第12話 魔法
ハルトが六歳を過ぎた頃、屋敷には週に何度か家庭教師が訪れるようになっていた。
読み書き、計算、この国の歴史。前世の記憶があっても、この世界で初めて知ることは多い。
その日、授業を終えた教師――セドリック・フェインが庭へ出た。
「今日は少し違うものをお見せしましょう」
セドリックは水差しへ手を向けた。
「《ウォーター》」
触れていないのに、水が細い帯になって宙へ浮いた。
「……え」
水は花壇の鉢へ静かに注がれる。次に掌を上へ向ける。
「《ライト》」
小さな光が灯る。
「《ブリーズ》」
さらに風が吹き、落ち葉が一か所へ集まった。
「……今の、何?」
「魔法ですよ、ハルト様」
「魔法……」
赤ん坊だった頃、窓の外で見た不自然な淡い光。ようやく、それに名前がついた。
(本当に……あるんだ)
◇
「魔法って、誰でも使えるの?」
「程度の差はありますが、多くの人は魔力を持っています」
「魔力が多ければ強い?」
「それだけではありません」
教師は掌の光を大きくし、また小さく戻した。
「大量の水があっても、全部こぼしてしまえば役には立たないでしょう?」
「……制御が必要ってこと?」
「その通りです。そして属性への適性もあります」
「属性?」
「火、水、風、土、光、闇。基本六属性です。普通は一つ、多くても二つほど、自分と相性の良い属性を持つ者が大半です」
「三つは?」
「かなり珍しいですね。三属性以上を高い水準で扱えるなら、宮廷魔導士を目指せるほどの資質と言われます」
「魔法には名前もあるの?」
「あります。通常は魔法名や発動句を使います。詠唱は、何を起こすのかというイメージと制御を安定させる助けになります。ただ、言葉だけ覚えても魔法は使えません」
教師は水球を作る。
「必要なのは魔力。それを必要な量だけ流す制御。属性への適性。何を起こすかを明確に思い描くこと。そして、その場での判断と経験です」
「同じ魔法でも人によって違う?」
「ええ。威力、速度、規模、形、繊細さ。術者によって変わります。熟練者なら短縮詠唱や魔法名だけで発動する者もいます。さらに、ごく一部には完全無詠唱を扱う者もいます」
「無詠唱……?」
「完全無詠唱は、詠唱で補っているイメージと制御を頭の中だけで瞬時に成立させる超高等技術です。威力が上がるわけではありません。まずは基礎ですよ」
魔力量。制御。属性適性。イメージ。判断。経験。
詠唱や標準魔法は助けになる。けれど、言葉だけで使えるわけではない。
同じ属性でも、使う者によって魔法は変わる。
ハルトは、その仕組みに強く惹かれた。
◇
「俺もできる?」
「そう言うと思いました。ほんの少しだけですよ」
用意されたのは小さな水の器。
「まずは標準魔法で、水を一滴だけ浮かせてみましょう」
「一滴?」
「一滴です」
目を閉じる。
身体の中心へ意識を向ける。
(……これ?)
