王都12
「例の西南小神殿に馬車で頻繁に立ち寄っているらしい若い女性の情報を、三日前にクラーク卿からいただいて。調べたところ、セジーム商会の会長の娘であることがわかったのは、お父様にもお知らせしていたことだけれど」
家族が再び揃い、夕食が済んだ頃合いに、アリアルネは義父に向かって切り出した。
「私の友人が、長年貴族や有力者推薦の成人前の子女を集めて交流会を催している、そこに、そのお嬢さんが参加していることがわかったの。
で、ちょっと今日、お話ししてきたわ。辺境伯の優秀な方々の手をお借りして、その父親である、ウルスラ・セジーム殿とも、ね」
にっこりとしてさっくりと語るアリアルネに、サリンガー侯爵の眉間に皺が刻まれた。
娘の行動について、さすがに勘がいい、とフェイリントンは義父に感心しつつ、親子喧嘩の予兆に、そっと視線を伏せた。
楽しみだ。
「アリアルネ」
「貴族の間では、冒涜だの魔女だのといった噂は、それほど信じられることはないでしょう。貴族としての教養自体を疑われますし。でも、悪意がある者もちろん、教典を学ばない者、義憤に駆られた浅慮な者も、その噂を広げるでしょうね。
今までは、噂を否定はしても、真っ向から戦うことはなかった。ミリアンネの将来が、どこのどなたに結びつくかわからなかったから。でも、もうよいでしょう?」
呼びかけを遮りぐいぐいと話し続ける娘に、サリンガー侯爵の眉間の皺が深くなった。豊かな眉の影が目元を影にして、苛立ちを表している。彼のその目つきは、怒ったときのアリアルネに似ているのだが、本人たちは知らないのだろうか。
ついつい思考が彷徨うのを引き戻して、伏せた目の端で妻を伺った。
「アリアルネ。だから、成人もしていない子供たちを、叩き潰したのか?」
いつもより硬い声が妻にかかる。元より、侯爵には彼女がどのように子供たちと「お話をした」のか、わかっているようだった。
きゅっと、ほんのわずか、アリアルネの首元に力が入った。
フェイリントンは、それが彼女の強がる時の動きだと、知っている。
「……ええ、そうです。噂を弄ぶことに慣れた老獪な貴族ではなく、年若い彼らこそが、最も純粋に噂を面白がり、信じ込んで嫌悪し、または義憤に駆り立てられて問題を大きくする、その先鋒となるからです。
まして、今回は教典についての理解度に差があったために、貴族と、下位貴族や他の有力者との間に、大きな温度差がありました。それを取り払って、問題を明らかに示して見せるのに、両者が一堂に会する場が必要でしたの。今日のあの場ほど、ふさわしい場はなかったのです」
内心はどうあれ、アリアルネの声は、微塵も揺らがない。
いかなる動揺も表に出ないよう、声を整える訓練をしているからだ。今でも、毎晩のように。
そして、彼女の今日の行動についての判断は、昨日今日下したものではないのだろう。噂がひどくなるたびに、地道に否定だけをして効果がないときに、強硬でもより効果的な手段をと、幾度も幾通りも想定していたのを知っている。そしていつかの実行の時のため、準備もしていた。だからこそ、友人が催している交流会に参加する子女の名を、必要な時にはすでに把握していたのだ。
妻のその在り方を、美しいと、心からそう思う。
「それに、お父様、彼らは年若いからこそ、柔軟です。噂の背後にある事実を理解し、考え、彼ら自身が非を認めたなら、きっと彼らは心から反省をすることができる。それもまた、いまだ純粋な世代ならではのこと。私、心を改めた彼らには、支援を惜しまないつもりです」
肩をすくめて、ことさら気楽に言葉を継いだ娘に対して、サリンガー侯爵は大きな息をついた。
「若い者が変わったとて、大勢は変わるものではない」
「わかっています」
「もちろん、そやつらが心から変わるなら、お前やミリアンネの世代は今よりもよい状況になるだろう。その意義は認める。だが」
「なんです。意義をお認めなら、いいではないですか」
「よくはない!」
侯爵は思い余ったか、がたりと立ち上がった。
フェイリントンも何故か一緒に立ち上がりかけたが、なんとか踏みとどまった。親子に水を差すものではない。静かに、空気になるのだ。いくら楽しそうでも、だ。
「なぜ! お前がそこで汚れ役をするのだ。相談もなく! 叩き潰すと決めたのは儂も同じ、であれば、若造達の相手は、いずれ将来付き合いが生まれるかも知れぬお前よりも…」
