第七十五話 酒場の夜
その日の夜。
辺境ギルド併設酒場は、珍しく賑わっていた。
観測所調査隊の帰還。
しかも全員生還。
その報せは、すでに辺境ギルド中へ広がっていた。
「いやー、生きて帰って酒が飲めるって最高だな!」
マックスが豪快にジョッキを掲げる。
周囲から笑い声が上がった。
グレンが呆れたように肩を竦める。
「お前は元気だな」
「そりゃ元気にもなるだろ」
「死にかけた後の酒は美味ぇんだよ」
「分からんでもないが」
ヴァレリアも苦笑混じりにグラスを傾ける。
いつもの辺境ギルドの空気だった。
だが。
今回ばかりは、全員どこか疲れている。
無理もない。
観測所内部で見たものは、それほど異常だった。
リリアが小さく息を吐く。
「……まだ頭が整理できてません」
「王国規模の結界とか、防衛網とか」
「いきなり世界が広がりすぎた感じです」
「同感です」
エルナも静かに頷く。
「しかも、あの黒衣の人たち……」
そこで言葉を切る。
思い出すだけで、不気味さが蘇る。
その時。
ユリオンがグラスを揺らしながら呟いた。
「……とんでもない仕事を押し付けられたな」
カイが静かにグラスを置く。
「今さらでしょう」
「違いない」
ユリオンは苦笑した。
少し間を置いて。
「だが、あの黒衣の男は気になる」
「俺の名前を知っていた」
「一体何者なんだ」
「何故、俺を知っている?」
カイは少し考えた後、静かに答える。
「……考えても、今は答えは出ません」
「ただ、現時点で言えることは二つです」
ユリオンが視線を向ける。
「彼らは、人ならざる存在だったこと」
「そして、少なくとも敵ではなかった」
短い沈黙。
やがてユリオンは、小さく笑った。
「ああ、そうだな」
「謎解きは、次に会った時へ持ち越しか」
その時だった。
マックスが、隣席のイリスへジョッキを向ける。
「イリスさん!」
「今日は共闘の記念に、もう一杯どうだ?」
イリスは視線だけ向けた。
「結構です」
即答だった。
マックスが固まる。
「早くない!?」
「今、食い気味で断られたぞ俺!」
リリアが吹き出す。
グレンも肩を震わせていた。
ヴァレリアが呆れ顔で酒を飲む。
「諦めろ」
「いやいや、まだ会話始まったばっかりだろ!?」
マックスはめげなかった。
「じゃあせめて名前呼びでも――」
「お断りします」
「二連続!?」
今度は酒場全体から笑い声が上がった。
エルナまで口元を押さえて笑っている。
イリス本人だけが、何故笑われているのか分かっていないような顔をしていた。
ユリオンが疲れたように額を押さえる。
「……すまん」
「助手が愛想ゼロで」
「いや、むしろ面白いから大丈夫だ」
グレンが笑いながら答える。
笑いが一段落した頃。
ユリオンとカイは、二人並んでカウンターに座って話をしていた。
「……しかし」
ユリオンは、グラスを見つめたまま呟く。
「あの観測所、本当に壊すべきだったのだろうか」
酒場の喧騒が、少し遠のいたように感じられた。
カイは落ち着いた声で答える。
「そもそも、既に劣化は限界だったのでしょう」
「同期不全も始まっていました」
「こちらが手を出さなくても、遅かれ早かれ崩壊していた可能性は高い」
ユリオンは小さく息を吐く。
「……だろうな」
「むしろ今回、中枢構造を確認できた価値の方が大きい」
机上に置かれた制御鍵を見る。
「鍵まで手に入った」
「再建の可能性そのものは見えたわけだ」
カイも静かに頷く。
「問題は、時間との競争になるでしょう」
「観測所機能を失った以上、防衛網の劣化は加速します」
「各施設の異常を調査し、調整しながら、代替手段を構築する必要がある」
ユリオンが苦笑する。
「……本当に、とんでもない仕事だ」
「ええ」
カイは淡々と答える。
「ですが、やるべきことは明確です」
その光景を見ながら。
マックスが小さく肩を竦めた。
「……あの二人、酒場でも仕事の話してるぞ」
グレンが笑う。
「今さらだろ」
ヴァレリアも静かに頷いた。
「そういう者たちだ」
カイは静かに酒を口へ運ぶ。
辺境の夜は、いつもと変わらず穏やかだった。
だが。
その裏側では、確実に何かが動き始めている。
王国防衛網。
古代施設。
黒衣の存在。
そして、制御鍵。
第二部の本当の問題は、まだ始まったばかりだった。




