第九十八話 白と黒のチェスの駒
「あんまり使えないわね」
その声の主は、真っ白な空間に一組の椅子とテーブル。
テーブルの上には飲みかけの紅茶のカップとチェス盤が置かれている。
カップを取ると、一口飲むがすぐにカップを投げ捨ててしまう。
「ぬるいわ。新しいのを持ってきなさい」
誰もいない空間にそういうと、メイド服を着た女性が一人、あたたかなポットと、新品のティーカップを持って現れた。
「こちらに」
「遅いわよ」
不機嫌そうに淹れたての紅茶を受け取ると一口飲む。
不機嫌の八つ当たりのように、黒い駒の一つを指で弾くとテーブルの上からカタンという音が響き駒の一つが倒れてヒビが入っていた。
「見なさい。もう使い物にならないわ」
そういってヒビの入った駒を手で取ると、ヒビが入っている駒の下半分をパキっという音と共に握りつぶしてしまった。
握りつぶされた駒はサラサラと砂のようになっていく。
「カーリー様。そういったお戯れはほどほどになさってください」
「カーリーさまぁあああ? 私がいつそう呼ぶことを赦したのかしらぁあ?」
「……失礼しました。お母さま」
「わかればいいのよ。でも不思議よね。こっちの黒い駒はこうして握りつぶせるのに、白い駒は何をしても握りつぶせないわ」
盤面にある白い駒を指さしてそういうカーリーが不思議そうに言っている。
「これが神にできる干渉の限界なのかもしれないわねぇ。ハジメぇ。ほーんとかわいい子。また会いたいわぁ」
そういって白い駒の一つを指で弾く。
その白い駒は、チェスの駒としては不思議な見た目で、よく見ると男性を模しているように見え、手には剣が握られている。
もう一つの駒は女性を模しているようで、同じく手には剣を握り、別の駒には尻尾が生えている。
「見えないの? おかわりよ」
再び飲みかけのカップを指さして冷たい視線をメイドに向ける。
「……失礼しました。お母さま」
メイドが感情のなさそうな表情で新しいティーカップに紅茶を注いでいく。
「このデザイン、かわいくないわね」
「……申し訳ございません」
「まぁいいわ。近いうちに貴女にも仕事をお願いするわ。下がっていいわよ」
「……承知しました」
メイドはカーリーに背を向けて、見えないように強く握りこぶしを握り、少し肩を震わせながらその場から離れていった。
ーーーーヴァルでの交戦
「えっ? なに、これ!?」
それは天邪鬼の言葉だった。
突然天邪鬼の服が避け、アメノサグメの時に切られた胴体の切り傷があらわになる。
まるで今切られたかのような生傷にそっと手を当てる天邪鬼。
「あの傷は……。ねぇ兄ちゃん。あれって兄ちゃんが」
ノボルがその光景を見てマサルが切った時を思い出す。
「そうだな。あれは俺が切ったときのもんだ。いててて。もうちょっと優しくやってくれ」
「あらあら。男の子やねんから、もうちょっと気張りはったらよろしいのに」
「いだだだだだ! なんでさっきより痛くすんだよ!?」
マサルはまだギネヴィアに回復を受けているが、全身の筋肉が断裂寸前だったために時間がかかり、痛みも発生してしまう。
「ラグちゃんどう思う? なにか罠だと思うか?」
『わからない。でも攻められるなら攻める優先!』
「だよな。アリス! 俺らで一気に行くぞ!」
「承知しました!」
ハジメとアリスは挟み撃ちするように天邪鬼に切りかかるが、先ほどまでの反転が起きない。
無論反転が無くなったわけではないが、回避漏れが多くなっているのだ。
「やめてやめて! そんなに僕さばききれないよ!! 私このままじゃやられちゃ……そんな……」
突然天邪鬼が、足に力が入らないようにその場にへたりこんでしまった。
足は震えることも無く、まったく力が入らないという様子だった。
俺たちもそれをみて状況の把握が追いつかなくなっていく。
「あんのババア!! 私の足壊しやがったな!? 僕の足が、足が、感覚も無くなってるわ!」
言葉も一人称もぐちゃぐちゃになっており、動揺を隠せなくなっている。
「な、なんなんだ?」
俺もさらに頭を混乱させられる。
俺たちの攻撃はほとんど通ってないのにこの状況だ。
「ハジメ様。これは攻め時なんじゃないでしょうか?」
「俺もそう思うんだけど、見る限り俺らじゃない誰かがここに干渉しているとしか思えない」
『ハジメ! やるときはやり切らないと駄目! 攻めよう!』
ラグナロクは変わらずタカ派な意見を出してくる。
『ちょちょちょ! ちょっと待ちなさい! ハジメ! またコインあげるからアタシを今すぐ呼び出して!!』
「ロキ!? なんでお前」
『いいから! 早く呼び出す! ほら駆け足!!!』
「走って呼び出すってどうやってやんだよ!? ったく、呼べばいいんだな!?」
俺はポケットからロキが模られたコインを取り出し、ロキに念じる。
『いいわいいわ! 行くわよ!』
目の前に光の柱が現れると、久方ぶりに見るロキの姿だった。
「久しぶりね。おもちゃとして頑張ってる?」
うん。
これはロキだな。
「ロキ様!?」
『神様どうして……?』
『主! 主! あの気の強そうな少女は誰か! なにか私の中のタガが外れそうなオーラを放っておるぞ!』
変態がキャッキャしているのは大変気持ち悪い。
マサルの治療をしているギネヴィアが刺すような視線をエクスカリバーに向ける。
『はうっ!? ギーネ! 分かっている! 分かってはいるのだ……』
変態の言葉は終始気持ち悪いが、ギーネがいいストッパーになっている。
アリスとラグナロクは素直に驚いているという様子だった。
ロキは俺に向かって少し微笑むと、天邪鬼に向き直って足を進めていく。
天邪鬼の目の前まで来てワンピースのスカートを押えながらしゃがむ。
「お前! ロキだな!? 何しに来た!?」
天邪鬼が動きにくいその体から、神力をロキにぶつけようとする。
しかしそれをロキは片手で払うと、もう片方の手で天邪鬼をビンタしたのだった。
くすくすと笑いながらロキは話しかける。
「アタシにそんなに効くわけないじゃない。バカなの? あんた、残念だけど、切られちゃったわよ? あのおばさんに」
「えっ……」
ビンタされた頬を押えながら天邪鬼がきょとんという顔をしている。
「捨て、られた? 僕が? 私が?」
「どう見てもそうじゃない。アンタの足、もう使い物にならないわよそれ」
ロキが力なく動かなくなった天邪鬼の足を指さす。
「これで捨てられてんじゃなかったら、そっちの方が驚きだわ」
天邪鬼は、何も言わないまま、ロキを睨みつけて目に涙を溜めていく。
「そんな目したってどうにもならないわ。現実見なさいよ」
「嘘だ! そんなことあるはずない! だってお母さまが!」
いままでババアと言っていた相手にお母さま?
「アンタんとこのその母親崇拝みたいなのは勝手にすればいいけど、事実切り捨てられてんのよ。あのおばさん、言葉ほどアンタを家族とは思ってないみたいね」
「でも、でも……」
天邪鬼はどんどん言葉が幼くなっていく。
「そこでアタシにいい考えがあるのよ。聞く?」
俺はその新しいおもちゃを手に入れた子供のようなロキの顔を知っている。
俺がこっちに来た時も同じ顔をしていた。
「……聞く」
「いい子ね。それはね?」
ロキは静かに、とんでもないことを言い出す。