「お父様が叩き潰して、泣かすんですの? いい大人が、子供を相手に? それこそ、弱い者虐めよ、わからないの?」
「お前だとて、大人だろうが!」
「歳の差は、十もありません!」
「お前の威圧には、王宮のジジイでも腰を抜かすわっ」
「お褒めの言葉ですわねっ。でもお父様が威圧したら、彼らは肝心のお話も耳に入らないでしょうよ、怖くって!」
睨み合って一歩も引かない親子だったが。
カシャン! と、突然響いた金属音に、二人そっくりに、びくりとした。
「失礼しました。不調法を」
セーヴィル辺境伯が落としたスプーンを給仕が拾い、新しいものを食卓に置いた。侯爵が咳払いをして席につき、アリアルネはもぞもぞと座り直して、姿勢を正した。
その間、セーヴィル辺境伯は静かに、いや気のせいでなければ、わずかに口元を柔らかくして、座っていた。引いてる様子も、動じている様子はない。
フェイリントンは、つい、その様子をしばらく眺めてしまった。彼と目が合うことはなかったが、どうやら、こちらの視線には気づいているようだ。
これは、思ったよりも、よい義弟らしい。
「……失礼しました。そう、セジーム殿とお嬢さんのお話よね」
気を取り直したアリアルネが、食後の軽い酒で口を湿らせてから、改めて話し出した。
セジーム家の娘は、小神殿では、バザーを手伝ったりしていたらしい。裕福な商家なので、教育は十分に受けているのだ。出向く頻度はそう高くはない。
ただ、と優美な指を唇に添える。
ウルスラ・セジーム自身は同席することはなかったが、娘が招く形で、神官が屋敷に定期的に通って来ていたという。使用人の相談を受けるため、という名目だったそうだが、セジームは実際の相談内容までは知らず、確認が必要だと。
いろいろと密に連絡が可能なように調整をしておいたわ、と隣席のセーヴィル辺境伯を、首を傾げて見上げている。
どことなく、先日より気安い妻の様子を、フェイリントンはじっと見る。いつの間にやら、セーヴィル辺境伯をかなり受け入れているようだ。
「ああ、でも少しすっきりしたわ。これで、子供達や付き人から、すぐに話は広まるでしょう。
けれど、足りないわ! お父様、次は、宣戦布告よね。事実無根の噂を広めたことへの抗議と賠償請求を、何件かの貴族家宛に送りつける用意をしてるから、後で、サインをお願いしますね。
これまで、どこ吹く風と聞く耳を持たなかった貴族達も思い知るでしょう。
人を傷つける噂が囁かれるのは日常茶飯事、だけど、人を傷つけたら、当然、反撃されることもある。
それに……人を傷つけるのは、当たり前のことじゃ、ない」
いささか疲れているのだろう、攻撃的な気分と、今にも折れそうな繊細さが、まとめて漏れ出ている。それが面白くて、愛しくて、目尻を下げてひたすら見つめてしまう。
「なぜそんなに嬉しそうなの、フェイリントン」
恥ずかしかったらしく、怒ったアリアルネは果物を食べたいと言い出した。もちろん、すぐに立ち上がり廊下に出て、侍女に言いつけ、また対面の席に戻って妻を見つめる。出会った頃から、こうして近くにいると目が離せなくなる。
「フェイリントン、少しは窘めるように。調子に乗ると、思わぬ失敗をするぞ」
苦い顔の義父がそう言って、アリアルネの眉がきゅっと上がったので、また面白い。義父は非常に察しがよく配慮もある人だが、こういう時には地雷を踏む。家族相手の不器用さを、いまだに本人が自覚していないのも、面白かった。
義母は反対に、自分自身をよくわかっているようだ。食事を済ませたら、さっさと引き上げてしまっている。不和なのではなく、こうした話し合いには参加したいとは思わないと明言し、徹底している。だけでなく、参加した方がいいだろうかと気を揉むことも一切ない。結果だけ必要なら知らせてもらえればいいという、ある意味豪胆な人だ。これも面白い。
にこにことしているこちらを構わず、アリアルネはセーヴィル辺境伯に、それで、と促した。
「クラーク卿の方は、いかが? 三日前はまだ、他には何もわからないっておっしゃってたけど。
それにそんな段階で、こんな騒ぎにしてしまって、本当によかったのかしら? 未成年者の会とはいえ、確実に噂になるもの。——神官達は、警戒するんじゃないかしら?」




