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第18話 積み重ね

収穫祭から少し経った頃。

訓練場で、ハルトは再び領内騎士団の副団長と向かい合っていた。


「またお願いします」

「もちろん」

 

木剣を構える。

二年前――ではない。

まだ、あの日からそれほど時間は経っていない。

第十四話で初めて戦った時。

ハルトは視線に騙され。

肩の動きに釣られ。

何もできないまま喉元へ木剣を突きつけられた。

今日は。


「始め」

 

ハルトが動く。

足へ薄く魔力。

踏み込み。

副団長の視線が動く。


(右――)

反応しかける。

違う。

止める。

次の瞬間、正面から木剣。

受ける。

乾いた音。

腕が痺れた。


「……!」

「今のを止めますか」

 

副団長の声に、少しだけ驚きが混じる。

ハルトは返事をしない。

距離を取る。

もう一度。

今度は自分から誘う。

右へ踏み込むように見せる。

身体強化を切る。

相手が一歩動いた瞬間。

左。

木剣を振る。

届く。

あと少し。

副団長が初めて大きく木剣を振り、防いだ。

カンッ!

弾かれる。

次の瞬間には。

ハルトの胸元へ木剣が触れていた。


「そこまで」

「……負けた」

「ええ」

 

悔しい。

でも。

以前とは違う。

副団長の呼吸も少しだけ乱れている。


「前よりずっと嫌な攻め方をするようになりましたね」

「褒めてる?」

「かなり」

 

ハルトは木剣を見た。

まだ届かない。

でも。

届かない距離は、確かに短くなっていた。


◇


「負けた顔、年相応じゃん」

 

訓練場の端。

ルークが笑う。


「どういう意味」

「いつも難しい顔してるから」

「兄さんも負けたら同じ顔するだろ」

「俺はもっと格好よく悔しがる」

「何それ」

「じゃあ次勝てば?」

 

隣からアイリス。


「簡単に言うな」

「ハルト、簡単じゃない方が好きでしょ」

「別に好きじゃ――」

 

言いかける。

アイリスが笑っている。

ルークも。

ハルトは小さく息を吐いた。


「……まあ、次は勝つ」

「ほら」

「何がほらなんだよ」

 

悔しさは消えない。

でも。

負けたことは、終わりではなかった。

次に何を直すか。

それを考えればいい。


◇


春。


ハルトは足を動かした。

何度も。

何度も。

剣を振るより先に。

崩れない。

止まらない。

次へ動ける位置へ。


「また踏んだ」

 

ルークが地面の線を指す。


「分かってる」

「じゃあもう一回」

「言われなくても」

 

木剣が鳴る。


◇

 

夏。

 

魔力を全身へ薄く巡らせる。

以前は足へ流せば速くなるだけだった。

今は違う。

踏み込む瞬間だけ脚。

受ける瞬間だけ腕と体幹。

相手が動く瞬間だけ、視覚と感覚。


「常に強くする必要はない」

 

アルベルトの声。


「必要な時に、必要な場所へ」

「分かってる」

「またそれか」

 

踏み込む。

止まる。

崩れない。


「……今のは?」

「悪くない」

「悪くないだけ?」

「褒めすぎると調子に乗る」

「乗らないよ」

「どうだかな」

 

アルベルトの口元が少しだけ緩んだ。


◇

 

秋。

 

水。

火。

風。

土。

光。

闇。

 

一つずつ出すだけなら、もう難しくない。

問題は。


「切り替えを早く」

 

家庭教師の声。

水球。

消す。

風。

散らす。

土壁。

止める。

光。

視界を取る。

火。

小さく。

正確に。

「闇」

掌の周囲に薄い影。

まだ弱い。

でも、以前のように偶然ではない。

自分の意思で出せる。


「もう一度」

「はい」

 

繰り返す。

大きさではない。

速さ。

精度。

必要なものを、必要な時に出す。


◇

 

冬。

 

吐く息が白い。

指が冷たい。

魔力の流れも、夏より鈍く感じる。


「寒い」

 

ハルトが言う。


「冬だからね」

 

アイリスは秘密基地で栗菓子を食べている。


「なんでアイリスは平気そうなの」

「栗があるから」

「栗にそんな効果ないだろ」

「ある」

「ない」

「ハルトも食べれば?」

 

一つ差し出される。

受け取る。


「……温かい」

「でしょ?」

「栗じゃなくて焼きたてだから」

「細かい」

 

二人で笑う。

訓練だけではない。

家族と食事をする。

ミアに木剣を触らせる。

ルークと競う。

アイリスと秘密基地の続きを作る。

そういう日々の間に。

少しずつ。

季節が進んだ。


◇

 

次の春。

ハルトは若い騎士と向かい合っていた。


「始め!」

 

踏み込む。

木剣。

受けられる。

風を足元へ。

身体強化。

横へ。

相手が追う。

簡易障壁を一瞬だけ作り、木剣の軌道をずらす。


「なっ――」

 

その隙。

ハルトの木剣が肩へ触れた。


「一本!」

 

騎士が息を吐く。


「……参りました」

 

ハルトは木剣を下ろした。

以前なら。

八歳の子供が騎士へ勝てば、周囲が大騒ぎした。

今は。

驚く者はいても。

誰も偶然だとは思わない。

積み重ねてきた結果だと知っている。


◇

 

