第五十六話 辺境伯からの呼び出し状
辺境ギルドの朝は早い。
夜明け前から、建物の奥では灯りがともり始める。
最初に動くのは事務方だ。
前日に提出された依頼報告の整理。
支払い処理の確認。
新規依頼の難易度査定。
カイが整備した運用手順に従い、業務は滞りなく進んでいく。
かつてのように、誰か一人の経験や勘に頼る場面は減った。
判断基準は文書化されている。
情報は共有されている。
引き継ぎも可能になっている。
それだけで、現場の負担は大きく軽減されていた。
受付では、朝一番の冒険者たちが依頼票を確認している。
「お、これいいな。昨日更新されたやつか」
「危険度評価、前より細かくなってるな」
「移動時間の目安も書いてあるぞ」
「助かるわ。帰還が遅れると宿代もかかるしな」
現場の声は率直だ。
分かりやすい。
それが改善の手応えだった。
事務室では、セリーヌが帳簿を確認していた。
「この依頼、討伐証明の部位指定が曖昧ね」
「オスカーさん、発行元に確認を入れてください」
「了解」
短いやり取り。
無駄がない。
書類はすぐに整理される。
優先順位が明確だからだ。
カイはフロアを見回し、小さく頷いた。
特別な指示は必要ない。
すでに仕組みが回っている。
完全ではない。
だが、確実に機能している。
「ギルド長」
グレンが声をかけた。
「今日の配置、少し変更してもいいか」
「理由は?」
「北側の湿地帯。昨日より魔獣の足跡が増えてる」
「群れの移動か?」
「可能性はある」
カイは資料を確認する。
周辺地域の報告書。
過去の出現傾向。
討伐履歴。
「では天衝は予定通り出るとして」
「予備の一組を待機させましょう」
「動きがあればすぐ対応できます」
「了解」
判断は早い。
理由も明確だ。
現場の状況と過去データ。
両方を踏まえている。
それが、いまの辺境ギルドのやり方だった。
入口付近で、マックスが背伸びをしていた。
「最近、忙しいけど無茶は減ったな」
「前は帰ってくるだけで精一杯だったし」
「無茶を減らすのも仕事です」
エルナが言う。
「生きて帰らないと報酬も意味がない」
「それな」
マックスが笑う。
以前なら冗談に聞こえた言葉が、今は当たり前になっていた。
ヴァレリアが短く言った。
「効率が上がった」
事実だけを言う。
だが、それで十分だった。
フロアの奥では、アレクが椅子に腰かけていた。
相変わらず軽装。
どこか気ままな空気をまとっている。
「いやあ、いいギルドだ」
伸びをしながら言う。
「仕事が回ってるって感じがする」
「以前も来たことがあるんですか?」
リリアが聞いた。
「ああ、昔な」
アレクは曖昧に笑った。
「その頃とはずいぶん違う」
「今の方が、ずっといい」
カイが視線を向ける。
「問題点があれば指摘してください」
「改善できるものは対応します」
アレクは肩をすくめた。
「十分すぎるくらい整ってる」
「むしろ感心してるくらいだ」
一拍。
「組織ってのはな」
「誰が上に立つかで、ここまで変わるもんなんだな」
軽い口調。
だが、言葉は重い。
カイは特に返さなかった。
評価には意味がない。
機能しているかどうか。
それだけだ。
◇
昼過ぎ。
依頼の受理が一段落した頃だった。
入口の扉が開いた。
外套を着た使者が立っている。
見慣れない紋章。
だが、質の良い装備。
只者ではないことはすぐに分かる。
「辺境ギルド長、カイ・アークライト殿に」
低い声だった。
室内の空気がわずかに変わる。
カイが前に出る。
「私です」
使者は一礼した。
「辺境伯より、呼び出しです」
その言葉に、フロアの空気が固まった。
辺境伯。
この地域の統治者。
普段、直接関わることはほとんどない存在だ。
マックスが小声で呟く。
「……辺境伯?」
「なんでまた」
グレンが腕を組む。
「良い話かどうか分からんな」
セリーヌは表情を崩さなかったが、書類を持つ手がわずかに止まっていた。
タイミングが良すぎる。
中央の件が落ち着いた直後。
偶然とは思いにくい。
カイは書簡を受け取る。
封はされていない。
簡潔な文面。
日時と場所のみが記されている。
余計な説明はない。
「……急ぎの案件のようですね」
カイは言った。
声は変わらない。
普段通りだ。
だが、周囲は落ち着かない。
「大丈夫なのか?」
マックスが聞く。
「辺境伯って、めったに出てこない人だろ」
「直接呼び出しって、普通じゃねえぞ」
グレンが言う。
「断る理由もないな」
「内容が分からない以上、行くしかない」
ヴァレリアが短く言った。
「危険性は?」
カイは首を振る。
「現時点では判断材料がありません」
「ですが、形式上は正規の呼び出しです」
セリーヌが口を開いた。
「同行いたします」
確認ではない。
意思表示だった。
カイは頷く。
「お願いします」
マックスが頭を掻く。
「なんか落ち着かねえな」
「また面倒ごとか?」
グレンが苦笑する。
「辺境ってのは、そういう場所だ」
アレクが、少しだけ視線を細めていた。
表情はいつも通り。
軽い笑み。
だが、何かを考えているようにも見える。
「まあ」
立ち上がりながら言う。
「大事じゃなきゃ呼び出しは来ない」
それだけ言って、外へ出ていった。
カイは書簡を閉じる。
「では、明日の予定を調整しましょう」
いつも通りの口調だった。
だが。
辺境伯の呼び出し。
それは、この土地において無視できない出来事だった。
穏やかだった空気に。
わずかな緊張が混じる。
辺境の日常は続いている。
だが。
次の出来事が。
静かに近づいていた。




