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欄干はすでにかなりのガタがきていた。
そのうえ幾度となく痛めつけられたおかげで、ついに限界を迎えちまったんだ……!
「……あ……っ!?」
階段を踏み外したかのような驚き顔とともに、バランスを崩すバンビ。
「……ば……バンビ……!」
ずっと警戒していた甲斐あって、俺は誰よりも早く駆け出していた。
バンビの身体は、バナナで転倒している最中みたいな体勢で落下、欄干の下にある床に肩から叩きつけられていた。
屋上の縁、ギリギリ……!
俺は祈りながら走ったが、最悪なことに、何もない方に向かって、さらに落ちていく……!
「さっ……三十郎……っ!」
この世の終わりのような顔で手を伸ばし、俺の名を呼ぶ妹。
「ば……バンビぃぃぃっ!」
俺も手を伸ばす。全然届かねぇのはわかってたけど、やらずにはおれなかった。
ちいさな身体が……俺よりも三十センチ以上低い身体、体重にいたっては半分くらいしかねぇちいさな身体が……消え失せようとしている。
俺よりもずっとちいせぇクセに、俺より大人びていて、人一倍強がって、家族のいない悲しみを、ひとりで背負い込んでいた身体が……!
俺の視界から、消えようとしている……!
「さ……させるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっっ!」
俺は、飛び込んでいた。
この先は何もなくって、遥か下はコンクリートだってのに、まるでプールかなにかみてぇなためらいのなさで飛び込んでいた。
背後から、
「サンちゃぁぁぁぁぁぁぁーーーんっ!?」
「三十郎ぉぉぉぉぉぉぉぉーーーっ!」
「三十郎さぁぁぁぁぁぁぁーーーんっ!」
「チョロ男ぉぉぉぉぉぉぉぉーーーっ!」
と絶叫が追いかけてくる。
その後から、
「華一ぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーっ!」
「大西シキさぁぁぁぁぁぁぁぁーんっ!」
「エリカぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーっ!」
とさらに続く。
俺は呼び声に応えるどころではなくて、バンビを掴むために必死になって空中でもがいていた。
指がちょうどショートパンツのベルト通しに引っかかったので、ぐい、と腕に力を込める。
引き寄せた小さな身体を、まだ手にしっかりと握りしめている妖精ごと、ガシッ! と抱きとめる。
バンビの身体は震えていた。
もしかしたら俺のほうかもしれなかったが、抑えるようにギュッと抱きしめた。
よし、このまま……着地……と思ったが、俺がダイブしたのは4階建てのビルの屋上だというのに今更ながらに気づく。
もちろん、足元には何もない。スッカスカだ。
途中で引っかかるようなものもなくて、何十メートルか下には地面が見える。
見上げて指さしている観衆の姿も見えた。
俺たちを受け止めようなんて考えるヤツはいるはずもなく、蜘蛛の子を散らすように逃げ、ご丁寧にアスファルトを明け渡してくれた。
その様子を、俺はゆっくりと流れる時間に身を任せ、眺めていた。
飛び降り自殺をすると、ストップモーションみたいになって地面に激突するまで長く感じるっていうのは、本当だったんだな。
下から吹き上げてくる風も、激しいはずなのに……ゆっくりだと、心なしかやさしく感じる。
なんか……衝動的に飛び降りちまったが、こう考える時間があると、肝が据わってくるもんだな。
さて、地面とキスするまでにはまだかかりそうだが……いうまさらジタバタしてもしょうがねぇ。
俺にできることは、ただひとつ。
命にかえても、バンビを守る。
コイツは幼い頃に両親と別れて、ロクに甘えたこともねぇんだ。
それをさせる前に、死なせてたまるかってんだ。
俺はオーバーキルされちまってもいい。
見るも無残な姿になって、グロ画像としてネットに晒されちまってもいい。
だが……バンビだけは……俺の妹だけは、カスリ傷ひとつ負わせねぇ。
コイツは将来、絶対美人になる。兄貴の俺が保証する。
そんな前途有望な美少女に、ケチがつくようなことがあっちゃならねぇ。
俺がいねぇと道を踏み外してビッチになっちまう可能性が出てくるのが心残りだが……それは守護霊にでもなって阻止するしかねぇな。
バンビは俺の胸のなかで小さくなっていた。
目をきつく閉じ、俺の胸元をギュッと握りしめている。
この体勢なら、うまいこと俺が下敷きになれそうだ。このまま最後の刻を……。
なんて思っていたら、
……ガシッ!
不意に、足首を掴まれた。しかも、左右両方とも。




