第16話 二人だけの場所
翌日。
ハルトはいつもより少し早く木剣を置いた。
「今日はもう終わりか?」
ルークが不思議そうに見る。
「昨日よりちゃんとやったから」
「ふうん」
「何?」
「別に」
妙に笑っている。
ハルトは無視して丘へ向かった。
約束したから。
それだけだ。
そう思いながら。
丘へ着くと、アイリスはもう大樹のそばにいた。
「遅い」
「時間は決めてないだろ」
「私が先に来たからハルトが遅いの」
「その理屈おかしい」
「でも遅い」
「はいはい」
昨日と同じように言い合う。
それだけなのに。
ハルトは少しだけ笑っていた。
◇
「ねえ、あれ何?」
アイリスが大樹の向こうを指差した。
草に半分隠れるように、小さな木造小屋があった。
古い。
けれど崩れてはいない。
扉を開けると、埃っぽい空気。
古い木箱。
壁際には使われなくなった道具。
小さな窓からは、丘と遠くの領都が見えた。
「ここも使おう」
「勝手に決めていいの?」
「使ってないんだからいいでしょ」
「父さんに聞く」
「そういうところ真面目」
「危なかったらどうするんだよ」
「じゃあ聞いてきて」
「俺が?」
「ハルトのお父さんでしょ」
「……まあそうだけど」
結局。
ハルトはアルベルトへ確認した。
昔、庭師や見回りの者が道具を置いていた小屋らしい。
危険な場所ではないが、壊れた板や釘には触らないこと。
護衛の目が届く範囲から出ないこと。
それを条件に使っていいと言われた。
セレヴィア家のエドガーとリディアにも話は通され、アイリスも同じ条件で丘へ来ることを許された。
子供二人だけの秘密基地ではあるけれど、本当に誰にも知られていない危険な場所ではない。
アイリスは満足そうに胸を張った。
「ほら、使っていいって」
「俺が聞いたんだけど」
「細かいことはいいの」
◇
それから数日。
二人は少しずつ小屋を整えた。
「待って。それ触らないで」
「なんで?」
「釘出てる」
ハルトが先に危険な板を確認する。
アイリスはその間に窓辺へ布を敷き、拾ってきた小さな花を置いた。
「こっちに花置こう」
「すぐ枯れる」
「そういうこと言わない」
「水替えるの誰?」
「ハルト」
「なんで俺」
「ハルトの方が毎日ここにいるでしょ」
「アイリスも毎日来てるだろ」
「じゃあ交代」
「最初からそう言って」
木箱を椅子代わりにする。
古い布を敷く。
窓を拭く。
アイリスが飾りを増やす。
ハルトが危なくないように直す。
「そこ、もう少しこっち」
「こっち?」
「違う。そっち」
「どっちだよ」
「私から見て右」
「俺から見たら左だろ」
「じゃあハルトが動いて」
「なんでそうなるの」
言い合いながら。
小屋は少しずつ、二人の場所になっていった。
◇
ある日の午後。
作業が一段落し、二人は窓の近くに座っていた。
アイリスは小さな包みを開く。
「食べる?」
「何?」
「栗のお菓子」
「栗好きなの?」
「好き。すごく好き」
焼いた栗を甘く練り込んだ、小さな焼き菓子。
アイリスは嬉しそうに一つ取る。
「ハルトは?」
「何が?」
「何が好きなの?」
「……何がって?」
「食べ物とか。遊びとか。行きたい場所とか」
「急だな」
「剣と魔法は禁止」
「なんで」
「それ以外を聞いてるから」
ハルトは黙った。
好きなもの。
前世なら、いくつかすぐに浮かんだのかもしれない。
でも今は。
強くなること。
守ること。
訓練すること。
そんなことばかり考えていた。
「……母さんの料理」
「何の料理?」
「何でも」
「それ答えになってない」
「じゃあ、母さんが作る温かい煮込み料理」
「へえ」
「家族みんなで食べる時が一番好きかも」
口にしてから気づく。
好きなのは料理だけではない。
同じ食卓で。
ルークがくだらないことを言って。
ミアが騒いで。
アナが笑って。
アルベルトが注意して。
みんなで笑う時間。
「あと……」
「あと?」
窓の外を見る。
夕暮れの丘。
「こういう時間も、好きかもしれない」
「こういう?」
「何もしなくていい時間」
アイリスが笑う。
「じゃあ今も好きってこと?」
「……まあ」
「ふふ」
「何」
「別に」
今度はハルトが少しだけ目を逸らした。
◇
「じゃあ、行きたい場所は?」
「行きたい場所……」
ハルトは考える。
「海」
「海?」
「この世界の海、まだ見たことないから」
「私もちゃんと見たことない」
「じゃあいつか見に行けたらいいな」
「行こうよ」
「簡単に言うな」
「いつかでしょ?」
「……いつかなら」
アイリスは満足そうに頷く。
「じゃあ次。怖いものは?」
