第七十七話 東へ
翌朝。
辺境ギルド前には、二台の荷馬車が停まっていた。
今回も長距離遠征になる。
食料。
予備装備。
魔導灯。
野営道具。
そしてユリオンとイリスの測定機材。
職員たちが慌ただしく積み込みを進めていた。
「そっちの箱は慎重に運べ!」
ユリオンが声を張り上げる。
「精密機材だ!」
「分かってますって」
オスカーが苦笑する。
「毎回同じこと言ってないか?」
「毎回言わなければ壊される」
それを聞いた職員が振り返って叫ぶ。
「誰が壊しますか!」
そんなやり取りを横目に、カイは積荷を確認していた。
前回の観測所調査を踏まえ、補給品は十分に積み込んである。
問題は現地の状況だった。
旧ヴァルム精製所。
地脈魔力を抽出し、防衛網へ供給していた施設。
もし本当に出力異常が発生しているなら、その影響は周辺地域だけに留まらない可能性がある。
「難しい顔をしていますね」
声を掛けてきたのはセリーヌだった。
書類束を抱えながら苦笑している。
「そう見えますか」
「見えます」
即答だった。
カイは小さく笑う。
「少し考え事を」
「無理はしないでくださいね」
セリーヌは真面目な表情になった。
「観測所から戻ってまだ数日です」
「皆さん、かなり疲れているように見えますから」
「そうですね」
カイも否定しなかった。
あの調査は想定以上だった。
自律兵器との戦闘。
暴走する施設。
崩落する観測所。
今思い返しても、全員無事だったのが不思議なくらいだ。
「こちらのことは任せてください」
セリーヌが頭を下げる。
「留守は守ります」
「お願いします」
カイも頷いた。
その時だった。
遠くから聞き慣れた声が響く。
「おーい!」
マックスだった。
大きく手を振りながら走ってくる。
その後ろにはグレン、ヴァレリア、リリア、エルナの姿もあった。
「全員揃ったな」
グレンが周囲を見回す。
「ユリオンさんたちは?」
「いるぞ」
木箱の確認を終えたユリオンが顔を上げる。
その隣には、相変わらず無表情なイリス。
マックスはちらりと彼女を見る。
「おはよう、イリスさん」
「おはようございます」
返事は返ってきた。
だがそれだけだった。
マックスは満足そうに頷く。
「よし」
「何がよしなんだ」
グレンが呆れる。
「挨拶返してくれた」
「お前の基準が分からん」
周囲から苦笑が漏れた。
やがて準備が整う。
カイは全員を見回した。
「では、出発しましょう」
誰も異論はない。
馬車がゆっくりと動き始めた。
辺境街を抜ける。
石畳が終わり、街道へ入る。
初夏の風が草原を渡っていた。
空は高い。
雲はゆっくりと流れている。
穏やかな景色だった。
「いやぁ、平和だな」
御者台でマックスが大きく背伸びをする。
グレンが横目で見る。
「気が早いな」
「いや、だってよ」
マックスは空を見上げた。
「塔の時もやばかったけど、観測所の時はマジでビビった」
その言葉に、全員が少し苦笑する。
「珍しく弱気だな」
グレンが言う。
「弱気じゃねぇよ」
マックスは肩をすくめた。
「実際、一歩間違えたら死んでただろ」
「崩落はするわ、自律兵器は出てくるわ、施設は暴走するわで散々だったぞ」
「まあ、確かにな」
ヴァレリアも静かに頷いた。
「最後は本当に危なかった」
「だろ?」
マックスは街道の先へ視線を向ける。
「それと比べりゃ、こののどかな風景はほんと天国みたいなもんだぜ」
風が草原を揺らす。
馬車の車輪が心地よい音を立てる。
確かに今は平和だった。
少なくとも表面上は。
リリアが窓の外を眺めながら呟く。
「発光現象って、本当にそんなに増えているんでしょうか」
「報告だけだと実感がありません」
「ああ」
ユリオンが頷く。
「普通はそうだ」
「だが、観測所で確認した波形変動と一致している」
「偶然とは考えにくい」
エルナが首を傾げる。
「つまり、防衛網の異常が原因だと?」
「可能性は高い」
ユリオンは腕を組んだ。
「観測所は全体監視と同期調整を担っていた」
「その機能を失った以上、他施設への負荷は確実に増えている」
そこでマックスが手を挙げる。
「質問」
「なんだ」
「そもそも精製所って何する場所なんだ?」
ユリオンが一瞬黙る。
「今さらか」
「今さらだ」
マックスは胸を張った。
ユリオンが呆れたように息を吐く。
「旧ヴァルム精製所は、地脈から魔力を抽出し、利用可能な形へ精製する施設だ」
「そして精製した魔力を、防衛網各所へ供給していた」
「発電所みたいなものか?」
「まあ、乱暴に言うとそんな感じだな」
「なるほど」
マックスは納得したように頷く。
「じゃあ、そこが壊れたら停電だな」
「笑い事ではありません」
イリスが静かに言った。
「出力低下が発生した場合、防衛機構の動作にも影響します」
「同期誤差も増大します」
マックスが真顔になる。
「つまり、結構まずい?」
「いや、かなりまずいな」
ユリオンが即答した。
リリアが苦笑する。
「最近そればかり聞いてる気がします」
「事実だからな」
ユリオンは肩をすくめた。
そして鞄から資料を取り出す。
「そういえば、制御鍵の解析で新しい情報も出た」
全員の視線が集まる。
「旧ヴァルム精製所の古代名称らしきものだ」
「古代名称?」
カイが聞き返す。
「ああ」
ユリオンは資料へ目を落とした。
「断片的な記録だがな」
「――天権」
一同が顔を見合わせる。
「てんけん?」
リリアが繰り返した。
「意味は不明だ」
ユリオンは首を振る。
「だが、旧ヴァルム精製所を示している可能性が高い」
カイは考え込む。
旧アルトス監視塔。
旧リューデン観測所。
そして旧ヴァルム精製所。
それぞれが別々の遺跡ではなく、一つの巨大な仕組みを構成している。
そんな輪郭が、少しずつ見え始めていた。
「まあ」
マックスが肩をすくめる。
「行けば何か分かるだろ」
「それはそうですね」
カイも小さく笑った。
考えるべきことは多い。
だが、まずは現地へ向かわなければ始まらない。
その日の夕方。
一行は街道沿いで野営を行うことになった。
焚き火が灯る。
鍋から立ち上る湯気。
遠くで鳴く鳥の声。
穏やかな時間だった。
だが。
食事を終えた頃。
不意にイリスが空を見上げた。
「……発光反応」
その言葉に全員が顔を上げる。
東の空。
地平線の向こう。
遥か彼方で。
青白い光が、一瞬だけ明滅した。
誰も言葉を発さない。
だが。
全員が同じことを理解していた。
旧ヴァルム精製所。
異常は確かに存在している。
そしてそれは、今も進行し続けているのだ。




