第九十話 家族
ラグナロクは俺の手を引いていく。
ぎゅっと握られた俺の手にラグナロクの手の温度が伝わってきていた。
普段よりも少し熱く、それでいて握る力はいつもよりも強く。
ラグナロクの顔はこちらからは見えないが、後ろ姿をみる限り、楽しそうな雰囲気は感じられない。
かなりの距離を歩かされたような気がするが、俺も初めて見る場所なだけに、目的地がどこを指しているのか想像することすらできなかった。
不意にラグナロクが足を止めて、俺はラグナロクの背中にぶつかってしまった。
「いてて。ラグちゃんここに来たかったの?」
「うん。ここに連れてきたかった」
ラグナロクは俺を見ずに、連れてきたかったという場所を見つめていた。
そこにあるのは一軒の住宅だった。
見た目からして、新しくはないが、そこまで古くもないレンガの壁が少し汚れている、この世界では割とよく見る建物だ。
「ラグちゃん、ここは?」
「……ここは、ね? ここはね?」
ラグナロクの声が少し震えている。
何かを言おうとして、喉まで出かかった言葉を飲み込みまた言いかけて。
そんなことを繰り返しているように見えた。
「大丈夫。無理しなくていい。」
「……うん。うん。」
ラグナロクは胸に手を当てて深呼吸を繰り返している。
何度目かの深呼吸で胸に当てていた手を握ると、俺に向き直り俺の目をまっすぐ見つめる。
「ここは、ラグが生まれた、ところだよ」
そういうラグナロクの目は、悲壮感があるでもなく、それでも楽しそうという雰囲気でもなく。
感情を読み取ることができないが、何か決意のようなものを感じる、そのような目だった。
見たところ長命のラグナロクが住んでいたというには新しすぎる気もする。
「そうなんだ。いつ頃住んでたところなの?」
「ずっと昔。ラグが人間だった頃に、お父さんとお母さんと住んでたんだ」
「ずっと昔? それにしては建物が……」
俺が言いかけたところで、ロキが俺に介入してくる。
『それは言わずに、あの娘の話をちゃんと言葉に任せて、アンタは聞き役に徹しなさい』
ロキが介入してくるということは、きっと聖剣絡みのことなのだろう。
「新しすぎる?」
ラグナロクが俺の言葉の先を先回りして聞いてきた。
ロキには止められたけど、ラグナロクが先に反応してしまったが、否定するのも違うかなと思った。
「そうだな。ラグちゃんがここに住んでたって言うには新しすぎるかな」
ラグナロクの言葉を繰り返して、あとはラグナロクの言葉に任せよう。
「そうだよね。実際にはもう住んでた家は無くなってて、ここは新しい人が住んでる家だからね」
ということは、ラグナロクの生家はもうないってことか。
「ここに連れてきたのはね。ハジメにだけは、本当の、ううん。昔の私を知って欲しかったなんだと思う。私もよくわからないの」
俺は違和感を感じていた。
その違和感が何なのか俺はわからずいたが、今度はロキが俺とラグナロク二人に聞こえるように声をかけてくる。
『ラグナロク。いいのね? 貴女はそれで後悔しない?』
「神様。いいの。ハジメくんにはちゃんと伝えておきたい」
二人は何か知っている、というかこれはラグナロクの過去に関連することだろう。
またしても違和感を感じる。
なんだ?
よく考えろ俺。
「ラグちゃんはどんな子供だったんだ?」
「どこにでもいる普通の女の子だったよ。ちょっとお金に困ってた家だったけどね」
「そっか。楽しい時間だったか?」
「どうかなぁ。私は今のハジメくんとの時間の方が楽しいけど、あの時も最期の瞬間までは楽しかったんだと思っていたいかな」
歯切れの悪い表現だ。
それにまた違和感……。
そ、そうかそれか。
俺は違和感の正体に気づいた。
「ラグちゃんって、俺のことハジメくん呼びだったっけ? それに、自分のこともラグって言ってないし、ロキをお姉さまって呼んでない」
「うーんとね。こっちが、元の私、かな?」
少し寂しそうに、伏し目がちにラグナロクは、ふふふを笑っている。
少し刺激したら崩れてしまいそうなほど、今のラグナロクは脆く見える。
「元の? 魔剣になる前の?」
「そうだね。ハジメくんにだけ話しておきたいの。なんで私が、ラグナロクと呼ばれる魔剣になったのか」
ラグナロクの目は、伏し目がちな目から今一度覚悟を決めた目になると、語り始めた。
ここで生まれ、両親と暮らしていたこと。
両親の借金が災いし、最期には自分がその返済の為に借金取りにつれていかれたこと。
その光景を見た両親が、助けるのではなく、安堵の表情を見て、ラグナロク自身も諦めてしまったこと。
その時救ってくれたのがロキで、自身を魔剣に変えてくれたこと。
ラグナロクは何度も言葉を詰まらせながら、それでも最後まで俺に語って聞かせてくれた。
「……」
俺は言葉が出なかった。
言いたいことはたくさんあった。
ーーーー大変だったな。
ーーーー可哀そうに。
ーーーー今はもう、大丈夫なのか?
