第14話 神童
八歳になった頃、ハルトは自分の知らないところで妙な呼ばれ方をされるようになっていた。
「聞いたか? 坊ちゃん、今度は風も使ったらしいぞ」
「水だけじゃなかったのか?」
「火も土もだってよ」
「領主様の次男は神童だって、街でも噂になってる」
領兵たちの声に、ハルトは木剣を振る手を止めた。
「……神童」
あまり好きな響きではない。水滴一つでも集中を切らせれば失敗する。ルークにはまだ剣で勝ち越せず、アルベルトには一度も届かない。
できないことの方が、ずっと多い。
それでも、八歳で剣と魔法を同時に学び、その両方を異常な速度で伸ばしていることは、周囲には十分異常に映っていた。
◇
セドリックの前には、いくつかの標的が並んでいた。
「では、もう一度。水」
水球。
「火」
小さな炎。
「風」
落ち葉が舞う。
「土」
地面が盛り上がる。
「光」
淡い灯り。
「最後に……闇」
「どうすればいい?」
「何かを作ろうとせず、魔力を流して反応を見るだけで構いません」
掌の上の影が、一瞬だけ周囲より濃くなった。
「……今のは?」
セドリックは六つの標的を見た。
「もう一度、同じ順番で試しましょう」
「失敗した?」
「逆です。だから確認したいのです」
火、水、風、土、光、闇。
普通は一つ。恵まれていても二つ。三つ以上なら極めて稀。
ハルトは六つすべてに反応した。
もちろん、扱えるというだけだ。火は小さく、土は遅い。闇は現象と呼べるかも怪しい。
それでも、教師が驚くには十分だった。
◇
「今日は身体強化をやる」
「身体強化?」
「魔力を身体へ巡らせれば、自分の力にもできる。最初は少しだけだ」
ハルトは足へ魔力を流す。
踏み込む。
「――っ!」
景色が一気に近づいた。
速い。
しかし身体が前へ流れ、姿勢が崩れる。
「速くなった」
「そうだな」
「できた?」
「速くなっただけだ」
身体強化そのものは成功している。
けれど、第十三話から積み上げてきた足運びも、構えも、間合いも、魔力を流しただけでは上手くならない。
アルベルトは足元を見る。
「お前はまだ経験が浅い。速くなっただけで、上手くなったわけじゃない」
「剣も?」
「当然だ。技術がなければ、速く負けるだけだ」
第13話から続けてきた足運びや構えが、身体強化を覚えても必要なのだと分かった。
◇
「では坊ちゃん。俺と一度やってみますか」
相手は領内騎士団副団長――カイル・レナードだった。
三十四歳。暗い金茶の短髪に、顎から頬へ小さな傷。長く領地の防衛に携わり、若い騎士たちの訓練も任される実戦経験者だ。フェイント、間合い、視線誘導を得意としている。
「手加減はします」
「しなくても――」
「する」
アルベルトが即答した。
開始。
ハルトは足へ薄く魔力を巡らせ、鋭く踏み込む。
「おお」
カイルが半歩下がる。
追う。
肩が動いた。
(来る)
防御へ切り替える。
攻撃は来ない。
「え?」
足元へ木剣が滑り込み、姿勢を崩される。
もう一度。
今度は視線、肩、足を全部見る。
相手の視線が動く。
ハルトは攻撃方向を読む。
違った。
正面から木剣がぶつかり、弾かれる。
次の瞬間。
カイルの木剣が喉元で止まった。
「そこまで」
「……負けた」
「はい」
明確な敗北だった。
◇
「速いですよ。魔力の扱いも、八歳とは思えない」
カイルは木剣を下ろす。
「でも、戦場では才能があるだけじゃ生き残れません」
「……」
「相手にも積み重ねてきた経験がある。坊ちゃんの得意な形で戦ってくれるとも限らない。いつも自分に
有利な状況で戦えるわけでもない」
「……さっき、どこから騙してた?」
「悔しくないんですか?」
「悔しい。だから知りたい」
カイルは笑った。
「その答えなら、まだまだ強くなれますよ」
その日の昼。
「神童様、昼飯だぞ」
「兄さんまでやめて」
「街でも噂らしいぞ」
「俺、今日普通に負けたけど」
「八歳で副団長相手にあそこまでやるから言われてるんだろ」
「負けは負けだよ」
家の中では何も変わらない。
アナは手を洗えと言い、ミアはハルトの椅子へ座り、ルークは茶化す。
