第五十一話 ハジメのことが好き
ドリトンは驚きを隠せなかった。
ラグナロクを引っ張り出しに走ったドリトンではあったが、そこで見たものは今までではありえない怒声と、肌を打つ音だった。
「ラグナロク!!立ちなさい!いつまでそうして殻に籠って悲劇のヒロインを演じるのですか!!!」
ドリトンも見たことのないアリスの姿だった。
ラグナロクの左頬は赤くなっており、アリスが平手打ちをしたのだというのがわかる。
そしてアリスはなおも止まらない。
ラグナロクの胸倉を掴んで前後に強く揺さぶっている。
「ちょ、ちょっと待てアリス嬢!そりゃやりすぎだ!!」
ドリトンがアリスを引きはがそうとするが、アリスは言うことを聞かない。
「何が正妻ですか!ハジメ様を守るですか!!私じゃ……。私じゃダメなんです。私では、力が足りないんですっ!!!!貴女でなければ!いつから貴女はそんなに臆病になったのですか!!!」
「……」
「そうやって黙っていればハジメ様が迎えに来てくれると思っているのですか!?貴女は最強の魔剣なのでしょう!?」
「落ち着けアリス嬢!黒い姉ちゃんもそこまで揺すったら話すに話せねーよ!!」
アリスは涙を流しながら嗚咽を漏らしてその場に崩れた。
一気に部屋は静まり返り、隣の医務室からはハジメの唸り声がかすかに聞こえる。
壁を隔てて聞こえてくるのだから、状況はかなり深刻であることを感じさせるものだった。
ドリトンは、どう声を発すればいいのか悩ましい状況に一つ深呼吸をして自身を落ち着けようとした。
「ふぅ……。黒い姉ちゃん。いいか。ハジメがヤバイ。今、狐の嬢ちゃんが何とか抑えてるが、このままだと狐の嬢ちゃんが手を止めればハジメは確実に死んでしまう」
ラグナロクの手がピクリと動く。
フラフラと立ち上がり、部屋のドアのところまで歩き、そこでまたへたり込んでしまった。
それをみたアリスがまた詰め寄る。
「貴女は!!!まだわからないのです……」
『聞きなさい、わが愛する子供たち』
その場の三人に聞こえる、ロキの声だった。
普段はハジメにしか聞こえない声が、その場の三人全員、それとハジメに届いていた。
「ロキ、お姉さま……?」
『ラグナロク。お前の愛する主はお前を守って瀕死となっている。お前はハジメが死んでもいいと思っているのか?』
普段のロキが絶対に使わないであろう強い叱責の言葉だった。
「いいはず、ない」
『ならば、なぜいまお前はそこにいる?』
「ラグでは神には勝てない……」
ラグナロクの言葉を聞いて、アリスの涙がより一層増える。
アリスもわかってはいるのだ。
自身と同じく勝ち目のない相手であること。
その相手をどうにかしなければ、ハジメの命が危ないということ。
そして、その状況に恐怖を感じてしまっている不甲斐ない自身の無力。
だが、ロキはそれを認めることは無かった。
『だから、そこで泣いていればいいというのか?お前は自身の命を投げ出してまでお前の命を助けてくれた主人を見殺しにするのだな?』
「そうは言ってない!!」
『態度がそうだと言っているではないか。私がこの世界に送ったときのお前は、たとえ神が相手でも引かない性分だったと思うが?』
「……怖い」
『死ぬことに恐怖し、臆病風に吹かれた、か』
「違う。ラグが死んだら、もうハジメを守れない。もうハジメの声を聞くことができない。頭も撫でてもらえない」
『では、お前はそうして、いまのまま殻に閉じこもり、誰かが助けてくれるのを待っているのだな?私は、これからハジメに傷を負わせた相手を叩きに行く。気概があるならお前もと思ったが、もう使い物にならないようだな。好きなだけそうしていればいい』
「……」
『アリス!』
「は、はい!!」
『お前はハジメについていてやれ。玉藻の負担も大きい。お前の戦力は不足していても、できることはあるだろう?』
アリスは両手を握りしめると、部屋を走って出て行った。
『ドリトンもアリスについていてやれ』
「かしこまりました」
ドリトンもアリスに続いて部屋を出て行った。
ロキは、はぁとため息をつくと、これまでの口調とは変わって、いつもの口調に戻りぼそりと言葉をこぼした。
『それはアンタがハジメを好きで好きで仕方ないから感じる感情よ。アンタにとっては初恋だからどうしていいのかわからないのかもしれないけど、いまアンタがしていることは独りよがりの何物でもないわ。好きなのならば、失いたくないのならば、なすべきことを考えなさい』
「ハジメ……」
ラグナロクは、今度は力強く立ち上がるとまっすぐ前を向いてハジメのもとに向かった。