その問いだけは。
すぐに答えられなかった。
「怖いもの?」
「うん」
父。
母。
りず。
セナ。
冷たくなった手。
もう戻らなかった人たち。
「……なくなること」
声が少し低くなった。
「何が?」
「大事なものが」
アイリスはハルトの顔を見る。
いつものように理由を聞いてくるかと思った。
でも。
「じゃあ次。行ってみたい場所、海以外」
「……聞かないの?」
「何を?」
「今の」
アイリスは少しだけ考えた。
「言いたくなったら言えばいいでしょ」
「……」
「今は楽しい話する」
それだけ言って、栗のお菓子をもう一つ食べた。
ハルトは少し驚いた。
無理に励まさない。
深刻な顔もしない。
ただ、そこから先へ行かない。
「……ありがと」
「何が?」
「なんでもない」
「変なハルト」
その軽さが。
今は、ありがたかった。
◇
「じゃあアイリスは?」
「私?」
「俺ばっかり答えてる」
「私はね――」
アイリスは指を折りながら考える。
「栗のお菓子でしょ。外を歩くのも好き。高いところから景色見るのも好き」
「だから丘見つけた時あんなに嬉しそうだったのか」
「あと、堅い挨拶は嫌い」
「それは知ってる」
「なんで?」
「最初の挨拶、すごい退屈そうだった」
「見てたの?」
「一応」
「じゃあ、じっと座ってるのも嫌い」
「それも分かる」
「何でも分かったみたいに言わないで」
「分かりやすいんだよ」
「失礼」
アイリスが頬を膨らませる。
「怖いものは?」
今度はハルトが聞いた。
アイリスは少し考えた。
「……一人になること、かな」
「一人?」
「誰もいないところに、ずっと一人は嫌」
いつもの勢いが、ほんの少しだけ弱くなる。
けれどすぐに顔を上げた。
「だからここも二人の場所なの」
「そういう意味だったの?」
「今決めた」
「やっぱり」
二人で笑う。
「行きたい場所は?」
「海!」
「俺と同じじゃん」
「先に言われただけ」
「じゃあ別の場所」
「すっごく広い花畑」
「花好きなんだ」
「見るのは好き。水替えるのはハルト」
「まだ言うの?」
また笑った。
◇
小屋の奥。
古い木板を一枚見つけた。
「これ使えるかな」
「何に?」
「印つけるの」
「何の印?」
「ここが私たちの場所って分かる印」
「誰かに分かったら二人だけじゃないだろ」
「じゃあ私たちだけに分かるやつ」
二人で考えた。
名前を書くのは違う。
ハートのようなものでもない。
最後に決めたのは。
小さな丘を表す半円。
その上に、二本の短い線。
二人が丘に並んで立っているようにも。
大樹の枝のようにも見える。
知らない人が見れば、ただの子供の落書き。
でも二人には分かる。
「これ」
「うん。これにしよう」
木片の先で線を刻む。
アイリスは勢いよく。
ハルトはその隣を少しずつ整える。
「そこまできれいにしなくていいのに」
「残るなら、ちゃんとしたい」
「真面目」
「またそれ?」
「だって真面目なんだもん」
最後の線を刻む。
二人だけの印。
ハルトは木屑を払った。
その時は。
この小さな印を。
いつか探す日が来るなんて。
考えもしなかった。
◇
夕暮れ。
二人は完成途中の秘密基地に並んで座っていた。
窓の向こうで、空が橙色に変わっていく。
剣の話もしない。
魔法の話もしない。
神童の話もしない。
栗のお菓子の包みだけが、二人の間に置かれている。
「明日は何する?」
アイリスが聞く。
「まだ来るの?」
「私たちの場所でしょ」
「毎日来る場所なの?」
「だめ?」
「……別に」
「じゃあ来る」
「勝手だな」
「ハルトも来るでしょ?」
少し考えるふりをする。
「……まあ」
「ほら」
アイリスが笑う。
ハルトも笑った。
前までは。
明日というのは、もっと強くなるために来るものだった。
剣を振る。
魔法を覚える。
守れるようになる。
それは今も変わらない。
でも。
今は、それだけではない。
家族と食事をする。
丘へ来る。
くだらないことで笑う。
アイリスと続きを作る。
強くなること以外にも。
明日を楽しみにする理由が、少しずつ増えていた。
――第16話「二人だけの場所」了。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
まだ始まったばかりの物語ですが、こうして読んでいただけることが何よりの励みになっています。
もし物語を気に入っていただけたら、★評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。
これからもハルトたちの物語を、大切に描いていきます。