どれも安っぽい言葉に感じてしまい、何も言えずだった。
俺に出来たのは、何も言わずにラグナロクの頭に自身の手を置くことだけだった。
「ハジメくんはいつも優しいね。出会ったころは、気持ち悪いって言うのに、私を折らずにいてくれたし、手放しもしなかったし。襲われた時だって、死ぬかもしれないのに私を庇って大怪我したもの」
「……あれは。別にそういうんじゃない」
俺はなぜか自身から流れる涙の理由がわからなくて困惑していた。
「ほら、今だって、私の話を聞いて泣いてくれる」
「だから、そういうんじゃねーって」
「ハジメくん。もう一か所見てほしいところがあるの」
ラグナロクはそういうと、俺の手を引いてまた歩き出す。
今度はさっきよりも長い距離を歩いて行く。
ここに来る時よりも、ラグナロクの手は熱くて、俺の手がやけどしそうだ。
歩いている時、俺たちは一切言葉を交わしていなかった。
それでも、時々振り返るラグナロクが、なぜか嬉しそうな顔に見えたのはきっと勘違いじゃないと思う。
「ここだよ。ここで最後」
ラグナロクは足を止めた場所を俺に説明する。
その場所は、ユグドラの共同墓地の先にある少し高くなった丘だった。
来た道には多くの墓石があるなか、ラグナロクに案内された場所には何もなかった。
墓石も、供え物もない、ただ、そこからはユグドラの全体が見えて不思議とその場所だけ空気が温かい気がした。
「ここは?」
「ここはね。私の両親のお墓、だと思うことにしている場所だよ」
「思うことにしている?」
「実を言うとね。私は、お父さんとお母さんが最期どうなったか知らないの。魔剣になってからこの世界に戻ってきたのはかなり時間が経ってからだからね。ここで亡くなったのか、別の場所で亡くなったのか。それすらわからないんだ」
ラグナロクはその場にしゃがむと、両手を握り合わせて祈りを始める。
「お父さん、お母さん。帰ってきたよ。最期を見届けてあげられなくてごめんね。もう、お父さんとお母さんの家族ではいられなくなって一人になっちゃったけど、それでもお父さんとお母さんのことは今でも大好きだよ」
ラグナロクから初めて聞いた暖かいトーンの声だった。
涙を流すでもなく、震える声でもなく、まるで実家に帰ってきたような声。
「いつか、ちゃんと家族ができたら、また紹介にくるよ。エレーナとしてはハジメくんが家族になってくれたら嬉しいんだけどね、えへへ」
そういうラグナロクは俺の方に顔を向けているわけではない。
照れている様子でもない。
俺の心にも確かに何か熱いものが燃えていくのがわかる。
そうかぁ。
俺、ちゃんとラグナロクのこと好きなんだなぁと、嫌でも気づかされてしまう。
あれほど嫌がった気持ち悪い魔剣。
黒いネイルが目立つ腕が生えた魔剣だぜ?
普通に考えてすぐにでも教会で呪いの解呪に走りそうな、束縛の強い魔剣。
でも、今は俺の……。
俺は、ラグナロクの横にラグナロクと同じようにしゃがんで手を組む。
「家族なら、もうここにいる」
少し驚いたように、ラグナロクが俺の方を大きな目を開いて視線を向けてくる。
「エレーナってのは初めて聞いたけど、それが本当の名前?」
俺はラグナロクの方を向かずに聞いてみる。
強くて熱い視線に大粒の涙を溜めてラグナロクが答えてくれる。
「エレーナ・ルゥ・アルテナ。人間だった時の名前だよ」
「ははは。まるで月の女神様だな」
「……」
ラグナロクは答えなかった。
その代わり、俺に向けていた目を地面に向けて、大粒の涙を落としている。
「お義父さん、お義母さん。エレーナ、いやなんか違うな」
俺は一つ呼吸してからもう一度言う。
「お義父さん、お義母さん。ラグナロクは俺の家族です。心配しなくても俺が幸せにします」
「……家族」
ラグナロクがぽつりとつぶやくと、俺の肩に頭を乗せて寄りかかってくる。
こちらからは表情が見えないが、俺の袖が濡れていく感覚があるから、きっと泣いているのかもしれない。
「いつか、俺らに子供が生まれたら、また来ますよ」
俺はそういってラグナロクの肩を抱いた。
声は出さなかったがラグナロクの肩も震えているし、俺の右肩はどんどん濡れていく。
しばらく時間が経つと、ラグナロクは深呼吸して立ち上がった。
目が少し赤く腫れていて、それでいてどこか満足そうな顔だ。
ラグナロクは俺に手を出していう。
「ハジメ!ラグお腹空いた!ご飯食べにいこ!!」
「……そうだな。行くかぁ!」
俺はラグナロクの手を取って、ラグナロクの両親のお墓に背を向けて歩き出す。
ふと、ラグナロクの手を見ると、黒いネイルが、白いネイルになっている。
これは……?
まぁいい。
まずは飯からだ。
「ラグちゃん、何食いたい?」
「薬膳じゃなければなんでも!」
「そりゃそうだ。でもなんでもってのは困るんだぜ?」
俺たちはユグドラの飯屋を目指して足を進めたのだった。