時間はさらに進んだ。

十歳。

ハルトは、もう訓練場で一番小さな子供ではなかった。

身体も少し伸びた。

木剣を持つ手には、何度も潰れて硬くなった豆。

同年代。

一般領兵。

若手騎士。

一対一の通常訓練なら、ほとんど負けなくなった。

通常の騎士相手でも、勝つことの方が多い。

ルークとの打ち合いも。


「一本!」

 

ハルトの木剣が先に届く。


「またかよ!」

 

ルークが悔しそうに叫ぶ。


「今日は俺の勝ち」

「今日は、じゃないだろ。最近ずっとだろ」

「兄さんが言ったんだろ。負けたら次勝てばって」

「それアイリスだろ!」

 

遠くでアイリスが笑っている。

強くなった。

それはもう。

周囲の噂だけではなかった。


◇

 

魔法も変わった。


 火。

 水。

 風。

 土。

 光。

 闇。

 

六つの基礎属性。

どれも戦闘の中で切り替えられる。

身体強化。

簡易障壁。

魔力感知。

まだ完璧ではない。

でも。

使える。

戦える。

氷も。

水を浮かべ。

風を重ね。

温度を奪う。

表面に薄い霜が生まれる。


「……もう少し」

 

ぱき。

小さな氷片。

すぐ崩れた。

雷も。

火と風。

魔力を高密度に。

指先に、ほんの一瞬だけ青白い火花。

ぱちっ。


「痛っ」

 

指を振る。

まだ魔法と呼べるほどではない。

でも。

そこに何かがあることは分かる。

新しいものを覚えるたび。

世界は少し広くなった。


◇


「もう一度、お願いします」

 

十歳になったハルトは。

副団長と向かい合っていた。


「何度でも」

 

木剣を構える。

周囲には騎士たち。

ルーク。

アイリス。

アルベルト。

あの日と同じ。

でも。

ハルトはもう、あの日のハルトではない。


「始め」

 

副団長の視線が動く。

右。

肩が動く。

左。

足は。

正面。


(来る)

 

身体は動かさない。

木剣だけ。

カンッ!

受ける。

副団長の眉が動いた。

次。

ハルトは踏み込まない。

間合いの外。

待つ。

相手が半歩。

その瞬間だけ脚へ魔力。

入る。

副団長の木剣。

障壁。

一瞬。

軌道がずれる。

ハルトは身体を沈める。

木剣を振る。

副団長が避ける。

まだ。

追わない。

相手が戻る場所へ。

先に剣を置く。

コッ。

木剣の先が、副団長の胸へ触れた。

静かになった。


「……一本」

 

審判の声。

ハルトは動かなかった。

副団長も。

数秒。

そして。

副団長が笑った。


「……覚えていたんですか」

「何を?」

「あの日のフェイント」

 

ハルトも少しだけ笑う。


「忘れるわけない」

 

負けたから。

覚えた。

覚えたから。

直した。

直したから。

今日。

届いた。


◇


「勝った顔に見えんな」

 

アルベルトが言った。


「嬉しいよ」

「そうは見えん」

「まだ父さんには勝てないから」

「俺を勝手に次の標的にするな」

「違うの?」

「違わないけど」

「どっち」

 

ルークが横から笑う。


「父さんもそのうち危ないんじゃない?」

「まずお前が弟に勝て」

「今それ言う?」

 

少し離れた場所で。

アイリスがハルトの手を見る。


「ほんとに強くなったね」

「まだまだ」

「それ、何歳になっても言いそう」

「だって本当にまだ――」

「はいはい」

 

アイリスが先に歩いていく。


「秘密基地行くよ」

「今から?」

「勝ったお祝い。栗あるから」

「アイリスが食べたいだけだろ」

「半分はハルトの」

「半分は?」

「私の」

「それ普通」

 

笑いながら。

ハルトはその後を追った。


◇

 

夜。

 

ハルトは自分の手を見る。

八歳の頃。

副団長には届かなかった。

今は。

届いた。

騎士にも勝てる。

六つの属性も使える。

身体強化も。

障壁も。

感知も。


(もっとできる)

 

思う。


(もっと強くなれる)


それは希望だった。

努力すれば。

届かなかった場所へ届く。

今日、自分で証明した。

だからこそ。

その考えの奥にある危うさには。

まだ気づかなかった。


◇


数日後。

 

訓練場。


「父さんより強い人っている?」

 

休憩中。

ハルトが何気なく聞いた。

アルベルトは水を飲みながら答える。


「いくらでもいる」

「そんなに?」

「世界を狭く見るな」

 

副団長が近くで笑う。


「領内で勝てるようになったくらいで、頂上を見た気にならないことです」

「分かってる」

「本当に?」

「……たぶん」

「正直ですね」

 

ハルトは少し考える。


「じゃあ、剣だけなら?」

 

副団長とアルベルトが一瞬だけ目を合わせた。


「剣だけなら」

 

副団長が言う。


「誰もが名を知る男がいます」

「誰?」

「剣聖」

 

一拍。


「レオン」

 

その名前を。

ハルトは初めて聞いた。


「強い?」

 

副団長が笑う。


「会えば分かります」

 

ハルトは木剣を握った。

いつか。

戦ってみたい。

そう思った。

この時のハルトはまだ知らない。

自分が二年間積み上げてきたものが。

その男の前で。

どれほど遠く感じることになるのかを。


 ――第18話「積み重ね」了。


ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!

もし物語を気に入っていただけたら、★評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。


これからもハルトたちの物語を、大切に描いていきます。

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