血液とは違う。身体の奥に温かな流れがある。
腕へ。手へ。
「そうです。急がずに」
「《ウォーター》」
一滴だけ持ち上げる。
そのはずだった。
「――っ」
身体の内側から何かが一気に抜けた。
水桶の中身がまとめて宙へ跳ね上がる。
「え?」
大量の水が広がり、同時に風が吹いた。落ち葉が舞い上がり、教師の灯りまで眩しいほど膨らむ。
「ハルト様、止めて!」
「止めるって――どうやって!?」
「ハルト!」
アルベルトの声。
教師が素早く魔法を収束させ、水が庭へ落ちた。
静寂。
「……俺が、やったの?」
◇
「すごいじゃない!」
アナが驚きながら笑った。
「初めてなのに、あんなに?」
「ハルトすげえ!」
ルークも目を輝かせる。
「俺が初めてやった時、火がちょっと出ただけだったぞ」
「兄さんもできるの?」
「もちろん」
「なんで教えてくれなかったの」
「聞かなかったから」
アナとルークは素直に褒めた。
アルベルトだけは、まず教師を見る。
「怪我は?」
「ありません」
全員の無事を確認してから、ハルトの前へ来た。
「力があることと、使えることは違う」
「……うん」
「制御できない力は、お前自身も周りも傷つける」
「でも、俺――」
「才能がないとは言っていない。むしろ逆だ。だからこそ覚えろ」
濡れた庭を見る。
「大きな力ほど、扱えなければ危険だ」
「でも、初めてであそこまでできたのはすごいわ」
アナが肩へ手を置く。
「うん。すごかった!」
ルークも笑った。
嬉しい。
けれどハルトは、自分の手から確かに出た力をじっと見つめていた。
◇
夕方。
一人になったハルトは掌を見る。
ミアの小さな手。
『みんなで見ていればいいのよ』
アナの声。
そして、守れなかった父と母。りず。セナ。
今日、初めて知った自分の力。
(これなら……)
(もっと使えるようになれば)
ミア。アナ。アルベルト。ルーク。
(みんなを守れる力に……なるかもしれない)
それは希望だった。
同時に、その希望がいつか自分をどこへ連れていくのか、今のハルトにはまだ分からなかった。
◇
夜。
ハルトは一人で庭へ出た。
「一滴……」
昼と同じ器へ手を向ける。
三滴ほどまとめて浮いた。
「違う。一滴だけ」
やり直す。今度は何も起きない。
「……難しい」
大きく出すより、小さく出す方が難しい。
何度も繰り返す。
「何をしている」
「っ!」
アルベルトが立っていた。
「……練習」
「こんな時間に一人でか」
「早く使えるようになりたい」
「なぜだ」
前世のことは言えない。
でも、今の家族を思う。
「……みんなを守れる力が欲しいから」
アルベルトはしばらく黙っていた。
◇
「ハルト。急ぐな」
アルベルトが隣へ来る。
「力は、手に入れれば終わりじゃない」
「うん」
「強さは、誰かを守るためだけにあるんじゃない」
ハルトが父を見る。
「お前自身が、生きて帰るためにもある」
「俺が?」
「そうだ」
「でも、守れたなら――」
「お前が帰ってこなければ、その次の日は誰が守る」
ハルトは黙った。
「帰ってこない奴は、次の日に誰も守れない」
低い声。
「守りたい相手がいるなら、自分まで捨てるな」
胸が、わずかに痛んだ。
前世の自分が最後に選んだこと。
アルベルトは何も知らない。
「……分かった」
その時は、本当に分かったつもりだった。
◇
翌朝。
庭にはアルベルトと家庭教師がいた。
「昨日の続き?」
「違う。今日から基礎だ」
「同じじゃない?」
「昨日のお前は、勝手に魔力を出していただけだ」
「……はい」
セドリックが小さな水滴を一つ浮かべる。
「《ウォーター》」
「まずはこれを」
「一滴?」
「一滴です」
遠くでルークが笑う。
「ハルト、一滴に負けるなよ!」
「うるさい!」
アナもミアを抱きながら見ていた。
身体の奥の温かな流れ。
今度は少しだけ。
一滴の水が震える。
浮いた。
「……!」
すぐに崩れて落ちた。
「惜しい」
アルベルトは腕を組む。
「大きくするのは簡単だ」
「簡単じゃなかったけど」
「お前の場合はな」
口元がわずかに緩む。
「小さく、同じように出し続ける方が難しい」
ハルトはもう一度手を向けた。
浮かせる。
落ちる。
もう一度。
また落ちる。
それでもやめない。
大きな力を出すためではなく。
その力を、自分の意思で扱えるようになるために。
ハルトの最初の魔法の鍛錬が、始まった。
――第12話「魔法」了。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
まだ始まったばかりの物語ですが、こうして読んでいただけることが何よりの励みになっています。
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これからもハルトたちの物語を、大切に描いていきます。




