第六十話 中央から来た男
ギルド受付前の空気は、妙に張っていた。
依頼帰りの冒険者たちも、受付職員たちも、どこか遠巻きに入口付近を気にしている。
その理由はすぐに分かった。
「だから言っているだろう」
低く、苛立ちを隠さない男の声。
「私は観光に来たわけじゃない」
入口近くに立つ男は、黒に近い濃紺のローブを羽織っていた。
三十代後半ほど。
痩せ気味の体格。
整った顔立ちではあるが、目付きが鋭い。
神経質そうにも見える。
そして何より、周囲を威圧するような空気があった。
「こちらとしても確認手順がありまして……」
若い受付職員が困り果てた様子で答える。
「手順?」
男は眉を寄せた。
「現場が崩れかけている時にか?」
「随分と余裕のある組織だな」
周囲の冒険者たちが顔を見合わせる。
空気が悪い。
かなり悪い。
その少し後ろには、一人の女性が静かに立っていた。
銀灰色の長髪。
無駄のない黒装束。
感情の薄い切れ長の目。
美人だが、近寄りがたい。
こちらは騒ぎに介入せず、淡々と荷物を持っている。
カイは二人を見て、小さく息を吐いた。
「総務局からの使者か」
男が視線を向ける。
「……君がカイ・アークライトか」
「ああ」
「そうか」
男は露骨に観察するような目をした。
値踏み。
あるいは確認。
そんな視線だった。
「私はユリオン・マクスウェル」
「中央魔導研究院所属、古代術式解析主任だ」
「今回の件で派遣された」
やはり来たか。
カイは内心で整理する。
辺境伯の話から考えれば、中央が専門家を動かしていても不思議ではない。
むしろ当然だ。
問題は、その専門家がどういう人間かだった。
「こちらは助手のイリス」
紹介された女性は、小さく会釈だけした。
「イリスです」
声は静かだった。
必要最低限しか喋らないタイプらしい。
ユリオンは周囲を見回し、露骨に眉をひそめた。
「……辺境ギルドにしては整理されているな」
「もっと酷い場所を想像していた」
「改善したからな」
カイが答える。
「なるほど」
だが、ユリオンの口調に感心した様子は薄い。
むしろ別のことを考えている顔だった。
「レオンハルト局長から話は聞いている」
「塔の件で現場判断を主導したそうだな」
「一応、成果は認めよう」
随分な言い方だ、と周囲の冒険者が顔をしかめる。
だがカイは気にしなかった。
この手の人間は珍しくない。
能力が高い者ほど、対人配慮を後回しにする場合がある。
「立ち話もなんだ」
「会議室へ案内する」
「助かる」
ユリオンは即答した。
「こちらも移動続きで疲れている」
「それに、時間が惜しい」
その言い方に、カイはわずかに視線を向ける。
焦っている。
あるいは、状況をかなり深刻に見ている。
◇
会議室へ移動すると、ユリオンは席に着くなり鞄から大量の資料を取り出した。
古い図面。
魔力波形記録。
術式断片。
どれも専門性が高い。
オスカーなどは見ただけで頭が痛そうな顔をしていた。
「まず確認する」
ユリオンは机上へ数枚の図を広げる。
「辺境伯から、どこまで聞いた?」
「国家防衛網の概要」
「連携回路の老朽化」
「修復には一時停止が必要になること」
「そこまでか」
ユリオンは頷いた。
「なら話は早い」
指先で図面の一部を叩く。
「問題は想定より深刻だ」
室内の空気が変わる。
「塔の暴走は局所異常じゃない」
「すでに複数の中継施設で同期不良が発生している」
「同期不良?」
セリーヌが反応する。
「各施設の魔力循環速度がズレ始めている」
ユリオンは淡々と説明した。
「本来は均等に流れるはずの負荷が、一部施設へ偏る」
「塔の暴走は、その結果だ」
「しかも厄介なのは、原因が単純劣化だけではない可能性がある」
カイが目を細めた。
「……何かあるのか」
「断定はできん」
ユリオンはそこで一枚の紙を取り出した。
古びた記録紙。
そこには奇妙な古代文字列が並んでいる。
だが、その下に。
かすれた共通語が記されていた。
《BALTHASAR LINK LOST》
室内が静まり返る。
「これは?」
セリーヌが問う。
「遺跡内部ログだ」
ユリオンが答える。
「過去の調査隊が回収した」
「同種の記録が、別施設でも確認されている」
「意味は?」
「不明」
ユリオンは即答した。
「少なくとも、現在使われている古代術式体系には存在しない識別子だ」
だが。
そう言いながら、ユリオンはわずかに考え込む。
「……ただ、気になる点はある」
「何だ」
「この識別名だ」
ユリオンは文字列を指でなぞった。
「複数ある」
「別記録では、《MELCHIOR NODE ERROR》も確認されている」
「識別名、か」
カイが小さく呟く。
「単なる設備番号には見えないな」
「役割単位か、管理系統か」
その瞬間。
ユリオンが初めて、わずかに目を細めた。
「……話が早いな」
「大半の連中は、ここで思考を止める」
「故障表示程度にしか考えん」
カイは記録紙へ視線を落としたまま言う。
「設備全体が連携構造なら、個別識別子が存在しても不自然ではない」
「問題は、その単位が何を意味しているかだ」
「そこだ」
ユリオンは短く頷いた。
そこには先ほどまでの刺々しさとは違う、純粋な研究者としての反応があった。
「……それで」
カイが視線を上げる。
「中央は、どこまで動く予定だ」
「局長は本格対応を始めている」
ユリオンは答えた。
「軍、研究院、技術局、補給管理局」
「各方面へ根回しを進めているはずだ」
一拍。
「局長は寝ていないだろうな」
「今の中央で、最も胃を痛めている男だ」
その言葉に、セリーヌがわずかに視線を伏せた。
レオンハルトの顔が脳裏を過る。
あの男なら、本当に休まず動いていても不思議ではない。
「ただし」
ユリオンが続ける。
「全部が間に合う保証はない」
その言い方に、オスカーが眉を寄せた。
「そこまで切羽詰まってるんですか?」
「率直に言おう」
ユリオンは机上へ新たな図面を置いた。
王国北部地図。
その上に、赤い印がいくつも記されている。
「このまま同期不良が連鎖した場合」
「半年以内に、防衛網の一部が機能停止する可能性がある」
空気が凍った。
半年。
短い。
あまりにも短い。
セリーヌが静かに資料を見つめる。
「……だから中央が動いたんですね」
「ああ」
ユリオンは疲れたように椅子へ背を預けた。
「ようやくな」
そして、目を閉じたまま続ける。
「正直、私はもっと早く崩壊すると見ていた」
その言葉に。
室内の誰も、すぐには返事ができなかった。




