おちるひと 1
「では奥様、本日の予定は以上ですが、大奥様が朝食をご一緒にいかがかと仰せです」
「ぜひ、ご一緒します。食堂に行けばいいかしら」
「本日は、大奥様の私室にご用意いたします。よろしければレーヌ様も、どうぞご同席ください」
了承を返せばグレオールが退室し、身支度を手伝った侍女二人も下がり、部屋にはレーヌだけが残った。着替えが終わったので、今日の当番としてゼファが入室し、扉脇に控えた。
「とりあえず、大奥様付きの侍女を寄越してくれたんですね。まったく、女主人付きの侍女を募集もかけてなかったなんて。
実は、直接仕事ぶりを見て、何人か屋敷内の女手から候補を見繕ってあります。この部屋付きにできないか、あとでグレオールさんに相談してみてください。ただ、上級の侍女は、領内のそれなりの立場の家から来てもらうようです。こちらは、おいおい」
レーヌは今日からは、伯爵令嬢の客となる。戻る、と言うべきか。
本来、客扱いの令嬢ともなると、昼近くまで寝台から出てこないのが通常である。けれども、昨日と変わらぬ早朝の時間から、自らの身支度は完璧に整えて、ミリアンネの部屋であれこれと手配をしている。
侍女であった時と、あまり変わらない。
その手配の範囲と的確さが、到底侍女の範疇を超えているが。
帳面にグレオールの名を書いたレーヌは、ミリアンネをさっと全身眺め、満足げに微笑むと、では参りましょう。と隣に立った。
ミリアンネは、えも言われず、よい香りをかいだような、足元がふわふわする心地がした。
浸っていると、怪訝に思われたようだ。
「どうしました?」
「ええ、あの……レーヌ様とお友達って、いいな、と思ったんです。隣に並ぶのとか、新鮮だな、って」
レーヌは驚くでも喜ぶでもなく、静かにミリアンネを見て、なるほど、と頷いた。
「レーヌ様、何を納得しているんです?」
「これが、懐刀の鞘か、と思いまして」
「鞘?」
レーヌがさらに口を開いたとき、さきほど立ち去ったばかりのグレオールが、足早に近づいて来た。手に白い封筒が乗ったトレイを持っている。
「奥様、つい今しがた、お手紙が届きました。使いの方が、今日中にお返事を欲しいとのことです。ただ、朝の時間ゆえ、また出直すと」
「どなたからかしら」
「トーリオ・オールレアン子爵と」
その名を聞いても、ミリアンネには思い浮かぶ人物がなかったのだが、まずは手紙を受け取った。品の良い香りのする封蝋は、見たことのない印章を捺されている。だがその香りをどこかで嗅いだことがあるように思った。
中を見れば端正な字で、結婚の祝いと、私用でセーヴィル辺境伯領まで来ていること、時間が取れるのであれば、会いたいこと。そして、末尾にあった名前は。
「まあ、ルージェ様! グレオール、お使いの方への返事は、まだ間に合うかしら?」
「はい、まだ間に合うでしょう。そうでなければ、早急に使者を向かわせますが」
「ありがとう。では、今日のお昼すぎに時間を作るので、どうかお越しくださいと、お返事してもらえるかしら」
急な訪問客のために、当日中に時間を作るのは異例である。だが微塵も動揺を見せず、かしこまりました、と執事は下がった。
ミリアンネは待たせてしまっていたレーヌに謝罪し、同じく待っているだろうマーズの元へと急いだ。
「ミリアンネ様、ルージェ、というのは、どなたです?」
レーヌが、道行きで尋ねるのに、ミリアンネは意表を突かれた。
ルージェは、姉の同志の一人であり、その身元は一言では説明し難い。同じく王宮内で姉と近しかったと聞いていたので、レーヌは知っているものだと決めつけていた。
どう説明するべきか、とっさに悩んだ。手紙の封筒には聞き慣れない子爵の名、中にはルージェの名。
「お姉さまのお友達で、私も面識がある方です。幾度かテラリウムの貴重な資料や資材を譲っていただいたし、時折侯爵家にも遊びに来られてました。……トーリオ・オールレアンというお名前は、存じ上げないのだけど。きっと、それも彼……彼女の名前なのでしょうね」
片眉を上げて見せたレーヌが、不審感を持っているのはわかった。明らかに、トーリオは男性名だ。だが、致し方ない。ミリアンネは、その不審を晴らすための情報を持たないのだ。
「きっと、彼……彼女と会えばわかると思います。ぜひ、同席してください」
にっこりと言ったミリアンネに、レーヌはやや呆れ気味に頷いた。
「いくら気心が知れているといっても、男性名のお手紙が来ている以上、同席者がいるほうがよいでしょうね」
もっともな指摘だったのだが。
ミリアンネは思いがけないことを言われたと、目をまん丸くした。
「男性! ああまあ、そう。そう、かもしれないけど」
