第13話 剣を握る理由
乾いた音が、朝の庭に響いていた。
カンッ。
赤茶色の髪を揺らし、ルークがアルベルトへ踏み込む。
「はっ!」
アルベルトは半歩だけ位置をずらし、木剣の角度を変えた。ルークの剣が流される。
「うわっ――」
体勢を立て直すより早く、アルベルトの木剣が肩へ触れた。
「一本」
「今のずるくない?」
「どこがだ」
「全然動いてないじゃん」
「お前が勝手に崩れた」
水滴を浮かせる訓練中だったハルトは、見入っていた。
魔法とは違う。光も炎もない。それでも、身体、間合い、判断だけで相手を制している。
この時のハルトはまだ、剣士たちが魔力を身体へ巡らせる技術――身体強化を学んでいない。だからこそ今は、足、構え、間合いという土台を身体へ刻むことが先だった。
「……すごい」
「魔法の訓練はどうした」
「今休憩」
「勝手に休憩にするな」
ルークが笑う。
「ハルトもやりたいんじゃない?」
「……やりたい」
「魔法を始めたばかりだろう」
「剣も覚えたい」
「何でも一度にやればいいというものじゃない」
「やらせてみれば?」
ルークが背中を押す。
アルベルトは息を吐いた。
「……少しだけだ」
◇
渡されたのは子供用の木剣。それでもハルトには重い。
「……重い」
「さっきまでの勢いはどうした」
「持てないとは言ってない」
両手で強く握る。
「まず振るな」
「え?」
「立て」
「立ってるけど」
「立てていない」
足が揃い、重心が高い。肩にも力が入りすぎている。
「もっと力を抜け」
「落としそう」
「握ることと力むことは違う」
前世の記憶があっても、本格的な剣経験はない。
頭で分かることと、身体でできることは別だった。
「立てていない奴が振っても、自分が崩れるだけだ」
想像していたより、ずっと地味だった。
◇
「一回だけやってみるか」
「誰と?」
「俺」
ルークが前へ出る。
「手加減する?」
「しなくていい」
「しろ」
アルベルトが即答し、ルークが吹き出した。
「始め」
ハルトは肩、足、木剣を見る。
(右から? それとも――)
考えた瞬間、ルークが間合いへ入った。
「遅い」
「っ!」
受けようとして足が止まり、尻もちをつく。
「大丈夫?」
「……もう一回」
二度目は踏み込みすぎた。かわされ、背中へ木剣が触れる。
「一本」
「もう一回」
三度目。四度目。
何度やっても負けた。
「……悔しい」
「そりゃ俺の方がずっとやってるからな」
ルークは笑った。
でもハルトは、別の感情にも気づく。
(兄さんは……強い)
ルークは自分で立って戦える。
(俺一人で、全部背負わなくていいんだ)
その事実が、少しだけ胸を軽くした。
◇
「負けた理由は分かるか」
「兄さんの方が速い」
「それだけじゃない。足だ」
アルベルトが一歩踏み出す。
「攻撃する前に、自分が崩れない場所へ動け。次に構え。攻撃した後も、防いだ後も、次へ動ける形を残せ」
木剣を構える。
「そして間合い。自分の剣と相手の剣がどこまで届くかを知れ」
「足、構え、間合い……」
「剣は腕だけで振るものじゃない。足が止まれば、次も止まる」
派手な技は一つもない。
それでも、さっきより剣が少しだけ違って見えた。
◇
それからハルトの朝に木剣が加わった。
一、二、三。
素振り。足運び。軽い打ち合い。
手のひらには豆。翌日は肩と腕が痛い。地面の線を何度も踏み外す。
魔法の制御訓練も続けた。
一滴の水を浮かべ、落とし、またやる。
「父さん、あと十回」
「今日は終わりだ」
「まだできる」
「できるかどうかじゃない。今日は終わりだ」
「でも――」
「子供の身体は、お前が思っているより先に壊れる」
アルベルトは木剣を取り上げた。
「休むのも鍛錬だ」
「休んで強くなるの?」
「壊れて三日休むより、今日止めて明日またやる方が強くなる」
ハルトは渋々頷いた。
◇
上達はしていた。
木剣は少し軽く感じる。足も動く。ルークの攻撃も、たまに一度だけ受けられる。
それでも遅い。
(もっと早く)
父と母。りず。セナ。
(もっと早く強くならないと)
「ハルト。今日は終わりだ」
「もう少し」
「終わりだ」
焦っている。
自分でも分かっていた。
でも、焦らずにはいられなかった。
◇
「何でそんなに強くなりたい?」
稽古の後、アルベルトが聞いた。
「魔法も剣も。お前は急ぎすぎる。何のためだ」
前世のことは言えない。
けれど答えは分かっていた。
「……守りたいから」
「誰を」
アナ。アルベルト。ルーク。ミア。
迷わなかった。
「家族を」
言葉にした瞬間、不思議なくらい自然だった。
前の家族を忘れたわけではない。
誰かを誰かの代わりにしたわけでもない。
それでも今ここにいる人たちは、ハルトの家族だった。
「そうか」
アルベルトは少しだけ表情を緩めた。
◇
「なら、覚えろ」
アルベルトが木剣を地面へ立てる。
「守るってのは、自分を追い詰めることじゃない」
ハルトは黙って聞く。
「何でも自分一人で背負うことでもない」
『みんなで見ていればいいのよ』
アナの言葉が重なる。
「まして、死ぬことじゃない」
胸の奥がわずかに痛む。
「守るっていうのは――帰ってくることだ」
「……帰る」
「そうだ」
アルベルトは続ける。
「守ることだけを考えるな」
「でも、守りたいなら――」
「お前を心配する奴もいる」
ハルトが止まる。
「アナも、ルークも、ミアも。俺もだ」
静かな声。
「お前が誰かの帰りを待つように、お前の帰りを待つ者もいる」
その言葉は、剣の教えより深く刺さった。
「勝つことだけが戦いじゃない」
一拍。
「帰るところまでが、戦いだ」
「……うん」
今も全部を理解できているとは言えない。
それでも、忘れたくないと思った。
◇
稽古が終わり、アルベルトとルークが先を歩く。
「ハルト、早く!」
「今行く!」
二人の背中を見る。
前世では、自分が守る側でいなければと思っていた。
今は父がいる。兄がいる。母がいる。妹がいる。
守りたい人たち。
そして、自分を守ろうとしてくれる人たち。
(守るだけじゃない)
(俺も、守られてるんだ)
その感覚はまだ少し不思議だった。
◇
翌朝。
ハルトが木剣を持って庭へ出ると、ルークはもうそこにいた。
「遅い」
「昨日より早い」
「俺より遅い」
「今日は一本取る」
「昨日一回も取れてないのに?」
「だから今日取るんだよ」
ルークが笑って構える。
少し離れた場所にはアルベルト。
ハルトも構えた。
昨日より、ほんの少しだけ足が安定している。
「行くぞ」
「うん」
乾いた音が朝の庭に響いた。
まだ弱い。
まだ何度も負ける。
魔法も剣も始まったばかりだ。
それでもハルトは今日も木剣を握る。
守りたいから。
そして。
ちゃんと帰ってくるために。
――第13話「剣を握る理由」了。
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これからもハルトたちの物語を、大切に描いていきます。