外で何と呼ばれても、ここではただのハルトだった。
◇
数日後、屋敷へ馬が駆け込んできた。
「領主様! 東の街道付近で魔物の群れを確認!」
アルベルトが立つ。
「数は」
「十数体。森側にまだいる可能性があります」
「避難を先に。街道を閉じろ。索敵班を出せ。魔法兵は進路を絞れ。討伐班は突出するな。救護を後方へ」
「ローデリック」
「はっ」
灰褐色の短髪に古傷を持つ大柄な騎士が、すぐに前へ出た。領内騎士団長ローデリック・ハイン。
「東街道を第一線とする。住民避難を最優先。カイルは前衛をまとめろ。追い込みすぎるな。全員、生きて戻せ」
「了解」
短い命令だけで、周囲の騎士たちが一斉に動き始めた。
「父さん。俺も行く」
「ダメだ」
「でも、俺なら――」
「お前ができることと、お前を連れて行くべきかは別だ。今日は俺たちの仕事だ」
ハルトは拳を握った。
だが少し考えて言った。
「……見せて」
「何?」
「戦わせなくていい。邪魔もしない。でも、実際にどうやってみんなを守るのか見たい」
アルベルトはカイルを見る。
「後方から絶対に出さない。それを守れるなら」
父はハルトへ向き直る。
「命令は絶対だ。戻れと言ったら戻る。勝手に動かない」
「約束する」
「……なら来い」
◇
初めて見る実際の現場は、想像とは違った。
「住民を南へ!」
「子供と老人を先に!」
「索敵、森側三!」
魔法兵が土壁と風で進路を狭める。騎士が魔物を孤立させる。負傷者はすぐ後方へ運ばれ、救護役が動く。
アルベルトは前だけを見ていない。
避難路。魔物。味方。森。
「左を詰めろ! 深追いするな!」
前線では、騎士団長ローデリック・ハインが全体を見渡し、その指示を受けたカイルが前衛をまとめていた。
(……これが、戦うってことなんだ)
逃がす人。探す人。止める人。倒す人。治す人。全体を見る人。
一体の魔物が包囲を抜けた。
ハルトの身体が反射的に動きかける。
「動くな!」
アルベルトの声。
止まる。
別の騎士が入り、魔物を受け止めた。
約束した。
だから動かなかった。
やがて最後の一体が倒れた。
◇
「終わった?」
「ああ」
カイルが戻る。
「団長から報告です。討伐班は全員帰還。負傷者はいますが、命に関わる者はいません」
少し遅れてアルベルトも戻ってきた。
「父さん」
「約束は守ったな」
「……うん」
「よく見ていたか」
「みんな、別々のことしてた」
「それが戦いだ」
「一人で倒すんじゃないんだ」
「一人で済むなら楽だ。でも、そんな戦いばかりじゃない」
『帰るところまでが、戦いだ』
父たちは本当に帰ってきた。
あの日の言葉を、少しだけ目で理解した気がした。
◇
夜。
ハルトは木剣を膝へ置いていた。
カイルには負けた。
魔物との戦いでは、後ろから見ていただけ。
でも父たちは人々を守った。
誰か一人ではなく、みんなで。
それが正しいことは分かる。
『みんなで見ていればいいのよ』
『何でも自分一人で背負うことでもない』
分かっている。
それなのに。
(もし……)
自分の手を見る。
(俺一人でも、全部できるくらい強くなれたら)
誰かが間に合わなくても。
誰かが傷つく前に。
自分が全部できたなら。
その考えが危険だとは、まだハルトには分からなかった。
ただ、もっと役に立ちたい。
もっと守れるようになりたい。
そう思っただけだった。
◇
数日後。
「近いうちに、お客様がいらっしゃるの」
朝食の席でアナが言った。
「誰?」
「近隣領のご家族よ。今回はご家族も一緒」
ルークが笑う。
「ハルトと同い年くらいの女の子も来るらしいぞ」
「……へえ」
「興味なさそうだな」
「別に」
「神童様は女の子より訓練ですか」
「兄さん」
アナが笑う。
「名前は――アイリスちゃん」
その時のハルトは。
その名前が、自分の二度目の人生を大きく変えることになるなんて。
まだ、知るはずもなかった。
――第14話「神童」了。
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これからもハルトたちの物語を、大切に描いていきます。