そこで、マーズの部屋に着いたのだった。時間切れだ。
マーズの部屋は、落ち着いた色合いでまとめられていた。近頃眩くなりつつある外の光が差し込み、朝食の席をレースのカーテン越しに彩っている。
だがマーズ自身の顔色は優れなかった。化粧で頬には色を乗せているが、目の下に疲労が滲み出ている。それでも、ミリアンネたちが部屋に通されると、立ち上がってにこやかに席を勧めてきた。
「夜通し睨み合いしてたの」
食事をしながら話しましょう、そう言って、かなりな量の朝食をさくさくと胃に収めながら、マーズが呟いた。アジーナの話だ。かすかに緊張した二人に、マーズは頓着しないようだった。
「結局意地を張り合って、朝、お互いにお腹を鳴らして一時休戦になったの。彼女も今は、地下で食事中よ。長い付き合いだから、頑固なのは知っているけど、この機会に洗いざらい吐かせてしまわないと。溜められると、こんなに困ったことになるんだから」
憤然と言っているが、切迫感はない。
ミリアンネは、昨夜の触れれば壊れてしまいそうなマーズを思い出して、ほっとした。
けれど隣のレーヌは、厳しい表情になったようだった。
「レーヌさん、大丈夫よ。これ以上、ミリアンネに危害や迷惑をかけることになるならば、今すぐに私は隠居して領主の森の端にでも移り住むって言ったら、それだけは嫌みたいで、もうしないと約束したから」
「アジーナさん本人は約束したとしても、周囲はどうでしょう」
「アジーナは屋敷の中でしか権限を持っていないわ。その権限はすでに取り上げて、屋敷中に通達しました。屋敷外の人間については、アジーナの影響は少ないでしょう。そしてそれは、クラークさえ戻れば、払拭できるはずのものよ」
あの、ボンクラ息子。
普段ならば聞こえるはずのない、苛立たしげな呟きは、寝不足のせいに違いない。
「アメリ・アコット夫人は、どうされるのです?」
レーヌの問いに、マーズはしばらく答えなかった。
食事を早々に終え、食後の茶を味わいながら、何かを吟味しているようだった。
「……今言えることは、気をつけてほしい、ということね。常に誰かと一緒にいて、アメリたちが立ち去るまで、身辺に注意をしておいて。
アメリ自身は、実際は何もしていないのよ。母親を唆した可能性はあるけれど、認めはしないでしょう。彼女がしたことは、言動の端々に拒否と嫌味を覗かせたことだけ。未来の侍女頭としてミリアンネさんと信頼関係を結ぶことはもうできないでしょうけれど、かといって、アコット家は当家と縁続き、ジェイ・アコットは鍛錬バカだけれど、軍では優秀で、忠義者だわ。その夫人を罪状なく拘束したり、尋問したり、謹慎を命じたりは、できない」
その目線は、厳しいまま、警護に当たっていたゼファに向く。騎士は無言で胸に手を当て、返答とした。それを端目に、レーヌは詰めた。
「これまでは、自らの手を下しては、何もしていない。けれど、これからは、何かするかも知れない、と、そうお考えなんですね?」
マーズは真っ白なカップを音もなく置いて、にっと、貴婦人らしからぬ笑みを見せた。
「ミリアンネさん、人は最も貴重な財産です。レーヌさんを離さないように」
それはレーヌを褒めながら、正解を知らせてもいる言葉だ。
ミリアンネは、緊張を感じながら、頷いた。
「レーヌ様も、万が一怪我のないよう、私と離れないでください。いつか王都に戻られるにせよ、長くこちらに滞在してくださるにせよ、お守りしたいと思います」
マーズが、目を丸くした。当然、マーズはそういう意味で言ってはいない。人材として、手元に確保せよと助言したつもりだったのだが。
ゼファが、耐えきれずに吹き出し、また耐え、耐えかねて咳き込んだ。
レーヌだけが、いつも涼やかに整って揺らがない目元を、柔らかくほどいた。
「ありがとうございます、ミリアンネ様」
笑みは、すぐに黒いものになる。
「何かあった場合は、死んだほうがましというほどに、後悔させてやりますので、大丈夫。——と思っていましたが、心配をかけてはいけないので、何も起こらないよう徹底します。安心なさってください」
「え、ええ、レーヌ様。あの、お手柔らかに」
レーヌが、あの姉と同類であろうことを、失念していた。
守る、など、おこがましかっただろうか。
けれど、正直な気持ちでもある。
行ったり来たりと混乱が見て取れるミリアンネの様子に、マーズが呵呵と笑い、朝食は和やかに終わりとなった。
のだが。
ミリアンネは今自室の前で、部屋にも入れず、困惑していた。
「お待ちしていましたわ、ミリアンネ様」
警戒すべき相手、アメリが、そこに凛と立っていたのだ。