『ったく、世話の焼けるうえに手間のかかる娘なんだから。結局アンタをヴェルから隠すためにこの世界に落としたけど、見つかったのはアタシの責任ね。いいわ。今回だけは守ってあげるわよ』
そういってロキは話すことをやめた。
しかし、ラグナロクにはもう言葉は必要なかった。
場所は変わり、ハジメがいる医務室へ。
「オトン大丈夫や!大丈夫やで!!」
玉藻の必死の治療は続いていた。
周りから見れば異様な光景である。
要救助者の全身を青白い炎が包んでいるのだから。
「呪いの濃度が濃すぎる!こっちまで逆流してきとるわ。たかが呪いごとき、日本の大妖怪の私をなめんなや!!!」
玉藻はさらに炎の範囲を広げハジメの全身から、玉藻自身の全身まで範囲を広げていく。
「タマモちゃん……すごい」
アリスはただただ、その場で見つめている状況だった。
時折、水差しで水を玉藻に飲ませるのが関の山という状況だった。
「姉やんありがとなぁ。ほんと最高の姉やんやで」
玉藻の声にアリスが少し表情を曇らせるが、アリスは自身が今できることがこんなことしかないと理解していた。
「アリス嬢。気に病むことはない。錯乱せずこの場にとどまり、狐の嬢ちゃんの手助けをする。それだけで十分なんだ。そもそも俺たちはただの人間なんだぜ?」
「そう、ですよね」
ドリトンの親が子供にかけるような優しいトーンの言葉だった。
そこにラグナロクが遅れて入ってくる。
ハジメの横までまっすぐ進み、ハジメの頬に手を添える。
「ハジメ。ごめんね。ラグ、ハジメがいないとダメなの。ずっと一緒にいたいの。でも、今のままじゃ駄目だよね。ロキお姉さまにも怒られちゃった。ハジメに話したいことがたくさんあるの」
「ゲホゲホ。ラグちゃん、なんだ、普通に話せたんだな、はは」
俺は必死に言葉を絞りだして、ラグナロクに反応してみせる。
「痛かったよね。苦しいよね。でもね。もう大丈夫だよ。ラグがきっと助けるから」
一滴の涙がラグナロクからこぼれ、ハジメの頬に落ちた。
これがアニメならそれがきっかけで呪いが消えるのかもしれないが、現実には受けた呪いがその程度でどうにかなるわけでもない。
しかし、ハジメが見るラグナロクの表情は、一切の迷いが吹っ切れた表情に見えた。
「ラ、グちゃん、よく見、ると、美人で、可愛い顔、してるよな」
今だけは素直にそう思ったんだ。
そこまで言って俺の意識はそのまま落ちてしまった。
玉藻の必死な顔、アリスの悔しそうな顔、ドリトンのこの中で大人であることを優先した苦しそうな顔、そして……。
ラグナロクの初めて見る、まっすぐ現実を見つめるまっすぐな顔。
ちゃんと俺、見てるからな。
「ハジメ。ちょっと待っててね。今から、ハジメをこんなにした敵をやっつけてくるからね」
そういうと、ラグナロクはハジメのベッドの横にしゃがみ、左耳に髪をかけるとハジメの唇に自身の唇をそっと重ねた。
一秒もない短い口づけだった。
玉藻は、オカンやるなぁと言っていた。
アリスは、はっとしたいつもの表情になっていた。
ドリトンは、やれやれという表情をしていた。
ラグナロクは、強さに溢れた、あの最強の魔剣としての表情をしていた。
「ロキお姉さま。ラグを、ロキお姉さまのところに飛ばして」
『あら、アンタもういいの?自分の殻でたすけてくだちゃーいじゃなかったの?』
「自分勝手に落ち込むのはもうやめる。相手がだれであっても、ラグのハジメを傷つけたこと、絶対に許さない」
『ったく。ほんと遅いのよアンタ。このバカ娘。でもいいの?アンタじゃ、神には到底太刀打ちできないわよ?』
「だから、今だけ。今だけは嫌だけど。ロキお姉さま、ラグを使って」
ラグはそういうと、ラグの全身を黒い霧が包む。
『なるほど。そういうことね。それならば、アンタにラグナロクと名付けた本当の意味が活きてくるわね』
ラグナロクは剣に姿を変えて、しかも腕が生えていない剣の姿になった。
ハジメの横で剣になったラグナロクが静かに床に切っ先が下りていくが、剣自身の重さだけで床を切り裂き鍔が引っかかるまで刺さってとまった。
「なんつー切れ味だよ……」
ドリトンは驚きの声をあげた。
「あれ……?ラグちゃんさん、腕がない?」
ふわりとラグナロクが浮き上がると床に文字を刻み始めた。
……ガリガリッ。
「「これがラグの、本気」」
それを書き終えると、ラグナロクを光が包み始めた。
『じゃあこっちに飛ばすわよ!!』
光がおさまるとそこにラグナロクの姿はなかった。




