一員だったとは。ノエルは思わず目を瞬かせた。
ベルは気まずそうに視線を逸らし、黙々と二人のためにお茶を注ぐ。
その仕草は丁寧だったが——
ノエルは、なぜか落ち着かない気持ちを拭えなかった。
違和感を胸に残したまま、彼は静かにお茶へと口をつける。すると、レイシーが静かに言葉を続けた。
「…数ヶ月前に私が毒殺未遂事件に遭ったのをご存じですか?」
レイシーはクラリッサを見つめて続けた。
「その話を聞いたノエルくんが、護衛を申し出てくれたのです」
(え?)
ノエルは目を見開いた。自分が彼女の護衛をしていることは秘密のはずだ。しかも、容疑者候補であるクラリッサにその事実を話すなんて。レイシーの行動の意図が読めず、訝しげに眉を寄せて落ち着かない様子を見せる。だが、それを悟られないようにお茶を口に含んで様子を伺った。
「…そう」
クラリッサは興味なさそうにそう言うと、レイシーを見つめた。
「それより、お祖父様からお預かりした物があるとおっしゃっていましたが?私も忙しいので、手短にお願いします」
「ええ、こちらです」
レイシーは慇懃に微笑むと、ある手紙をベルに渡した。
「お祖父様が『直接お渡しするように』とおっしゃっていました」
ベルを通して手紙を受け取ったクラリッサは、封に押されたシールスタンプを見て表情が凍りつく。彼女は訝しげに眉を寄せると顔を上げてレイシーを見つめた。
「…どうしてあなたがこれを?」
「私はただお預かりしただけですわ」
レイシーは涼しい顔でそう答える。その態度に、クラリッサは怒りと困惑を覚える。彼女はどこか戸惑いを残した表情でしばらく手紙を見つめると、静かに手紙を胸元にしまった。
「…それより、お茶をお飲みになりませんの?」
クラリッサは感情を押し殺すように声を低くして、レイシーを見据えた。レイシーは先ほどから淹れられたお茶を一切口に含んでいなかった。
「まさか、私のお茶を毒入りだと疑っていらっしゃるのかしら?」
クラリッサの厳しい言葉に、レイシーは少し躊躇いながら目を伏せる。
過去に毒を入れられた経験から、人から出された飲み物を口にすることに恐怖を感じているだろう。
(無理して飲むなレイシー…)
代わりに飲んであげようか悩みながら彼女を見守る。
クラリッサがこの場で彼女を毒殺する可能性は低いとわかっていても、おそらく体が自然と拒否反応を示してしまうのだろう。
けど、それが気に食わなかったのか、クラリッサは不快感を覚えたように顔を歪ませた。
「…そのような疑いを抱いているのでしたら、非常に失礼な話ですわね」
クラリッサの声には明らかな怒気が含まれていた。彼女は立ち上がると、テーブルの向こうからレイシーを見下ろす。
「日頃の行いが悪いから、人様に毒を盛られるのです。自業自得だわ!」
その瞬間、ノエルの中で何かが切れた。
彼は素早く立ち上がると、レイシーが手に取ろうとしていたティーカップを横からひったくり、一気に飲み干した。温かい紅茶が喉を通り、ほのかな香りが鼻腔を満たす。
「…え、ノエルくん?」
レイシーが驚いたように目を見開いて動揺し、ノエルを見つめる。だがノエルはクラリッサを睨みつけ、視線を彼女に固定したまま口を開いた。
「——自業自得だって?」
ノエルは明らかな嫌悪感を表情に滲ませた。彼にしては珍しい挑発的な態度だったが、彼女の発言に対して抑えきれない憤りを感じていた。
自分が何を言われても別にいい。慣れているからいくらでも耐えられる。
けれど、レイシーを貶めるような発言はどうしても許せなかった。
クラリッサは彼の圧に一瞬動揺の色を見せる。
そんな彼女の様子に気づいたが、構わずに胸の奥で燃える怒りを必死に押し殺しながら、ノエルは言葉を続けた。
「よくその言葉が吐けたものですね…なぜ、彼女を心配してあげないんですか?毒殺されかけたんですよ」
口が止まらない。けど言わずにいられなかった。
「それなのに、お茶を飲まないからといって責め立てるなんて…おかしいじゃないですか」
感情に任せて言葉を続けるノエル。普段は感情を表に出さない彼が、これほど激昂するのは珍しいことだった。
「家族なんだから、寄り添ってあげるのが普通でしょう」
クラリッサは彼の言葉を静かに聞いていたが、「家族」という単語を聞いて瞼をぴくりと動かした。何か複雑な感情が瞳に宿る。
「……次期御当主様が口を挟むことではありませんわ。お黙りなさい」
クラリッサは冷たい声でそう言い放った。その言葉には明らかな怒気が含まれていたが、どこか事情を抱えているような様子も窺えた。
だがノエルは、その言葉にさらに憤りを覚える。胸の奥でムカムカとした感情が湧き上がってきた。
「俺はレイシーの白騎士です! 関係ないなんて…がはっ」
突然、胸のムカムカがひどくなり、ノエルは胸を押さえて膝をついた。額に冷や汗が浮かび、視界がぼやけ始める。
「……え」
クラリッサの顔が現状を把握できずに青ざめて固まる。そんな彼女をよそに、レイシーはノエルの異変に気づいて顔を青くすると、咄嗟に彼の体を支えた。
「ノエルくん!」
レイシーの彼を支える手が震えている。いつもの冷静な彼女らしくない、切羽詰まった表情で彼の名前を呼び続けた。
「ノエルくん! ノエルくん! しっかりして!」
ノエルは彼女の呼びかけに答えることができず、ぐったりと力を抜く。意識が朦朧とする中、彼は彼女の温かい手に支えられながら、医務室へと運ばれていった。
庭園に静寂が戻る中、クラリッサは呆然とその場に立ち尽くしていた。ベルも震えながら、事態の急変についていけずにいる。
風が吹き、花びらが舞い散った。穏やかだった昼下がりは、一転して不穏な空気に包まれていった。




